大学生の頃、誰かが使っていた「後悔」という言葉に、
「後悔ってどういう時にするんだろう?私、後悔したことあるのかな?」と思って、
本当に軽い気持ちで、「後悔ってしたことある?」と友人に尋ねたら、
「うち、父が急に亡くなったでしょう?
だから、ちゃんとお別れとか言えなくて…
しかも、私、高校生で、ちょうど思春期の頃だったから、その頃あんまり父と関われてなくて…
だから、後悔っていうと、その時かなぁ」
と返ってきました。
私は、なんて愚かな質問をしてしまったんだ…と心の中で膝をつき、
それ以来、後悔っていうのは簡単にしていいものではないんだ、
やったことに対して何かできることがまだあるうちは、後悔とか言っちゃいけないんだ、
と思うようになり、
ちょっと後悔しそうになっても、
いやいやいやあんたそれ、後悔なんてそんな大層なもんじゃないでしょうよ、
ここからなんとかしなさいよ、
と思い直すことにしています。
とは言いつつも。
過去の自分の浅はかさを呪いたくなる時は多々あって、
最近は、自分の肩を見るたびに、
あんたバカァ?と思っています。
ハワイでしっかりついた水着跡、
これが消える未来が見えません。
もう一生この模様で生きていくしかない気さえします。
でも、突き詰めると、私がこの先ずっとこの模様だったとしても、そんなに困ることもないような気もします。
私の場合、結婚して一番強く思ったのが、
「もう頑張らなくていいんだ!」
でした。
恋愛市場から撤退し、
外見がどうとか、性格がどうとか、
もうあれこれ品定めみたいなことされなくて済むんだ!と思って、
とにかくホッとしたのを覚えています。
それなのに、なぜ、たかが日焼け跡を気にしなければならないのか。
おそらく、肌の白さが、私の大きな特徴だったからだと思います。
私を好きになってくれる人は、私の知る限り全員、
私の肌と、私のくびれを気に入ってくれていました。
(あと、全員ではありませんが、なぜか手の小指もかなり好評でした)
なので、私から、この肌質とくびれ(と手の小指)を取ったら何が残るんだろう?と思い、
ここは死守しないと将来結婚詐欺案件になってしまうかも…と思ったりもしていました。
でも、肌質とくびれを自分のチャームポイントにするおばあちゃんになりたいのかと聞かれると、それは違う気がしますし、
そもそも肌もくびれも、ただ白かったり、ただくびれていればいいというものではなく、
どうしたって加齢によって元の形からは乖離していきます。
では、いつ、どうやって、そういうものを手放したらいいのか。
先日、
日傘を差し、帽子を被り、かなり徹底して日差しを防御している友人とアフタヌーンティーに行ったので、
そんな話ができるかと思っていたのですが、
(グラン銀座、抹茶づくしでした。)
「私、肌はどうでもいいよ〜」
と言われました。
「暑いのがさー、ほんとに無理だから」
友人が完全防備していたのは、紫外線ではなく、普通に日光でした。
そして、鞄からうれしそうに、
「ねぇ見て見て、今年はこんなん導入してみたよ」
と、小さなハンディファンを見せてくれます。
とても小さくて、真ん中に銀色のプレートが付いています。
「これ、冷えるんだって!」
なんとなく、ちょっと冷たい風を感じます。
「重さ、どのくらいなの?」
と聞くと、
「持ってみて!200g!!」
見た目よりかなり軽く、びっくりしました。
「売り切れると困ると思って、早々にゲットしたんだ〜」
とホクホクな様子。
そのうれしそうな様子に、何だかほっこりしてしまいました。
その日もしっかり日傘を携えている友人、
私も今まで日傘を使っていなかったわけではないのですが、
友人が使っているような、裏が黒いものは使ったことがなかったので、
「そんなんで暑さ変わるのかな…」
と思いつつも、ちょっと使ってみることにしました。
涼しい…!
なんか黒いと見た目が暑苦しくない…?などと言って、明るい色の日傘ばかり使ってきたのですが、
全然違う!!
涼しい!!!
これで勢いづいて、
自分の風下の方にご迷惑を掛けそうで怖くて使えないでいたハンディファンも、
人がいない所でだけでも使ってみようかな…と思い、買ってみました。
私はsalut!で買ったのですが、
初めてペルチェ素子というものの存在を知りました。
こちらはもっと本格的に暑くなってからの最終兵器として使う予定なのですが、
使いながら、「私、今、ペルチェ効果使わせていただいてます」と、ちょっと賢そうな雰囲気を醸し出したいと思います。
さて、いつどうやって、若かりし頃美点とされていたものを手放すかについて、
友人から得られたものは、結局、
A.過去の自分の良さを手放す潔さって、なんかナチュラルで清々しくていいね!
ということでした。
でも、これと対比して、
B.できる限り保とうとする健気さ、可愛げもまたいいよね
というスタンスもあるようです。
どちらに対しても、批判的な意見はあるようで、
Aに対しては、女を捨ててる、的なことを言われるようですし、
Bに対しては、年を取ってるのにいつまでも昔の栄光に縋り付いてるのみっともない、的なことを言われるようです。
なぜこのようなダブルスタンダードが生まれてしまうのか。
思うに、これは、対象が違うことが原因であるような気がします。
恋愛市場から撤退した以上、世界に対しては、撤退したということを表明するような行動が良しとされ、もう必要のない若さのアピールは、むしろはしたないことと考えられてしまいます。
その一方、パートナーに対しては、できるだけあなたのために努力しますよ、というかわいげがよしとされる(無論お相手によるのですが)。
その二つを、同時にやることが求められているせいで、
どっちが正解よ、と混乱してしまうような気がするのです。
この二つを両立させるためには。
努力し、ひけらかさない。
外見に対して何かすごくこだわりがあり、自分らしくいるためにはこうすることが必要不可欠!という方はそれを貫けばいいと思うのですが、
私のように外見にあまりこだわりのないタイプで、ただの手段、入れ物としてしか捉えていない人は、
(「髪、長い方が好きだな」と言われたら長くするタイプです。
ただ、「坊主が好きなんだよね」と言われても、そこまでは無理です。
そこまでどうでもよくはない)
かつて好きだと言ってもらえたものはできる限り維持する努力をし、その成果をパートナー以外には見せない、というのが最も無難な年齢との付き合い方なのではないでしょうか。
とりあえず、これ以上模様が増えないように気をつけます。