ゆうべは寝言で叫んで

自分ばかりかダンナさんも起こしてしまいました。

まさかそんな大声を出すなんて。

恥ずかしい。

ごめんなさい。

頭ではもう平気になったと思っていたのに

心は壊れてしまってたんだなって。

よく分かりました。

傷ついた心と

しっかり会話してあげることが

十分に手当てしてあげるということ。

心が叫けばなくて言うように

お話しして耳を傾けます。






今年は古いパターンにけりをつけて

新しいチャレンジに取り組むことを

意識しているのですが

ふと気がついたときに

あ、何でこんな無駄なことだって明らかなことに

時間を使っちゃって、わたし!と

嫌になってしまいそうなことが多々あります。

ネガティヴな考えや、そんな感情引きづられての行動しかり

こんなことしてるくらいなら、勉強したり、運動したいのに

違う事したくなってしまう。

ダンナさんが非常に集中力があるので

好きなことを仕事にしていて(それ以外した事がない)

飽きもせずずっと打ち込んでいる姿を見るとき

すごいなって尊敬する。

自分の邪念が私の幸せを遠ざけているみたいで

そういう気持ちを封じ込めるというか

そらせようとしてましたが

やめることにします。

これからは、自分の目標に向かって

決めたことに毎日コツコツ取組む

そのかわりに

自分の邪念がもとめるものにも

1日1時間、とっくりと

浸かってよし!と決めました。

罪悪感を感じる必要はないし

それを楽しみにしてもいい

邪念にご褒美あげる

そうしたら、自分が邪念と思っている中身が見えてくる

無駄だと思っていること

こんなこと考えてるって他人には知られたくないこと

意地悪なところ

そういう薄ぐらい自分にも

付き合ってあげる

それも愛。きっと。

そう続けたら

邪念のリストは減るかもしれない

もしや、良かれと思っていたことが

リストに加わわるかも

そんな変化がきっと起きるだろうから

ますます

ワクワクします。



新年明けましておめでとうございます。
今年もこの世界の全ての人に
少しでも多くの幸せが訪れますように。

元旦から、本当に?とどなたかに聞き返したくなるような
ものすごいシンクロの連続が起きています。

今年は自分に沁みついているパターンを解体して
新しいチャレンジにどんどん取り組みたいです。

自分自身の幸せを壊そうとするタナトスな自身と向き合うことが
目下の課題であり、楽しみでもあります。

人事万事塞翁が馬


新しい職場も二日目が終了し、みなさんとても良い方ばかりで

大変快適にお仕事させていただけています。

前職の忙しさがおかしかったんだな、とあらためて実感しています。

家族のものたちからも、残業や休日出勤の多さに心配され

辞める事を促されていたけれど

責任感から、なかなか決断できないでいました。

それでも運命に後押しされるような形で、突然辞めることになり

またこれも思いがけず2週間で転職先が決定。

今回の職場は、残業ゼロ。何だかいいのかしらと思うくらい。

帰宅してからも気持ちにも体力にも余裕がある生活を

心から満喫しています。

ただ昨日は初出社だというのに

前の日に緊張していて、何だか眠れない一夜を過ごしてしまいました。

まだ夜も明けないのに目がはっきり覚めてしまったベッドの中で、

心のなかにもやーと広がる不安な気持ちを見つめていたら

またしても、嵐のように過去の記憶がこみ上げてきました。

何でこんなに長い間、思い出さずにいたんだろうと思うくらい

幼い頃の記憶が

強烈な勢いでフラッシュバックをしはじめて、

気づけばあまりの感情の波が押し寄せるなかで

泣きじゃくっていました。

だんなさんが出張中で良かった。。。

最近の私のこころは、こんな風にまるっきり忘れ去っていた

過去の記憶を急に思い出し、そのときの”傷”を見つめ直すことで

癒されようとしている、そう感じています。

この心の動き― 心が甦らせる映像のような場面や、感情から

目をそらさないで、しっかりみつめること

それは、はっきりいって簡単じゃない。

でも凄く大事な事だと分かっているので

いまはとことん、この流れに身を委ねて、従おうと思います。



幼い頃の私には “お母さん”が二人いました。

事情があって、私が幼い頃、わが家では親戚のお姉さんが2年間ほど同居していました。

かなり広い家に住んでいたのですが、どうしてそうなったのかは分かりませんが

両親とまだ赤ちゃんだった弟は母屋に住み、お姉さんと私は二人で離れに住んでいた。

両親はもともと弟をひいきしていて、私はお姉さんが来る前から

家族のなかで孤立した存在でした。

親戚たちが父の私へのあまりの厳しさと、弟を甘やかす態度の落差を心配し、

私がやせ細っているのは、父におびえているからだと気に病んでいた

というのは大人になってから知った事実です。

母もわたしにはよそよそしく、両親に滅多に甘える事ができない分

私はお姉さんとの二人の生活で、優しいお姉さんといつも一緒にいました。

でも心の中では、お姉さんの事があまり好きだと、お母さんが焼きもちを焼くのではないかと心配していた。

だから、本心ではお姉さんにも甘えきる事ができなかった。

でもそれでも毎日一緒にいて同じ部屋で寝て、私もお姉さんのすることは何でもまねしたかった。

それが、ある日突然お姉さんは自分の家族のもとに帰り、

私の生活からいなくなりました。

でも私は、お姉さんがいなくて淋しそうにしたら

両親が怒るんじゃないか(やっぱり自分たちよりお姉さんの方が好きなのか)

家族の中で、ますます自分だけ「仲間はずれ」にされてしまう。

そう恐れて、お姉さんがいなくなっても寂しがる事もしなかったし、平気を装っていた。



あのときの、ねじ曲がった、強がった気持ちが

まざまざ甦ってしまったのでした。

本当のあの頃の気もち、それはお姉さんに

行っちゃいやだって言いたかった。

淋しかった。

そう思ったら、6歳の頃の自分に戻って涙が止まらなくなってしまいました。

なんで今になって、こんなことを思い出すんだろうといっても

感情が制御不能で、嗚咽がこみ上げるほど。すごく疲れました。

でも、本当に何10年も自分の気持ちに、気づいてなかったなんて。

お姉さんの事が本当は、大好きだったんだ。

離れたくなかったんだ。

あの頃の私の、行き場の無い気持ち。

ずっと私の中にいたんだ。

今まで無かった事にしようとしてごめんね。辛かったね。



自分でも不思議に思うのが、これは現実の今のわたしとお姉さんの関係とはまったく違っているということ。。

実際、このお姉さんとはいまでも時々、交流があり、親戚づきあいもしているのです。

偶然、今日は彼女の息子のお嫁さんからも数年ぶりに連絡が会ったほど。

(でもこれは偶然ではなく、引き合わせだということも分かっています)

今のお姉さんとは、ただ親戚の一人と言う感じで、特に親しいおつきあいも

していないし、自分の気持ちに素直になっても、特別に慕う気持ちはありません。

あの頃の私のお姉さんへの強い思慕の情は、あの頃の私が抱いていたものであって

今のお姉さんに対する感情とは別のもの。

それでも私の中にずっと「置き去り」にされていてた

小さい「わたし」が、私のなかにいた。

やっと再会する事ができました。もう、いつ会いに来てくれてもいいからね。



体力と気力を使う作業ですが、

自分の心の調子が、みるみる良くなっていくのを感じます。

些細な事でも、これまで何となくやる気が起きなかったような用事を

済ませることが、苦じゃなくなってきました。

時間もかからないし、今やればあとで楽になると分かっていることが

なぜか気乗りしなくてできない、と言うことが多々あり(お片付けや、ご挨拶のメールなど)

ずっと長い間、「私ってなんでこんな簡単なことが嫌だと思うんだろう」

自分に問いかけながら答えが見つからないでいました。

自分の中で、別の人格が、足を引っ張っているような気さえしていました。

今思うと、私のなかの「小さいわたし」が、こういう場面でちょっと私に思い通りにさせないことで

私に「思い出して」と、シグナルを送っていたのだ、と思います。

今こうして、一つ一つふたをしてきた「辛い」記憶の箱をあけることが

私をとても楽にしてくれています。

もっともっと、自分を大切にしよう。

もっともっと、大事な人たちを、大切にしよう。









明日から、新しいお仕事が始まります。

凄ーく楽しみ。そしてちょっと緊張もしている。

不安と期待がないまぜになっていて、でもこういう自分も悪くないなって思えます。

昨日からお友達がお家に泊まりがけで遊びに来てくれていて、

今日ももう一泊していいか、と聞かれて

明日からの新生活に一人で準備したい事があるから、と断りました。

正直に言ってくれたほうがいい、と笑顔で言ってくれた。

ちょっと心が痛むけど、(私の心がオープンじゃない)

私も普段の私ならしにくいような、自分の意志を通したことは

素直に自分を褒めてあげたい。



昨日の夢で、かなりリアルな昔の記憶が出てきました。

9歳の時の運動会で、母が来てくれなかったことを恨んでて

夢の中で母にその事を非難すると、母は『じゃあ今から行くから』と。

「今から行っても間に合わないのに、何でそんなことをいうの」

夢の中での、時間の感覚がおかしくなっていることに気がついていて、

何でこんな昔の話をちぐはぐにしているんだろう、

そう思いながら、目が醒めました。

母が来てくれなかった運動会は、本当は9歳ではなく、10歳の時だけれど

そう言う事も朝、全部思い出して、

自分ってなんて、恨めしさが根深いんだろうと

焦ってしまうくらい恥ずかしかった。

でも、

あのときの「私は愛されていない」という苦しい気持ちは、確かに良く憶えてる

運動神経が良くて(あの頃は)、運動会ではいつも一等賞で

しかも学年で一人だけができる大役にも選ばれていて

母には私のかっこいい姿を見てほしかった。

でもなぜか母は来ないと言って、私もそれ以上は言い出せなかった。

お昼やすみに他のお友達の家族に混ぜてもらって一緒にお弁当を食べて

凄くみじめなきもちになった。

今になって、なんでこんなことを思い出すの?

恥ずかしい、そう思っても

この突然浮き上がって来た気持ちと記憶に、ふたをせずに

きちんとあの時の自分の気持ちを分かってあげたいと思った。

わたし、さみしかったね。母に、来てほしかったんだね。

そうしたら、何がどう変ったかはまだ良く分からないけれど。

今むしょうに夢の中の母に

「今から行っても間に合うよ。ありがとう。」

そう言いたくなった。



最近、自分の奥の奥の方にある

「扉」がひとつずつ現れては

それを開放していく。

そういう作業を、繰り返しています。

これってまさにいまの自分に大事なことだと

自分でも確信しています。

自分に還りながら、自分になること。

過去と、今と、未来が

みんないっしょになっていく。









自分の持っているものに感謝する

自分の体に感謝する

自分に感謝する

誰かが私にしてくれないというんじゃなく

私が私に出来ること

新しい価値を作ること
まだ荒波にもまれています。

でも、揺れる気持ち、波たつ気持ちも

それはそれ 押さえつけない むしろたぎらせて

でも微笑みは絶やしません。

胸の中は煮え立っているようなこの状況でも

頭はクールに 自分を俯瞰して見るように

常に美しい姿勢と言葉遣いを崩さない事

自然と頭の中の思考も落ち着いて

燃え立つようなエネルギーを抱えていても

自分の目標に近づくために

離れたところから見たときに、美しい女性でいられるように

そう意識するようにしています。

負のエネルギーには近寄らないようにしているけれど

時には引き込まれてしまうこともあるのは

自分にも原因があるということ。

そう認められたら

そう言うときこそ微笑み返し!










今はただ ゆだねよう。

そして、ひとつひとつ

きちんと向き合おう。

ひとりひとりが、目の前のことから目を背けないで

少しずつずれてしまった、その積み重ねを

今はそれを認めてあげることが

前に進むことに繋がる。

だんなさんがいないこの時に、立て続けに起きるから

頼りたいけど 目の前にいない

でも、気に掛けてくれるのが分かるから、すごく感謝。

一人じゃないんだな。やっぱりこの人と一緒になって良かった。

私は私のできる事を ただしよう。

大きい波の壁が、いくつも迫って来ても

濁流に飲み込まれても

まっすぐ、真正面にたって、

逃げずに受け止めます。

みんなが幸せでありますように。






毎日少しずつ

新しい何かが生まれて

育っている。

こわれてしまったもの

なくしてしまったもの

悲しくて涙が出てとまらなくて

でもそれもいつかは尽きて

そして静かになったこころにできたスペースに

また幸せの種が芽を出している。

やさしい心で

今日もたのしく。健やかに。
都心OLが理由もないのにホテルに泊まるのはなぜ?最近増えてるホテル好き女子とは


「理由もない」、「最近増えている」
最初タイトルを見たときに、少し違和感を覚えました。

ホテル業界ではかなり以前からレディースプランなので女性客をターゲットにしていますし、
「最近」というのはどうかな、と思います。


またこちらの記事を書いたのは男性ですが、「理由がない」というところに、ああ、これは男の人には理解し難い感覚なんだろうなぁ、と改めて感じました。

男性には、旅行や出張でもないのに、なぜわざわざホテルに泊まるの?と思われるのでしょう。

最近も友人と話をしていて感じたのですが、男と女の「冒険」は違う、と。

男の子は危ないことをしてみたり、遠く行ってみたりすることにスリルを感じる。

私たちは女の子の時から、乱暴なことよりも
高いヒールを履いてみたり

爪をキレイな色にしたりするのも

日常を非日常に変えてくれるような、

そういうきっかけを求めているんだと思います。

住んでいる街でも、ホテルの客室に一歩足を踏み入れたその瞬間から

世界は瞬く間に変わります。

私も、シングルの時からホテルに泊まるのが大好きです。

1人でも、ラグジュアリーなホテルに1、2泊すると、ものすごく満たされた気持ちになりました。

居心地の良さに癒され、

また1人なのにこんな贅沢なことをしてしまっていると言う

罪悪感が、たまらなく甘美で。

これこそが、私たちの求める「冒険」の本質なんじゃないか、と思うのです。

恋愛をしていない時は、良く「お1人様ホテル」をしていました。

好きなだけお風呂に入ったり

お肌の手入れをしたり

読みたかった本を読み

自分のためだけに時間を使う。

そういう時間が女性には

何よりも癒しの力になるんだと思います。