なぜ勉強しなければならないのか


を考える回。



前提として勉強は義務として存在する面と権利として選択する面があると思う。



まず義務面ーーー

すなわち義務教育が施されてる意味→

①大人のエゴ

勉強をしてよかったと思える一部の大人が、その個人的な意見を布教しに来ている。


②食わず嫌いを防ぐ

勉強してもたらされる恩恵を6歳の子には理解できないから「とりま9年やってみようねん」のノリで勉強させてる。(その後は自分で決めてねん)


③国家政策

日本という想像の共同体を維持する為に、日本語(=国語)を教えてる。





次ー

権利として勉強しようとしてる理由

=「高校行く」という選択をした理由


①今の勉強自体が楽しい

-今この瞬間の勉強で心が満たされる、人生が豊かになっていると思うから

今の勉強自体が目的


②大学で研究したいことがある

-大学行きたい→受験乗り越えないと→受験勉強

今の勉強は手段、大学研究が目的


③人並みの生活が欲しい

-安定職に就きたい→まだまだ学歴社会の日本において大学は一応大事→受験勉強

今の勉強と大学は手段、人生が目的


④承認欲求

-模試でいい結果とって、東大いって、大手に入るなりなんなり社会的に成功して、全人類に認められたい

今の勉強も大学も人生も手段、承認が目的


⑤理由はないけどなんとなく高校行った

-義務教育の最高傑作。理由もなくなんとなく会社に入ってなんとなく働いて搾取される未来しか見えない。

目的などない





よく考えてみると今の高校生は、自分で高校に入つと選択して、勉強する権利を自らの意思で取得している。したがって高校生以上が「なぜ勉強しないといけないのか」と問いかけることは論外なのだ。万が一そのようなことがあっても上記の⑤に属する人だと一瞬でわかるだろう。残念ながら高校は義務教育ではないのだ。受け身すぎるのではないのだろうか。


そこでこの問いを立てるのが小中学生だと想定すると、おそらく義務面の3つが答えになっている。実際勉強する意味は9年後に自分で探すもので、見つからなかったら別にしなくてもいいと思う。流されるほうがつまらない。








こっから自分語りーーーーーーーー


ずっと思っていたのだが私は多分③要素が強い。

中学三年間日々この「勉強の意義」に向き合ってきたが私「承認欲求」にたどり着いた。


褒めてもらいたい、すごいと思われたい


というのが勉強する原動力だった。

勉強が自分のアイデンティティになっていた側面もあった。




このような動機は不純なのではないか




と考え続けた。なぜなら、周りに学問を愛する人が居すぎたからだと思う。


心の底から数学を愛する人

宇宙に恋し続ける人

メダカ一匹一匹に名前をつける人

本気で日本を変えようと政治家志望の人


まさにカオス。中学時代我ながら環境に恵まれていた。この中において自分は承認欲求の奴隷でしかない。常に謎の劣等感を感じていた。





しかしもう吹っ切れた。純愛をいくら求めても生まれないなかった。もう承認欲求を愛するしかない。自分の醜さを愛するしかないのだ。


別に大学でなにを研究するとかどうでもいい!!

興味分野なんてないの!!!


やりたいことなんてないし、これから先一生見つからないかもしれない。

それでも待つしかない。

見つかるまで愛するフリをしてやる。

承認を目的とし続けながらも、愛するフリぐらいはできる。


これこそFake it, until you make it.

焦らず生きる