まず律令制の説明からします。律令制とは律という刑罰について定めたきまりと、令という政治のしくみで天皇が全国の人々や土地を支配することを言います。江戸時代は封建制度で鎌倉時代以降はこの封建制度で国の政を行っていました。この封建制度は各藩に土地を分与し、その各藩が独自に経済や政治、社会を作っていて、中央政権型の律令制とは真逆の国家体制の事を言います。また江戸時代の経済は農業が大きく発展し農作物である、野菜や果物、お米の生産力が農地拡大により上がり、それと同時に国家の主要道路である、五街道と脇街道(脇往還)が整備、構築され陸路での荷物の輸送が容易になりました。航路では東北から日本海沿岸を通り、下関海峡から瀬戸内海に入り大坂までの西廻り航路と、東北から太平洋沿岸を通り、江戸までの東廻り航路が使われました。漁業は蝦夷地のニシン漁や九十九里浜の地引網による鰯漁などが有名で、日本各地に特産品がたくさん出来たのもこの頃です。大坂では年貢米を取り立てた俸禄米(蔵米)の貯蔵庫の蔵屋敷が梅田の少し南側に設備され、そこから庶民にお米を販売していて、江戸では札差という者が御家人や旗本から請求手形を受け取り、役所の前の藁束にその請求手形を挟み俸禄米を受け取り御家人や旗本にお米を渡したりもしていました。札差という名前の由来は藁束に請求手形を挟んだところから命名されたようです。この頃、各地で手工業が盛んになったことから、問屋制家内工業という形態の商人が出てきて、原料や資金、道具を貸して、織物や陶磁器の作製、製紙、醸造などを農民や手工業者にさせ、加工料を払って製品を買い占めお金を儲けていたそうです。現代にある様々な経済活動から産出される、色々な物品や食べ物、衣類はこの頃から日本社会に溢れ出してきて、現代に繋がっています。