活動という形式は、目標達成までに人との摩擦や衝突、すなわち争いが生じないようにするためにしようという知恵の現れなんだと思います。

でも、まだまだ不十分です。

活動を開始する前の段階でも色々と考えておかないと、摩擦や衝突、争いが生じないよう一生懸命頑張り続ける事が難しいのです。

それは、家庭外の争いを家に持ち込み、家庭内でさえ冷戦、熱戦、様々な争いの場となり、それを避けようと思って心が疲れきってしまう事がたくさんあるからです。

本来、親子は決して争いを好みあう関係性では無いはずなんですが、今現在はそうはなっていません。

だから、優しい人ほど疲弊しきってめちゃくちゃになってしまうんです。

その原因は、会社の上にいる人が邪心に満ちている人が多いからです。

人として正しい心、素直な心の理屈では。

「人をもっと自由に助けたいから、上に行きたい。」

僕は道を歩いていて痛感しました。政治家ならきっと声を掛けられても幸せな気持ちになるんだろうなと。

知名度の問題ですね。テレビとか出ていれば、声を掛けても誰だかすぐ分かってもらえますからね。

でも、今上にいる人は、下にいると損ばかりするからとか、下にいると自由が少なすぎるとか、結局は自分の事ばかりなんです。

それでは争いが巻き起こるのも当たり前です。その人の下にいる事に納得している人がほとんどいないのですから。

それはいずれ必ず爆発します。爆発しないように耐えろという声も聞きますが。

どうしても納得できないという感情は、不公平を決して許さないという人の良心から生まれるものです、それを全否定するという事は、争いを徹底して避ける事を重視していれば何のために生きているのか分からなくなってしまうんです。

どうしても納得できないという感情を全否定してでもどうにか頑張ろうとすると、争いが楽しみに代わり、たくさん争えるから生きるという事になってしまうんです。その事に気付いていない人があまりに多すぎる。」