おじぃちゃんの事件簿 -167ページ目

焼け跡に2遺体 DV夫が無理心中か 高知

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※写真、●●夫妻が遺体で見つかった鉄骨木造の3階建て住宅=高知市北秦泉寺で2009年6月23日午後4時54分


『焼け跡に2遺体 DV夫が無理心中か 高知』


23日午前9時ごろ、高知市北秦泉寺の大工、●●さん(59)方(鉄骨木造3階建て、延べ約150平方メートル)から出火、2階の和室2部屋延べ約30平方メートルを焼いた。


焼け跡から●●さんと妻で看護師の■■さん(51)の遺体が発見され、ともに腹部に刃物で傷つけられたような跡があった。


県警高知署は外部から侵入した形跡がないことや、中西さんに一時、早苗さんへの接近禁止命令が出されるなどドメスティックバイオレンス(DV)があったことなどから、無理心中の可能性が高いとみて調べている。


同署によると、●●さんはあおむけ、■■さんは横向きの状態で8畳の和室にそれぞれ倒れていた。


家は施錠されていた。


●●さんは昨年10月、DV防止法に基づき高知地裁から■■さんへの6カ月間の接近禁止命令を受けた。


そのため、一時2人は別居していた…。


同署と高知市保健所によると、出火直前の同9時ごろ、メンタル相談窓口の同保健所健康づくり課に■■さんから相談電話があった。

保健師が対応していたところ、突然…

『やめて、やめて』

という■■さんの叫び声が聞こえ、その後声がしなくなったという。


心配した保健師と同課の男性職員が車で●●さん方に出向いたが、既に出火していたという。


近所の人の話では、2人は接近禁止命令の解けた今年4月から●●さん方で再び同居。


■■さんは日ごろから●●さんの暴力に悩み、目の上にあざを付けていたこともあり、「夫はおかしい」と周りに相談をしていた。



●●さんも■■さんの交友関係で周りに相談をしていたという。




出火前の午前6時過ぎには、2人で仲良く犬を散歩させている姿が目撃されており、●●さんは…


『今日は病院に行く日』


と話していたという。



同署は2人の遺体を司法解剖して詳しい死因などを調べる。


 

水戸の女性遺体発見、「同僚の男が暴力」行方不明前に被害届

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※写真中央、茨城県水戸市中河内町


『水戸の女性遺体発見、「同僚の男が暴力」行方不明前に被害届』


水戸市中河内町の那珂川で22日に遺体で発見された茨城県ひたちなか市枝川、パート●●さん(40)が、行方不明になる3日前に、パート先の同僚の男(23)から暴力を受けていると被害届を出していたことが23日、茨城県警の調べでわかった。


発表によると、同僚の男は、16日未明に●●さん宅が全焼し、●●さんの夫と次女が重軽傷を負った火災の後…


『火を付けた』


と水戸署に出頭。


県警幹部によると、●●さんは暴力について県警に相談、12日に被害届が受理されたが、15日から行方不明になった。


司法解剖で●●さんは水死と判明。


県警は、やけどで入院中の男が回復し次第、夫らに対する殺人未遂容疑などで逮捕し、●●さんの死についても調べる方針。


 

沖縄、64年目の祈り 慰霊の日

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※写真、沖縄戦戦没者の名が刻まれた平和の礎に手を合わせる遺族ら=沖縄県糸満市摩文仁で2009年6月23日


(::´Д`){昭和20年の沖縄戦では住民を巻き込んだ地上戦の末、犠牲者が20万人を超え、沖縄県民の4人に1人が命を落としました。

沖縄戦、住民は必然的に戦火に巻き込まれ。

地下壕(ごう)に逃げ込んでいた住民を日本の軍人が追い出したり,敵に見つかるからといって泣いている赤ん坊を殺したりもしました。

沖縄各地で起こった集団自決は日本軍の命令があったか否かについて論争が起こってますが、日本軍の命令があったと自決から生き残った方々の証言が数多くあります。


沖縄戦は…

「『軍隊は第一に軍隊を守る,住民は二の次ぎ,三の次ぎ』という軍隊の本質をものの見事に立証した戦争」


生き残った住民は…


『米軍より日本軍が怖かった…』


と語る人もいます。


少し長くなりますが(コピペだけど)ぜひ最後まで読んでみて下さい。



●『沖縄、64年目の祈り 慰霊の日』


第二次大戦末期の激しい地上戦の舞台となった沖縄戦から64年の「慰霊の日」を迎えた23日、最後の激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園で

『沖縄全戦没者追悼式』

(沖縄県主催)

が開かれ、麻生太郎首相ら約4500人が参列して20万人以上という犠牲者の冥福を祈り、平和を誓った。


追悼式では正午の時報を合図に黙祷(もくとう)をささげ、遺族代表らの献花の後、仲井真弘多知事が…

「沖縄戦の実相と教訓を胸に刻み、平和を希求してやまない『沖縄のこころ』を礎に、世界の恒久平和の確立を目指す」


と平和宣言した。


麻生首相はあいさつで…


『今日の日本の平和と繁栄が、戦没者の尊い犠牲の上に築かれているということを忘れたことはない』

などと述べた。


さらに地元から要望が強い不発弾対策にも触れ…


「いまだ多くの不発弾が埋没していることを心に刻まなければならない。県民の不安を解消すべく『不発弾等対策安全基金』を設置したが、対策を着実に推進する」


とした。


これに先立ち、南城市立大里小6年の憲太君(11)が、姉を亡くした祖母の体験をもとにした自作の詩「平和のいのり」を朗読した。


●『<沖縄慰霊の日>麻生首相や遺族らが参列 祈りをささげる』


沖縄は23日、沖縄の全戦没者の霊を慰める「慰霊の日」を迎えた。


太平洋戦争末期の1945(昭和20)年のこの日、沖縄で3カ月近く続いた旧日本軍の組織的戦闘が終わった。


糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園では、県主催の「沖縄全戦没者追悼式」が営まれ、麻生太郎首相や遺族ら約4500人が参列し、鎮魂の祈りをささげた。


酸鼻を極めた地上戦から64年。


『沖縄には県面積の1割以上、約2万3300ヘクタールの米軍基地が存在する』


ほとんどは米軍専用施設で、全国の74.2%が沖縄に集中する。


一方、今年1月には糸満市で不発弾が爆発し2人が重軽傷を負った。


『不発弾は3000トン近くが残ると推定』


されており、戦争の負の遺産は今も重くのしかかる。


麻生首相は式典で不発弾事故被害者への見舞いの言葉を述べたうえで「県民の不安を解消すべく引き続き不発弾対策を着実に推進する」と話した。


基地問題については…

「県民の負担軽減に向け全力で取り組む」

としたが…


『政府と沖縄で滑走路建設位置の交渉が続く米軍普天間飛行場移設には触れなかった』



仲井真弘多(なかいまひろかず)沖縄県知事はこれに先立つ平和宣言で


『依然として沖縄には広大な米軍基地が集中し、事件・事故が後を絶たないばかりか、今でも地中に残る不発弾に県民は危険にさらされている』


と述べ、基地の整理縮小と不発弾の早期処理の必要性を強調した。



『沖縄県は不発弾探査の全額国負担を求めているが、実現していない』



公園内にある犠牲者名を刻んだ平和の礎(いしじ)には今年、123人の名前が追加刻銘された。


95年の設置以降、追加刻銘は年々減少しており、今年は初めて海外の刻銘者がなかった。


総刻銘者数は24万856人。



◇仲井真弘多沖縄県知事の平和宣言

私たちの愛する郷土沖縄は、苛烈(かれつ)を極めた地上戦の場となり、20万人余りの尊い命が失われた。
私たちはこの悲惨な体験から戦争の愚かさ、命の尊さ、平和の大切さという教訓を学んだ。

戦後、私たちは焼け野が原から立ち上がり、懸命に復興に取り組んできた。

しかし、戦後64年を経たにもかかわらず、依然として沖縄には広大な米軍基地が集中し、そこから派生する事件・事故が後を絶たないばかりか、今でも地中に残る不発弾に県民は危険にさらされ、不安を感じている。

県民の目に見える形での負担を軽減するため、日米両政府に基地の整理縮小や日米地位協定の見直しを今後も粘り強く訴え、不発弾の早期処理についても政府と連携して取り組んでいく。

慰霊の日にあたり、すべての戦没者の御霊(みたま)に哀悼の誠をささげる。

沖縄戦の実相と教訓を胸に刻み、平和を愛してやまない「沖縄のこころ」を礎に、恒久平和の確立を目指し、県民の英知を結集し、ここ沖縄の地で全力でまい進することを宣言する。



◇麻生首相のあいさつ

戦没者の御霊(みたま)に対し、謹んで哀悼の誠をささげる。

沖縄は一般住民を巻き込んだ苛烈(かれつ)な戦場となり、20万人もの尊い命が失われた。悲痛の念を禁じ得ない。

沖縄は戦後、県民の努力により多くの困難を乗り越え、力強い発展を遂げた。

我が国において最も出生率が高く、最も平均年齢が若く、アジアとの懸け橋として成長力を秘めた県でもある。政府として引き続き沖縄の振興に力を尽くす。
1月、糸満市で不発弾事故が発生した。

被害に遭われた方々に改めて心よりお見舞い申し上げる。

沖縄の地に、いまだ多くの不発弾が埋没していることを心に刻まねばならない。

「不発弾等対策安全基金」

を設置したが、引き続き不発弾対策を着実に推進する。

また米軍施設の集中は、県民の大きな負担となっている。

負担軽減に向け、地元の切実な声をうかがいながら全力を挙げて取り組む。

日本の平和と繁栄が、戦没者の尊い犠牲の上に築かれていることを私は忘れたことはない。

再び戦争の惨禍を繰り返してはならない。



●『慰霊の日・ひめゆり慰霊祭』


沖縄戦で負傷した兵士の看護などにあたり多くの犠牲者を出した

『ひめゆり学徒隊』

とその同窓生の慰霊祭が糸満市で開かれました。

ひめゆり学徒隊は那覇市にあった沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校の生徒と教師からなる学徒隊で同窓生を含め、227人が犠牲になりました。

糸満市のひめゆりの塔では23日慰霊祭が開かれ、およそ600人が参加しました。

この中で、元学徒で戦争の証言を続けている宮城喜久子(みやぎ・きくこ)さんが…


『戦争を語り継ぐ若い世代が育ちつつあります。平和で戦争のない世界を目指し、戦争の実相を語り継いでいくことを誓います』


と追悼の言葉を述べました。


このあと、卒業生を送るために作られたものの戦争で歌うことのできなかった「別れの曲(うた)」を、同窓生や那覇市の高校生らが歌い亡くなった人の霊を慰めました。


ひめゆりの同窓生たちが戦後設立した資料館はきょうで開館から20年をむかえ、戦争の記憶を後世に伝えようと世代交代の試みが進められています。


ひめゆり平和祈念資料館の本村(もとむら)つる館長は…


『開館から20年でひめゆりの塔の改修など様々な整備を進めてきた。こうした整備を通じて戦争のない世界を作るという開館の目的を若い世代につなげていきたい』


と話していました。



●『慰霊の日・八重山で慰霊祭』


慰霊の日の23日、八重山地方でも各地で戦争でなくなった人たちの追悼式が行われました。

八重山地方では、太平洋戦争の末期…


『軍の命令によって住民がマラリアの発生する地域に強制的に移住させられて、過酷な条件の中で3600人あまりがなくなりました』


石垣市石垣(いしがき)のバンナ公園にある、戦争マラリアの犠牲者の慰霊之碑の前では追悼式が行われ、およそ300人が集まりました。


式では、参列者全員で黙とうがささげられたあと、地元の遺族会の篠原武夫(しのはら・たけお)会長が、強制避難させられた地で、マラリアで亡くなった人たちが横たわる中で生活したことなどを話し、こうした事実を八重山平和祈念館などと協力して後世に正しく伝える重要性を訴えました。


このあと、ソプラノ歌手の西浦晴美(にしうら・はるみ)さんが、慰霊の日にあわせて歌われる「月桃」や、波照間島での戦争マラリアで亡くなった人たちへの鎮魂歌の「ハテルマ・ハテルマ」を追悼の思いを込めて歌いました。


最後に参列者で焼香を行い、戦争マラリアの犠牲者のめい福を祈りました。


●『慰霊の日・なごらん慰霊祭』


名護市では沖縄戦で看護要員などとして動員された元学徒たちと、その後輩にあたる高校生たちが合同で慰霊祭を開きました。


名護市の名護高校で開かれた慰霊祭は、名護高校とその前身の県立第三中学校と第三高等女学校の卒業生らが合同で行ったもので、およそ280人が出席しました。


戦時中…


『2つの学校の多くの生徒が通信や看護に携わる学徒として動員され、あわせて375人の在校生や卒業生らが犠牲となりました』


慰霊祭では卒業生を代表して、玉城勲(たまき・いさお)さんが…


『今なお、戦争の深い傷が癒やされていないことを語り継がなければいけません。過ちを2度と繰り返さないことを誓い、戦争反対を強く訴えます』


と読み上げました。


このあと、高校生たちが当時の校歌を演奏すると、卒業生の女性たちは当時の状況を思い出すように校歌を口ずさんでいました。


戦争で同級生や親戚を亡くした80代の女性は…


『戦争ほどむなしくてばかげたことはないと思います。子と孫も連れて来ましたが、みんなが仲よくすれば戦争は起こるはずがないということを伝えたいです』


と話していました。


また高校3年生の女子生徒は…


『涙ぐむ遺族をみて、つらかったのだろうと感じました。心に傷を負うことになるので、戦争は繰り返してはいけないと思いました』


と話していました。