30年以上前、80年代の学生時代に私はバンドで歌っていました。

 

その頃、人には言えない大きな挫折があり絶望を感じた時、救ってくれたのが音楽でした。歌を歌えば、まだ息をして生きている証拠となりました。だから、歌を歌い続けました。

 

歌と音楽で生計を立てたかった私は、母から「音楽はお金にならない」の一言で挫折。学校を卒業して、ふつうの仕事をするようになり、人生の大きな波に流されて今に至りました。

 

それから30年以上たって、若い頃移ってきたアメリカですっかり年を取り、今年は早期引退。昔を懐かしく思い出すようになりました。そして。。。。急に昔のバンドのメンバーだった人から突然メールで連絡が入り、再び交流が始まりました。

 

私たちは今、そのバンドのリーダー・ギタリストの方(かずおさん)や、ほかのメンバーの方たちの消息を探しています。Oちゃんから言われるまで、バンドの名前すら忘れていました。恭子&たそがれベイブ。ユーチューブにビデオが10年ほど前に載せられたようです。

 

私たちの活動場所は名古屋でした。バンドリーダーでレコード・楽器店に勤務していたかずおさん、そして 茂雄君(ベース?)、龍夫君(ドラム?)、きよこちゃん(キーボード?)、歌のバックのOちゃんとたえちゃん。もう一人背の高いベースの人が別にいた気がします。きよこちゃんはオルガンの先生だったかな?(間違っているかも。。。)ご主人が背の高いベースマンで昼間はペンキ塗装業ということでした。大垣方面?(定かでない。。。)に出向いて、その二人とバンドとは別に音合わせした覚えがあります。二人はオリジナルの曲をたくさん持っていて、「つま恋」のミュージックキャンプに行っていたと聞いたような気がします。

 

さて、Oちゃんとはつながりました。後のメンバーの消息も探せます様に。。。神様においのりしながら、このブログを始めました。

 

今年初め、主人には今年から引退するので、これまでやり残したことをやる年にしたいから、歌を再開すると言ったのです。数年前からの知り合いでオリジナルのゴスペルミュージカルを書く友人から、彼女の歌を歌わないかと先週電話がありました。そして、Oちゃんからの突然の連絡で、あの音楽に燃えていたころの思い出が蘇りました。Oちゃんの優しい言葉に心がとても動きました。人生はもうほとんど終わったと思ったこの年になって、若い時に死んでしまった夢は、神様の御手で息を吹き返し復活をみるのでしょうか。。。まだわかりませんが、運命を強く感じます。

 

私と主人は、今老人シニアの集まるクラブに週に一度通っています。毎日のようにローカルのミュージシャン、おもしろい話やクラフトの催し物がある楽しいクラブです。そこで私たちがそのうちに音楽の余興をするように頼まれています。

 

神様が与えてくださったこのクラブは「象牙の船」、このきっかけを作ってくれたOちゃんは「銀のかい」。歌を忘れたこのカナリヤは、この春、また歌を歌い始めることができるでしょうか。

 

(「カナリヤ」西條八十作詞)

 

 唄を忘れたカナリヤは

 象牙の船に銀の櫂〈かい〉

 月夜の海に浮べれば

 忘れた唄をおもいだす

 

*個人情報が悪用されないよう、名前だけを載せることにしています。