『被害者意識』


最近、このワードを

たまたま耳にすることが多くて

自分の事を振り返りながら

氣付いたことがある。



以前の私は

自己紹介の一環のように

・父からの暴力があったこと

・母からは言葉により傷付けられたこと

を話すことがあった。



確かに客観的事実として

親に引っ叩かれたり、ぶん投げられたり

ひどい言葉を言われたりしたが



それはいきなりそうなる訳じゃなく

何かしらの原因がある。

事実、私の場合は

自ら喧嘩を売りにいったりしていた。


その理由もちゃんとわかっている。


確認したかったのだ。

私は愛されていると。


子供の欲求として

親から愛されたいというのは

当然の欲求だろう。



でも、それって確認しなくても

いいことでもある。



だって愛されていないなら

今、自分は生きてはいないから。



たとえ、親からは

愛情を受けられなかったとしても

誰かの愛が無ければ

子供は育たないと思っている。



ただ愛されたかった


ただそれだけなのに

愛されない理由を親や他人のせいにして

子供と呼ばれる時期をとっくに過ぎても

まだ誰かのせいにしたがった。



アレが欲しい‼️

買って買って‼️

という駄々が可愛いのは

小学校低学年以下の子供だけだろう。



40を過ぎて

50間近になっても


愛されたいよぉ〜‼️

という駄々をこねている状態って

だだの面倒な大人である。



いや、これは

ホント数年前までの自分の姿だから

マヂでお恥ずかしい限りで

ちゃんちゃらおかしいっ😂💦



親への愛の要求を

ずっとし続けていると

大人になった時に

その要求は無意識に親代わりにした

周りの人達への要求に変わる。



だから

・上司がちゃんと評価してくれない‼️

・主人が大事にしてくれない‼️

・友人達が私を応援してくれない‼️

などの、他人への承認欲求が出る。



親からの愛をもらうという欲求は

自分がこの世に生まれている時点で

とっくに叶っているのだ。


十月十日もお腹に入れてる時点で

それを愛と呼ばずに何と言うのだ。



自分を傷つけられるのは自分だけ


もし、過去の私のような人がいたら

今すぐに親や親代わりにしている人達への

愛の欲求行動をやめた方がいい。



何故かと言うと

自分の身体が壊れていくから。



私の感覚としては

身体は今世を生きるためのレンタカー。

だから自分のものではない。

だけど、間違いなく自分が選んで

乗り込んだレンタカーなんだという感じ。



先に述べた

他人への承認欲求が行き過ぎるというのは

自分の乗っているレンタカーは

自分が選んで借りたものだという事を忘れて

他人の車ばっかりを見て

文句を言っているような状態。



ホントは

山道を楽に走れるレンタカーなのに

街中を走る車を真似っ子してみた結果

大きな車体に苦戦して

車庫入れがうまく出来なかったり

細い路地でぶつけたり。



自分が借りているレンタカーは

他と比べる必要もなく

過不足なく自分に合った車であり

自分が選んで借りた

最高のレンタカーだと認識すると

その車にあった運転をするだろうし

無茶な運転もしない。

周りの車まではなく

周りの風景を見ながら

走りたい道を走るだろう。



昔はよく、

『あの人に傷つけられた』

というワードを口にしていた私。



でもそれも

自分をちゃんと知っていると

誰も私を傷つけないことにも氣付く。



母が言った『ニキビが出来てるよ』

それは事実を言っただけ。

もしそこに悪意を感じたなら

自分が勝手に作り上げたものだったりする。



仮にそう感じたなら

それをちゃんと伝えたらいい。

『ニキビヅラで汚いってこと❓

もし、そういう意味だったら悲しい』と。


『また太ったね』

▷それを自分が認めていたら

『うん、太ったよ』で終わる話。


『宿題やってないの?』

▷『うん。やってない。』

 以上、まる。

 やらずに困るのは自分。(笑)



私の経験上、たいがいのことは

事実をただ言っただけだったりするのだが

そこに、ムカッ‼️イラッ‼️とする時は


自分のプライドが邪魔してる時



捨てなはれ‼️

プライド。


与えなさい‼️

自分で自分に愛を‼️




パートナーに求めるものは

親に求めるものとも似ている🤭✨


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