広汎性発達障害 ADHD & 自閉症スペクトラム -96ページ目

広汎性発達障害 ADHD & 自閉症スペクトラム

34歳で友達に病院に連れて行かれ、診断された。最初は困惑、動揺、受け入れられない日々だったが、処方された薬も調整して、2年ほどで気持ちが落ち着いた。
気持ちや考えがコロコロ変わる為、ブログ内で矛盾があったらすみません。

もっと、自分で考えなくちゃ。
今はスナフキンに頼りっぱなしで、自分の意思が無い。
なんでも考えてくれる。なんでも調べてくれる。
でも、私に必要なのは自分で考えること。考える時間。

今まで、ADHDの特徴でもある芸術的才能を嫌悪し、封印した。
自分がADHDであることを受け入れたくないから。
母親からは、また絵を描くように勧められていたけど、適当に断ってきた。

絵描きになれるほどの才能ではなく、ただ好きなだけ。

でも、褒められることも多く、人よりは上手いと思っていた。
絵を少し上手く描けるなんてのは出来て当然で、出来ないというのは凡人だ、と井の中の蛙の私は子供のくせにエラく天狗になっていた。

あの時、自分より優れた人たちにたくさん会う機会があればよかったな、と思う。早く天狗の鼻を折っておけば良かった。

でも、才能がないことは分かっていた。
というより、負ける試合をするのが怖かった。
美大には挑戦しなかった。

そしてその後、ADHDの人が美術、芸術に優れていると聞いて、自分の才能を嫌悪し始めた。

自分が好きなこと否定して、自分が自分であることを否定して、何か得られるものはあっただろうか。

私は普通の家庭で育ちたかった。
子供の時は分からなかったけど、うちは普通の家庭ではなかった。
無意識で、普通になりたい、普通の家庭に育ちたいと願っていた。

親を否定し、自分を否定し、得られるものはあっただろうか。

両親は、それでも子供のために自分ができることはしてきた。
それこそ体当たりで。

思うように出来ないことはたくさんあったと思う。
家でゴロゴロすることが大好きで性格が弱い父は職場でバカにされ、リストラにも遭い、病気もして、それでも働いてきた。母にお尻叩かれて仕方なくだけどね。
母もやはり職場ではバカにされ笑い者にされてたけど、負けん気の強い性格でなんとか頑張ってる。

私は?
私は逃げてきた。
自分はもっとできるはず、自分はもっとマシなはず、私にはこんな場所はふさわしくないと。

でもね、面接も落ちたし、私も普通の人になることがふさわしくなかったんだな、と思った。

これマイナス思考かな。

言霊とかって、言ったことや思ったことがその通りになると言われたけど、そう思っちゃうんだもの。どうしたらいいのよ。
これを否定したらまた自分を否定することじゃないのかな。

これから先、どうしたらいいんだろ。
とりあえず、どうしたらいいんだろ。

自分にできること、向いてること。
ADHDに向いてる職業でさ、弁護士とかの専門職とかってよく書かれてるけどさ、そんな頭ないっつーの
ほんとに笑っちゃうんだけど。今更だし。
頭ない人はどうしたらいいの

とりあえずね、可能性を広げるためにもまた絵を描いてみることにした。下手だけどね。

そうしたら、今よりは人生カラフルになるし、この先も少しは見えるかなって。

あと、自分ができることは出来るって認めよう

あと、今まで切り捨ててきた友達だけど、今繋がってる友達を大切にしたい。
だって、今の私と繋がってくれてるんだもん。
大切で、特別な存在
そう思える自分、好きかも

この歳になって、やっと心に血が通ってきた気がする。治療してきた結果かな。病院の先生や薬を作ってくれた人に感謝だな

自分が持ってる弱さがわかってきて、大切にしなきゃいけないものが分かってきて。
やっと人間らしくなってきたな
少しずつだけど。
いい病院に行けてよかった。

あと、今後の私の人生のすすめ方については、自分で考えなくちゃいけない。
どう生きるか、どうなら生きていけるか。
頑張れることは何か。
頑張っても出来ないのは何か。
もっと自分を知って行こう。