巷でよく耳にする言葉。

「うつの人に頑張れと言ってはいけない」

これは、あながち間違いではないが自分の経験からすると
頑張れというワードはNGではない。
ガンバレの内容による。

うつ病人は見えないところ(頭の中)で、必死にもがくという
努力をしている。負けないように必死に心の柱にもたれかかって
踏ん張っている。

そのため、うつ病人にできない努力を求めるのがNGなのだ。
自分の話に限るかもしれないが、とても簡単に思えても、
何かができたと達成感を味わえる行動を頑張れというのなら構わない。


うつは脳のある部分が不活性状態で
暗い気分になり、ヤル気もなくなってしまう脳の病気。

そのため、 「そんなの気の持ちようだろ」 とかいうツッコミは
かなり辛い気持ちになる。


うつ病の人の支えに少しでもなってあげたいという人は
まず、うつを病気と認めてあげる事が大切になる。

悪い例として、だいぶ前になるが、
自分がツイッターでこう呟いたことがある。

「うつになって、まともな生活、特に衛生活動もできなくなってきたせいで
 肌があれ、体は痩せて、白髪も増えて髪もボロボロ、歯も痛い。
 記憶もあいまいになってきた。今まで積み上げてきたものが
 失われることで生きる自信がなくなってきた」


これに対して、ある友人(実際の知り合い)が、こう返してきた。


「自信は日々の努力の積み重ねに宿る」


みなさんは、これをどう思うだろうか。

そらそうだろ。当たり前だ。うつ病とか甘えるんじゃないと思うだろうか。
もしそう思う人は、うつ病の人に関わらないであげてほしい。

そんな事言われないでも、そうしてるよというならいいが
余計な一言を本人に伝わる可能性がある場で口にすることすら止めて欲しい。


この知り合いの言葉は、日々の努力で積み重ねてきた自信(肉体と精神)が
病気をきっかけに壊れてきていることを認めていないことになる。
さらには、もっと努力しろ病気なんか関係ない・・・と。

仮に、彼の中でそう思っていなくても、あの言葉をかけられると
自分は、そう思わずには居られなかった。


うつ病というのは脳の病気。
本人でも心の揺れを制御できない。
そのため、不意に暗い気持ちになり、普通では考えないような
ことも考えてしまうようになる。

その暗い気持ちを 「誰でもそういう時はあるよね。」 などと
一般化した悩みのように扱われると自分は病気じゃなくて
ただ、ダメな人間なのかと言われた気持ちになる。


うつを病気と認めてあげるということは、
まず、うつ病ではない人が悩んでいることとは違うと認める。
やる気が無くなってしまい動かなくなってしまっても、
それは気持ちの問題ではなく脳の病気なのだということ。


見た目にはわからない病気なので、なかなか難しいかもしれないが
少しでも、うつ病に対する理解が深まることの一助となればと思い書いてみた。
勇気を振り絞ってメールをした結果、しばらく待つと
彼から返事が来た。


どうやら、自分の勘違いで、大切な友人ですよと
答えてくれた。

とても嬉しくホッとした。
今までの苦しみが嘘だったかのように楽になった。

もっと早く連絡してみればよかったとも思った。


心の弱さが疑心暗鬼を産みだすとは、まさにその通りだと思った。
信じるには心の強さが必要なのだなと痛感した。



ただ、彼のツイートの原因についての話を聞いたが
少々、腑に落ちない点があった。

もしかしたら、自分の苦しみを知った上で
もっともらしい作り話で自分を安心させてくれたのかもしれない。


もしそうであったとしても、
自分を気遣ってくれてのことだし、そもそも、その心配すら
またもや杞憂に終わりそうな気がする。


何はともあれ、
彼は自分が感じたままの人だった。

友情とは何なのかという問いの答えは
まだまだえられないが、少しだけ近づけたような気がした。


良い人と友人になれていたことに感謝だ。
先のブログで書いた、信頼していた彼に敵視されてしまったかもしれない続き。

彼に連絡を取りたいが怖くて怖くて今までできなかった。


彼との共通の知り合いに相談しようとも思ったが
裏で動くことは不誠実と感じたためできなかった。


ついさっき、ふつふつと勇気が湧いたので
思い切って電話してみたけど、出てもらえなかった。

一瞬、無視されているのかなと悪い想像が浮かぶけど
そこで止めたら、また同じだと思い、意を決してメールで謝罪の旨を伝えた。


まだ返事はないけど、今できることを精一杯やれた。

ごめんなさい。
確かに、うつ状態にある時は、ネガティブこの上ない。

しかし、うつ状態から抜けている時は、
立ち上がろうと必死にポジティブに生活に取り組んでいる。


再起したときに、進む道の模索。

掃除・片付けなどの衛生活動。

運動や読書などの趣味。


できるだけ頑張っている。
少しでも気分が安定することを見つけて
努力しているつもり。


そんな調子が整いつつあるときに
決まって自分がやることは、外の人間とのコンタクト。

電話やメールなどなど。



一部の人を除き、決まって生まれる会話は
現状を詳細まで尋ねられ、復帰のメドや具体策を探られる。


尋ねられても、事情を説明して断ればいいが
その時の自分には、それができず一つ一つ答えてしまう。


その中で言われることは、

  「理解できないけど○○なんだろうなあ」
  「世の中の殆どの人が分かってくれないと思う」
  「再就職は難しいだろうねえ」
  「その方法は難しいんじゃないかな。失敗する場合が多いし」

などなど、否定的な答えが多い。

自分のことを案じた上で言ってくれているのだが、
そんなことは痛いほど分かっていて、それが分かっているから
日々苦しんでいるので、できれば会話もポジティブでお願いしたい。

それでも何とか答えを見つけようと
ポジティブに道を探していることは、何故か分かって貰えない。




そんなことを踏まえた上で、
精神的な病に苦しむ人を助けてあげたい場合、
病気を理解できないという前に、当人の努力を認めてあげないと
良くならものも、ならないかもしれない。

精神的に病んでいる人は、健康な人に比べとても敏感になっている。
否定的な感情は、すぐに察知してしまう。

それに加えて、とても揺さぶられやすい精神状態。

それ故、外からの刺激が否定的であれば、
病状が悪化することも多々。


精神的な病で苦しんでいる人は
その人なりの努力を必ず行なっているはず。

肉体的に動けないほど苦しんでいる場合は、
周りの目には見えないかもしれないが、
頭の中では必ず何かしら、もがいている。


少しでもそういう動きを感じ取ったら
認めてあげてほしい。


そして、当人が一番苦しみから抜け出したいのは言うまでもない。

助けてあげられる状態にあるならば
まず、接し方をポジティブにしてあげてほしい。


少なくとも、前向きになっている病人を
わざわざネガティブに陥れるケースは、減るのではないだろうか。
自己否定で飽和状態の心に、外からの否定が入ると
簡単に壊れる。

いま、開いた穴を必死に塞いでる。


死んでしまえと楽な道を思い浮かべてしまうが
それでも負けちゃダメなんだ。

がんばろう。


頑張っても否定する人は否定を続ける。

分かってほしいとは思わないが、
否定するくらいなら放っておいて欲しい。


病気の辛さや気持ちを理解するのではなく、
どのような病気なのかを理解していただけるのであれば
とても嬉しい。