中井昭・高橋勝とコロラティーノ LPアルバム「思案橋ブルース」より | ムード歌謡やあれこれ日記

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思案橋ブルース ~魅惑のシルバリーヴォイス~

 

*コロラティーノ 長崎から東京へ

68年の歌謡界の流れをつらぬいている二つの大きな特徴は、ムード歌謡コーラスの大活躍と「〇〇ブルース」といったご当地ソングの大流行でした。その中でも、その土地の人が作った歌をその土地の人が歌い、レコードで大ヒットしたのは、長崎市のコロラティーノだけです。そういった意味でも非常にユニークな存在といえましょう。

長崎市のクラブ十二番館を根城にショーステージをやっていたコロラティーノの「思案橋ブルース」が、長崎放送のラジオをきっかけにコロムビアにスカウトされ、レコード界にデビューしたのは68年4月でした。

発売後まもない夏のある日、私は平凡編集部で、リードボーカルの中井さんとインタビューしたことがあります。そのとき「歌がヒットしだして、東京での仕事も増えてきたことでしょう。これからどうなさるんですか?」ときいてみました。

「僕たちは長崎の人間です。コロムビアからお話があったときも、一生の記念に1枚ぐらい自分たちのレコードを吹き込むのもいいだろうという気持ちでおうけしました。売れてきたという話も聞いています。すごく嬉しいです。でも東京で全面的に芸能活動しようという気持ちは今のところありません。やはり、僕たちは長崎の人間ですから」そう語る中井さんの初印象は、朴訥という言葉がピッタリの感じでした。

ところが、中井さんのその気持ちに関係なく、レコードの売れ行きは日に日に上昇、そうなると彼らの身辺も、テレビやステージなどで多忙になるばかりでした。「思案橋ブルース」は68年10月末で、ついに100万枚突破という大ヒットになりました。

今ではコロラティーノは、長崎のアイドルから、日本の歌謡コーラスのトップクラスを行く人気グループです。ついこの間まで「東京に進出するなど思ってもみなかった」彼らでしたが、、いまでは「ぼくたちの歌を全国の人たちが拍手で迎えてくれるんだ」と思うとファイト猛然!家族も恋人も長崎においたまま、全員東京に本拠をかまえての大奮戦です。

*コロラティーノの6人の仲間たち

コロはラテン語でコーラスの意味。中井昭の美しい高音にちなんでコロラチュラ(女声の最高音)のコロ。またリーダーの高橋勝のニックネームがコロ。いまではコロムビアのコロという人もいます。ラティーノはグループの得意なラテンミュージックの、ラテンという意味です。

★高橋勝(リーダー/エレクトーン)昭和9年10月12日生まれ。石炭の街、山口県宇部市出身。中井流の紹介で表現すれば「貫禄十分、体重十分、顔が不十分」ということですが、さすがはリーダー、東京での多難な芸能活動に全員を引っ張ってきたのはこの人の人徳あればこそ。石炭の街の生まれだけあって色黒であだ名がクロ、それがいつの間にかなまってコロになりました。福岡の米軍キャンプで活躍中の4年前、中井昭と語らってコロラティーノを結成。色白の夫人と、お嬢さんが二人、長崎に帰ればいいパパです。

★中井昭(リードボーカル)昭和11年7月8日生まれ。下関市出身。お父さんは高校の校長先生「すごく厳しい家庭だった」とご本人はいいますが、それにしてはのびのびとよく大きく育ったものです。14年ぐらい前、下関のクラブに見習いとしてアルバイトしていたとき、そこでプロのギタリストとして活動していたのが、今のリーダー高橋勝だそうですから、古い付き合いです。最初はクラブで司会者などをやっていて、歌は後から始めました。それにしても彼のボーカルは天下一品。最高Bフラット(歌謡曲の女性歌手が出せる最高音)まで出るという高音の魅力と音域の広さは、日本歌謡界で随一でしょう。長崎には奥さんと、童顔の彼をそのまま小さくしたような坊やが一人います。童顔といえば、彼のニックネームはベビー。

★川原弘(フルート/サックス)昭和14年10月23日生まれ。長崎市の原爆で家族を亡くした悲しい生い立ちです。音楽の勉強のため上京。18歳の頃、すでにジャズフェスティバルの新人紹介などに推薦されたほどの優れた感覚を持った努力家です。以前はトランペットを吹いていましたが、ある日食べていた豚汁の中に石があって、前歯を折ってしまいました。そのためアルトサックスに転向。「思案橋ブルース」をはじめ、このグループのレパートリーの数多くの作品を作詞、作曲している才人。若い人たちの面倒をよくみるので、みんなから「兄ちゃん」というあだ名をプレゼントされました。

★山下昭二(ギター)昭和17年8月31日生まれ。前職は北九州小倉のデパート宣伝部員。徳山で楽団の仕事をしていた5年前、中井昭と知り合い、コロラティーノ結成と同時に参加しました。フラメンコギターの名手。松山英太郎に似ているので、ニックネームはエータロー。

★菊地宏典(ベース)昭和16年3月24日生まれ。他の5人はみんな、中国、九州の出身者なのに、この人だけは、ずーと離れた岩手県の生まれ。東京―広島と楽団生活。広島で中井昭にスカウトされました。愛称はオキク。グループでただ一人の独身者。コロラティーノ随一のハンサムを自称「自分でいうんだから一番確かだよ」

★浜島純昭(ドラム)昭和18年5月10日生まれ。鹿児島の魚屋の若旦那ですが、音楽に情熱を燃やし、この道に入りました。メンバーの中の最年少なのに、もう奥さんの間に一子あり、すごい子煩悩なだけに、東京暮らしはチョッピリ淋しそう。しかしファイトは満々。ドラムソロのテクニックは抜群です。愛称は浜ちゃん。

 

★思案橋ブルース メンバーの川原弘さんの作詞作曲。思案橋は長崎の有名な盛り場の地名。昔は遊郭のあったところ。「行こうか戻ろうか」と遊客が思案をした橋があったそうです。  

解説/「平凡」編集長・斎藤茂