おじぃちゃんの事件簿 -281ページ目

(::´Д`){『裸だったらなにが悪い!!』SMAPの草なぎが逮捕されまんた!!

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※写真、檜町公園(東京都港区赤坂9丁目)


『SMAPの草なぎ剛、公然わいせつ容疑で逮捕』


SMAPメンバーの

  ノフリカケフリカケ丶テヘッ
  ハゲ ノノ ノノノノ カミ
 ノノ)     从ハ
(从wwww  wwww从)
(从-=・=-丶/ -=・=-从)
(从  ̄ |  ̄ 从)
从从\  ∨  /从从
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草なぎ剛(34)


が23日、公然わいせつ容疑で警視庁に逮捕された。

草なぎ容疑者は23日、午前3時ころ港区・赤坂の檜町公園で一人で

『全裸』

になって騒いでいた所を、近隣住人からの通報により駆けつけた警察官に注意されたが

『裸だったら何が悪い!!』

と、聞き入れなかったため公然わいせつ容疑で逮捕された。

※お酒に酔っていたらしい。








(::´Д`) { シャブだろ。





   突破   

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※写真、新潟県上越市浦川原区横川


『軽トラ事故で検問突破 逃走の女性、橋から飛び降り死亡』


22日午前9時45分ごろ、新潟県上越市浦川原区横川の国道253号で、工事中のため停止していた軽乗用車に軽トラックが追突。

軽トラックを運転していた女性はその場から逃走したが、検問中の県警上越署員に発見、追跡され、約1キロ先で橋から飛び降りた。


病院に搬送されたが、死亡が確認された。


同署によると、飛び降りたのは同区の無職女性(62)


事故を受けて署員が約10キロ離れた同市大島区大平で検問をしていたところ、女性の軽トラックが停止せずに突破。


署員がパトカーで追跡したが、女性は約1キロ離れた赤倉大橋の手前で軽トラックから降り、橋の欄干を乗り越えて約50メートル下の土手に飛び降りたという。


軽乗用車の女性(34)にけがはなかった。

(::´Д`){JR脱線事故の負傷女性、パラリンピック目指す!!

JR福知山線脱線事故で負傷し、今も重い脳の障害に苦しむ兵庫県西宮市の鈴木順子さん(34)が3年後のパラリンピック・ロンドン大会出場を目指し、本格的な水泳の練習に取り組んでいる…。
事故直後、ほとんど動かなかった手足は懸命のリハビリによって、平泳ぎやクロールで25メートルを泳ぎ切るまでに回復。

『事故から4年がたち、初めて持てた夢』

練習に付き添う母親のもも子さん(61)も希望に胸を膨らませている。

順子さんは現在、週2回、同県三田市内のスポーツクラブに通い、パラリンピック代表選手の指導経験もある藤井倫代コーチ(40)のレッスンを受けている。

25メートルを泳ぐごとにアドバイスをもらい、すぐに次の25メートルに飛び出すなど45分間の練習中、ほとんど休むことがない。

藤井コーチも驚くほどの熱心さだが、本人は…

『病気やけがと比べたら、気持ちの良いしんどさ』

とこともなげに話す。

事故車両の2両目から救出され、一時は生死の境をさまよった順子さんは脳を損傷し、今も高次脳機能障害による記憶障害などに悩まされる。

体の機能の衰えも激しく、リハビリのため、一昨年秋に水泳を始めたときには、腕はほとんど回らなかった。
そんな順子さんに新たな目標ができたのは昨年8月。

目の手術のために入院した順子さんに付き添っていたもも子さんが、病室でパラリンピック北京大会開会式のテレビ映像を目にした。

そこには、手や足に障害を負った水泳選手や、順子さんと同じ高次脳機能障害を抱える自転車選手が、世界の舞台で大きな声援を浴びる姿があった。

『順子にもできるかも…』
もも子さんにとって、終わりの見えないリハビリ生活の中に差し込む一筋の光だった。

母の思いに順子さんも応え、2人の夢は重なった。

『ロンドンへ行こうね』

もも子さんが語りかけると、順子さんは持ち前の明るさで…

『大変なのは私やで(笑)』

と冗談交じりに返す。

順子さんは子供のころに水泳を習い、選手養成コースにも所属した経験もあり、藤井コーチも…

『大会への出場も夢ではない』

と期待する。

夢に向かい、母娘二人三脚で走り続ける…。



(::´Д`) { 下の話を読んで、上の話を読むと、また、違った感想があると思うよ。

事故から一年間の記録(もも子さんの)を簡単にまとめたから読んでみてよ↓↓


『事故から一年もたたないうちに、この日を迎えられたのは、みんなが順子の可能性を信じてくれたおかげ。そして、これからが新しい始まり…』

事故から一年前の春。

順子さんは新たな挑戦を始めていた…。

武庫川女子短大を卒業後、派遣社員などをしていたが、四月から設計技術(CAD)の講座に通った。

パソコンを使ったデザインが得意で、「テクニカルイラストレーター」としても活動していた。

休暇を利用してスキューバダイビング、友人と過ごす楽しい時間、お気に入りの音楽。

三十歳の日常が流れていた…。


2〇〇5年4月25日。

朝、仕事のため家を出るもも子さんをパジャマ姿で見送った。

「いってらっしゃい」と二回、声をかける。

そして、大阪市内のCAD講座に行くため、身支度を始める。

手作りのお弁当をかばんに入れる。

真珠のネックレスを付け、ミニバイクでJR西宮名塩駅へ向かう。

名塩駅から宝塚駅に出て、快速電車に乗り換える。前から二両目に乗り込む。

午前9時3分、電車が宝塚駅を出発する…。


数日前、順子さんはもも子さんに、こんなことを話していた。

『お母さん、私の人生、これからどんな人生やろな。お母さんの年まで生きるとしたら…』

快速電車が尼崎市内に入った。

午前9時18分ごろ、レールを外れて大きく傾き、電車は、マンションに激突した…。

お昼のテレビニュースがJR宝塚線の脱線事故を伝えていた。

職場にいた鈴木もも子さん(58)は、そのとき初めて惨事を知る。

順子さんの携帯電話番号を押す。

つながらない。

けが人が運び込まれた病院名がテロップで流れた。

『生存者はもういないかもしれない』

絶望的な空気が漂い始めたとき、折れて大破した二両目から女性が助け出された。

順子さんだった…。

対面を終えた家族は医師の説明を受ける。

脳挫傷、ひ臓損傷、肺挫傷、腹腔内出血(ふくこうないしゅっけつ)、出血性ショック。

医師は「救出があと少し遅れたら亡くなっていました」と説明した。

脳の損傷が激しい。

「お父さん、お母さんのことが分からなくなるかもしれません。覚悟しておいてください」

と告げた。

西宮の自宅に戻ると、台所にかぼちゃの煮物が残っていた。

順子さんが作ったものだった。

家族で「これが最後の手料理になるかもしれん」と話す、煮物にはしを伸ばす、ウンッと飲み込む。涙が止まらない。

順子さんの友人や近所の人から、激励の寄せ書きや千羽鶴が次々届いた。

みんなが回復を信じていた。

しかし、順子さんは事故から二十日あまり、ベッドの上でぴくりとも動かなかった…。

5月20日、社員から連絡を受けたJR西日本の垣内剛社長=当時=が病院を訪れた。

ベッドの周りを、垣内社長と病院スタッフ、家族が囲む。

「JRの垣内です」

静まりかえった病室に声が響く。

そのとき、順子さんの目が開いた。

「目、開けましたよ!」

思わぬ出来事に声が上がる。

家族や病院スタッフは感極まって、涙を流した。

5月24日、自力呼吸ができるようになり人工呼吸器を外す。

5月29日、集中治療室を出て、救急病棟内の一般病床に移る。

6月3日、医師が言った。
「目と耳は反応していると思うので、刺激を与えてください」

少しずつ、少しずつ、回復の兆候が出ていた。

ある日、順子さんが写真を目で追う。

浜辺で犬とたたずむ女性の絵を見せてみる。

もも子さんが「順子に似てるね」と言うと、手が動く。

「お母さんやで、分かったらまばたきして」

と声をかける、パチンとまばたきをする。

6月29日、家族が病室に行くと、順子さんにつながれていた医療機器が、すべて取り外してあった…。

7月、順子さんは西宮の自宅近くの病院に転院することになった。

季節は春から夏に変わっていた…。

順子さんが小さいころ、家族の間ではけんかが絶えなかった。

大人になってからもよくぶつかった。

「お母さんは嫌い」

そんな言葉を浴びせられた。

今、目の前にいる順子さんは、赤ん坊のようにかわいらしいあくびをする。

冗談を言うと笑ってくれる。

ぎゅっと手を握ってくれる。

事故後の回復が、まるで成長しているように思える。

「本当、いとおしい。母親の幸せを感じる。母親として受け入れてもらえたように思える」

8月末、順子さんの祖母が93歳で息を引き取った。

不思議なことに、その日を境に順子さんの回復が進み始める…。

順子さんは事故現場から病院に搬送されたとき、「99%助からない」とされた。

残る1%からはい上がった。

七月末、西宮の病院でリハビリが始まった。

もも子さんは、遺伝子研究の本にあった

『愛は脳を活性化する』

という言葉を支えに、病院に通う。

呼びかけ続ける。「順ちゃん、奇跡起こそな」

8月。お盆のころ、順子さんの友人が病室を訪れた。

生まれたばかりの赤ちゃんが一緒だった。

順子さんの目から涙がこぼれる。

その様子に、もも子さんは

「この子はもう、分かってる」

と確信した。

9月2日、医師から吉報が伝えられた。

「手を握ってと言うと、ちゃんと握り返してくれます」

12月、二度目の転院が決まる。

家族は新たなリハビリに挑むことにする。

12月16日、神戸市西区の兵庫県立総合リハビリテーションセンターに移る。

プールでの水中リハビリに取り組むことになる。


年が開け、リハビリテーションセンターの、退院が2006年3月16日に決まった。

ようやく西宮の自宅に帰ることができる…。

病院での順子さんは「どーでもいい」と声を上げ、もも子さんや姉の川畑敦子さん(33)の手を引っかいた。

家に戻ってから、様子が明らかに変わった。

おむつを換えようとすると、自分で腰を上げる。

終わると、「ありがとう」と言う。

つめを立てることもなくなる。

「どーでもいい」が減り、代わりに「ありがとう」が増える。

表情も雰囲気も、穏やかになる。

ある日、もも子さんが声をかける。

「ゆっくり、これから頑張っていこうな。生きていこうな」

順子さんは…

『うん、頑張るの』

家族が一番聞きたかった一言が、順子さんの口から出る。

退院して一週間、家族は、順子さんの日々の回復ぶりに驚かされた。

3月23日。父親の正志さん(61)が「お茶、飲む?」と声をかけると、「うん飲む」と口を開け、ゴクリ。

順子さんが自分の意思で飲み込むのは初めて。

夜には蒸し穴子やヨーグルトを食べる。

翌24日、自分でスプーンを握り、デザートをどんどん口に運んで口の中をいっぱいにする。

その日の夜、順子さんは左手にペンを握り、紙に向かう。

左右に揺れながらゆっくりと手を動かし、文字を書く。

「ありがとう」

事故以来、初めて書いた言葉。

ずっと介護を続けてきた母親のもも子さんは何度も見返す。

「何よりのプレゼント」

と胸が熱くなる。

もも子さんは

「前がパーッと開けた。春が来た」

と喜び、順子さんの顔にお化粧する。

まゆ毛を整え、口紅を塗る。

鏡を見た順子さんは「かわいい」とほほ笑む。

ときに、ピースサインをつくる。

4月4日。食べ物を噛(か)んで、飲み込む練習を始める。

これまで、食事は栄養剤をチューブで流し込んでいた。

4月9日。次第に三食のうち一食は、口から食べられるようになった。

この日の昼食は、野菜の煮物、豆腐と魚のすり身のあんかけ、おかゆ。「おいしい」と食べきる。

動かしにくかった利き手の右手で、スプーンを持つこともできるようになった。

4月11日、順子さんは家族と一緒に車に乗り、満開の桜の下をゆっくり進む。

『前向きに生きてきてよかったねえ、順ちゃん』

ともも子さん。

順子さんはうなずき…

『遊びたいな、おしゃれしたいな』

と笑う。

『この一年は、順子にとっても私たち家族にとっても、再生の一年だった。次の一年は前進あるのみ。落ち込んだり、はね上がったりしながらもね』と、もも子さん。

そして、繰り返す。


『ここからが始まりよ』




(::´Д`) { ↑これからさらに月日が流れ、今は3年後パラリンピック・ロンドン大会出場に向けてがんばっている順子さん、これから3年間、順子さんはがんばり続けるでしょう、マジ俺達も負けてらんねぇよ。

3年後、俺達は再び順子さんの名前を聞くことになるでしょう…。