「誰も知らない」「歩いても歩いても」
以来、是枝さんファンの私ですが、
劇場で是枝作品を観たことがない事に気づき
観に行ってきました!
【三度目の殺人】
出演:福山雅治、広瀬すず、役所広司 ほか
監督・脚本:是枝裕和
※以下、ネタバレ含みます
観終わった後の、
圧倒的な衝撃や迫力はありませんが
じわじわと効いてくる作品です。
最初はサスペンスだと思って観ていたんですが、
途中から「人が人を裁けるのか」というテーマを
突きつけられていることに気づきます。
娘の嘘泣きと、対比されているような
広瀬すず演じる少女の涙。
ウソとホント。
「裁く」ための殺人か、
「救う」ための殺人か。
庇っているのか、惑わせているのか。
守っているのか、弄んでいるのか。
一部と、全て。
生まれつきのものと、そうではないもの。
少女の足も彼の殺意も。
現実に潜む、対立する要素が
多様に描かれている。
人はその境目を見極めることが出来ているのか。
福山さん演じる重盛は、観客同様
その境目が見えなくなり翻弄されていく。
クールな重盛が、だんだんと被告に
のめり込んでいく。
被告に、重盛が
「ただの器…?」と投げかけるラストは、
性善説の存在に対峙する"生まれつきの存在"を
放り込んできたように思う。
理由を探したがるのは、人間の性か。
生れながら、罪悪感なく人を殺せる人なんて
いるのだろうか?
生い立ちや環境、事情、
殺害に至らせる経緯があってのことではないのか?
という思いと対峙する、存在の可能性。
それは、橋爪さん演じる重盛の父の言葉通り
"バケモノ"の存在。
人の形をしているから、
きっと中身があるはずだと思って探し回るけど
本当に何もない人っているんだよね。
サイコパスじゃないとしても。
被告がそうなのか、
そうじゃないのかはわからない。
けれど、それを見極められない私たち人間が
人間を裁くことができるのか。許されるのか。
行政的な進行を考えながら、
裁判を進める裁判官。
それに従う検事、という
システマチックな裏側が描かれていて、
否定も肯定もしない淡々さが
全てを受容してくれている。
目の前の被告は、裁かれるべき"バケモノ"なのか。
「三度目の殺人」、
被告は自分自身を「殺す」ように事を運んだのか。
「罪と向き合う」というセリフが出てくるが、
「自分を裁けるのは自分だけだ」
ということなのかもしれない。
そして、ストーリーとは全く関係ないが、
是枝さん作品は、音が好きだなぁと改めて感じた。
生活音、風の音、そこにいて聞こえる音。
