あるとき お寺に行ったときに
お坊さんがお話してくださったこと。
観世音菩薩さまは
思いやりの心を あらわしています。
思いやりの心とは
相手に何かをするとき
「~~させてもらえますか?」という
やらせていただいている気持ちのこと。
そして
「やらせていただいている」
「させていただいている」
という気持ちと 対峙しているのは・・・
やさしさの心 なのだそうです
これ すなわち
「~~してあげる」 のこころ。
「そうなのねぇ~!」とちょっと
ビックリしながらも
心の奥で 納得してしまった記憶が・・・
いま 私は 思いやりの心と
やさしさの心の違いを
とても 感じるようになってきました。
行動は 同じようにみえても
有り様が 違うのです。
一見 同じ行動をしているように見えても
ある人は 賞賛され
ある人は けむたがられてしまう・・・
同じ行動とってるように 見えるけど・・・
在り方が 違うのです。
その違いは 後々 大きな差になっていく。
自分が好きでやったんなら
相手の反応を いちいち きにすることもありません。
喜ばれたら うれしいし
喜ばれなくても 勝手に自分でやったことなら
怒る筋合いも ありません。
「してあげる」なら
きっと 「こうしてくれるはず・・・」という
気持ちが 残っちゃうでしょうね。
そして
「あ~したのに してくれなかった・・・」
っていう ちょっとした不満が
少しずつ 少しずつ 蓄積していくのだと思います。
勢至菩薩さまは
感謝のこころ をあらわしておられるそうです。
つまり ありがとうの心 です。
お寺さんには
両脇に 観世音菩薩さま 勢至菩薩さまが
いらっしゃって
中央に 阿弥陀如来さまが おられました。
この意味は
現世で 思いやりの心と 感謝の心をもてば
阿弥陀如来さまのいらっしゃる
極楽浄土へいけますよ~ ということだと
教えていただきました。
この意味は 自分が何かしたからといって
相手に 見返りを求めず
やること自体を 楽しんで
つまり 人に貢献することを 楽しんで
そして
自分は いつも 感謝をもっていっぱい生きていれば
と~っても 幸せになれますよ~
と いうことなのかな~?と
私は 感じました。
そこが 光の世界なのだと
それを実践できた その場所が
幸せなのだと 思います
いまここで
いますぐに やれること
いまできることって 大事ですね
読んでくださってありがとうございます
お坊さんがお話してくださったこと。
観世音菩薩さまは
思いやりの心を あらわしています。
思いやりの心とは
相手に何かをするとき
「~~させてもらえますか?」という
やらせていただいている気持ちのこと。
そして
「やらせていただいている」
「させていただいている」
という気持ちと 対峙しているのは・・・
やさしさの心 なのだそうです
これ すなわち
「~~してあげる」 のこころ。
「そうなのねぇ~!」とちょっと
ビックリしながらも
心の奥で 納得してしまった記憶が・・・
いま 私は 思いやりの心と
やさしさの心の違いを
とても 感じるようになってきました。
行動は 同じようにみえても
有り様が 違うのです。
一見 同じ行動をしているように見えても
ある人は 賞賛され
ある人は けむたがられてしまう・・・
同じ行動とってるように 見えるけど・・・
在り方が 違うのです。
その違いは 後々 大きな差になっていく。
自分が好きでやったんなら
相手の反応を いちいち きにすることもありません。
喜ばれたら うれしいし
喜ばれなくても 勝手に自分でやったことなら
怒る筋合いも ありません。
「してあげる」なら
きっと 「こうしてくれるはず・・・」という
気持ちが 残っちゃうでしょうね。
そして
「あ~したのに してくれなかった・・・」
っていう ちょっとした不満が
少しずつ 少しずつ 蓄積していくのだと思います。
勢至菩薩さまは
感謝のこころ をあらわしておられるそうです。
つまり ありがとうの心 です。
お寺さんには
両脇に 観世音菩薩さま 勢至菩薩さまが
いらっしゃって
中央に 阿弥陀如来さまが おられました。
この意味は
現世で 思いやりの心と 感謝の心をもてば
阿弥陀如来さまのいらっしゃる
極楽浄土へいけますよ~ ということだと
教えていただきました。
この意味は 自分が何かしたからといって
相手に 見返りを求めず
やること自体を 楽しんで
つまり 人に貢献することを 楽しんで
そして
自分は いつも 感謝をもっていっぱい生きていれば
と~っても 幸せになれますよ~
と いうことなのかな~?と
私は 感じました。
そこが 光の世界なのだと
それを実践できた その場所が
幸せなのだと 思います
いまここで
いますぐに やれること
いまできることって 大事ですね
読んでくださってありがとうございます