こんにちは、onekof(オネコフ)です
前回の続きですので、
お読みになってない方はコチラを先にどうぞ
偉そうやけどさー綺麗事じゃなくて、
お金じゃなくて出来る事あったと思う。
雇った人に対して氣持ちを見せる方法がもっとあったはず。
最終的に結果は変わらなくても、
せめてもう少し考える猶予を設けるとか、
パートの労働条件の詳細すら決めないのに、
検討すらできへんやん!
第三者の私でもオコやわ!w
でもね?
この人員整理の話を受けて、私は我が身を振り返る事になったのです。
丁度私は引っ越したて。
そこまでモノは多くないけど、思い入れもこだわりも少ないタイプ。
でも収納がほとんどないので、
断捨離をしてモノを減らさないといけない
経営困難による人員整理→
収納スペースの減少による断捨離
雇う→買う
解雇→処分
が私の中でリンクして、
やっと前編の状況説明とカブりますw
そして私は、
欲しいと思ったから買ったはずのモノ達に対してと、
自分の人生についてを振り返るキッカケとなった、
スゲ〜私、めっちゃ混同してたw
私の満たされてないポイントは、
今日の記事の他に
長い目で見ることと、頑張ることです
…断捨離って言うけど私、
捨てるモノに対してどの位胸を痛めただろうか?
決して持ち物全てに思い入れ込めろとか、
捨てる度に胸痛めろって話ではないけど、
今までありがとうって感謝の氣持ちを持っただろうか?
そもそも買う時点で、
「大切に使おう」と思えるものに
お金を遣ったんだろうか?
「これでいっか」って思って買わなかった?
新品で使いづらい訳でもないうちから、
「また氣に入ったの買い直せばいいや」
と思って買わなかった?
処分するのに心苦しくない程度のモノしか
買わなかったんじゃない?
確かにモノを捨てられない人に比べると、
私は潔く捨てられるかもしれない。
勿体無い信者ではないし、
“モノがまだ使えるか”と“自分に必要かどうか”は
分けて考えられるタイプだと思ってた。
でも違った。
その瞬間の満たされない何かを埋める為とか、
自分を低く見積もった結果の選択の連続だった。
自分を蔑ろにしていた部分を発見してしまった
え?
何でモノの話してんのに“自分を蔑ろ”って事になるのって?
だってモノだけど、見てる世界が現実。
私は人とモノで氣が付いたけど、
お金も愛も私が学んだ知識によると一緒なはず!!
お金は大事にしてくれない人の所に来ないって言うやん?
そのお金を払って得たモノを大事にしないなら、
お金を大事にしてないのと一緒
自分を愛すると人から愛されるって言うやん?
モノに対して自分にとっての価値を見出して愛するんやから、
価値を見出そうとしない姿勢というか、
テキトーなセンスで選ぶってことは
自分を愛することをサボってるのと同じ
自分のより良い愛し方がわからない、
更に言えば、
自分で愛されセンサーを鈍らせてる
何か、そういうのが一氣に繋がって、
めっちゃ腑に落ちた。
「今まで雑なモノしか買わなくてゴメンね」って。
(わかると思いますが、モノに罪はないよ?)
「“こんなモン”として扱ってゴメンね」って。
「無視して我慢させてゴメンね」って。
…泣きながら書いてます
本当の氣持ちである証拠。
ワタシノナミダ、ウソツカナーイ。
氣付いて良かった〜*\(^o^)/*
これからは、
本当に本当に本当に欲しいモノ買うねん
時々間違うかもしれないけどw、
自分を幸せに出来るのは自分だけやから
私が本当に捨てるべきものは、
モノでも過去でも価値観でも弱さでもなく
“満たされないことから逃げること”
しかし我ながら、
派遣切りから凄い所まで飛んでったなwww
長文をお読みくださりありがとうございました*\(^o^)/*