これは立体渦巻き話の中でも
意識の『限定解除』
のようなものに関する部分に
焦点をあてた
例え話のうちのひとつなのですが

一側面からしかモノゴトを
見ようとしない というだけの。
たった それだけのことが人を
どのように限定的思考の中に
閉じ込め。それが『枠』となり。
本質へと はみ出さないように
働いているか。。ということを
単純な図で簡単に
見ていってみたいと思います。
めずらしく そんな
長くないです(^^)  ほんとかなうーん

また、これも どこか 一点に
視点を集中させて考えしまうと
何も見えてこないような
雰囲気の話なので

流れ星を見ようとするときのように
空全体を俯瞰するような感覚で
読んでいただけると、もしかして
視界の端に流れ星を見る方も
いらっしゃるかもしれません。。

※見比べながら読みやすいよう
  同じ図が何度も出てきます

まず モノゴトを
『一側面から しか見ようとしない』
『多面的に見ようとしない』ような
場合の、わかりやすい象徴的な例として
あらゆる『一周』というものを
『円の上に “しか” 見ようとしない』
というものがあるのですが

それによって もつことが可能な
代表的な印象のうちのひとつに

始めと終わりが 中心であることを
『え?どこが?』と思う。
というものが、濃厚にあります。。

これというのは 
いわゆる三次元領域という
目に見える世界の中で
実際に離れて見える 現象として
この単純すぎる『図』ひとつとっても
つぶさに現れているかと思うのですが
(円の方の赤い点)ピンクだけど
※当てはめている単語は私の適当なので
  深く気にしないでください
あらゆる一周のようにみえる現象の
ひとつひとつの中には
1秒間や素粒子の中でさえ
もし別の角度から見るならば
立体渦巻きのようなものが
形成されており(私の中では)

1秒や素粒子なんて
まったく『一周していない』と
思う方も多いとは思うのですが
世の『現象』という面において
どんなに微細なものであっても
一周していないものはなく。。
ゆえに渦巻いていないものはなく。
必ず誕生から崩壊までの一周をしており

その 一周を『円の上』という
一側面 だけに見るなら
始めと終わりは中心から永久に離れて見え。
それというのは 人が
宇宙の始めと終わりが自分の中心にある
ことを思い出さない
ことに、とても象徴的に繋がっています
※あくまでも象徴的にです
また
たとえそれを『立体渦巻き』に
重ね合わせて見るときのような
発想の転換を余儀なくされる日
訪れたとして、もしそれを
横からしか見ようとしないなら
その 始めと終わりが中心である
ことは もちろん見えず
※『見え方』としての話です
始めと終わりまでもが 離れて見え
『1つの立体渦巻き』=『1つの 一周』
として見る場合、下の終始を『始め』
上の終始を『終わり』として見ています

またその立体渦巻きを
上からか 下からか
しか 見ようとしないなら
その渦巻きの中心 
始めと終わりであることを
垣間見ることはありません。。

だから何?うーん
という感じかもしれませんが
この感じというものは、あまりにも
地球上で 人の思考や意識の『枠』
として多様に働いており

 一側面からしか見ようとしない。
あるいは
多面的にモノゴトを見ようとしない。
ことによる『限定的思考』からの、
あらゆる『決めつけ』
によって『本質を見ない』
(見えないものを無いと決めつける等)
という 3D特有の経験領域でしか
経験することのできない、これは
その『経験』という意味では
とても貴重な感覚では ありますが

しかし それというのは
典型的な『枠』であり

またそういった枠のようなものは
他にも色々あるとして
それがなければ 経験不可能
である体験を
私たちは長い年月をかけて
数多くしてきました

そしてその枠の中の世界
卒業しやすい時期に来ていますが
それさえも。選べるという
無限の自由の中にいます

もし そこから意識をJUMPさせ
卒業することを選んでいる
あるいは『選びたい』と
感じている場合に
何かが起きるのを待つのではなく
自分でJUMPする。ということは
すべて自由である宇宙において
常に最優先される現実であり

たとえ『JUMPせざるを得ない』
と感じるほどの
何かが起きたときでさえ、実際に
それによって
意識をJUMPさせるかどうかを
決めるのは自分です
ゆえに拒否・拒絶も可能です

そのとき 多面的・多角的に
モノゴトを見ようとする
ことは、とても大切な要素であり
それというのは とにかく
思考と意識の『柔軟性』のことです

枠があるから見ようとしないのか
見ようとしないから枠があるのか
という部分に関しては
昔であれば前者優勢と
言いたいところでありますが
現在に於いては ひたすらに
どっちもどっち。。
という感想しかありません

また、意識をJUMPさせることを
選ぶ・選ばないの前に
カオスの中にあって選びようもない。
選べることすら知らないし
知りようもないし知りたくもない。
あるいは、知りたいと思うのに
その本質が どこにあるのか
まったくわからない。そして
わかるわけがない。
だって見たことないんだから。。

と感じている場合にも
あらゆるものごとを多面的
多角的にみようとする
柔軟性は、等しく大切です。

また このような話も
ひとつの例え話でしかない
ただの何かの『一側面』にすぎず

思考や意識の『枠』の話も
別の側面・視点からみれば
本当に小さな世界の お話です。。

私たちが
自分とは何者なのか
ということを いったん忘れ。
それを自力で思い出す。という
経験のための期間とは
現在の私たちの感覚にとって
とてつもない長さであったとはいえ
思い出してから先の これからの
無限の拡がりの中にみるとき
それは 本当に一瞬の流れ星のような
貴重な体験にすぎません。
無限と比べたら
どうしたって必然的にそうですよね。。
その視点と

全体として できる限り多くの皆さんと
共に枠からの卒業を目指すタイプの視点と
個人として固有の目指すところの視点とを
同時進行で生きながら日常生活を送り
自分の いきたい地球のそれに
意識を合わせ
寄り添って進むことは可能です
この ひとつひとつの立体渦巻きも⬆
さらに小さな立体渦巻きの連なりで出来ており。
これがまた ひとつの立体渦巻きになっており。
その立体渦巻きの連なりによって
さらなる立体渦巻きが 形成され続けている。。
というような、あくまでも個人的に思うところの
この宇宙の『現象』=『変化』
その連続性という面について
次回はもう少し具体的に どこかに焦点を合わせた
ような お話にしてみます🙂はず

立体渦巻きの元のお話⬇