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地味に稀に更新していたりしますのでよかったら見ていってください。
http://blog.livedoor.jp/ricflair16times/
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2012年6月10日 QunQunイベント@ゆめタウン中津
http://blog.livedoor.jp/ricflair16times/archives/51878530.html
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パソコン驚異の10年史
先日図書館から借りてきた「パソコン驚異の10年史」(講談社ブルーバックス、片貝孝夫・平川敬子 著)という本について、表計算ソフトの歴史について書かれた部分をテキスト起こししてみました。
電子書籍としてまとめるほどでもないし、でもせっかく起こしたのだから何かの資料的な役に立つかもしれないしで、アップすることにしました。
以下、全部転載です。
電子書籍としてまとめるほどでもないし、でもせっかく起こしたのだから何かの資料的な役に立つかもしれないしで、アップすることにしました。
以下、全部転載です。
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1:表計算ソフトの系譜
1979年、米国アップル・コンピュータ(通称、アップル)社のAppleⅡ(アップル・ツー)上で動く表計算ソフ卜「VisiCalc(ビジカルク)」がソフトウェアハウスのビジコープ社から発売された。趣味の世界のマイコンが、ビジネスツールとしてのパソコンになるための約束手形が発行されたのである。
「VisiCalc」は、パソコンの最も正しい使い方を教えてくれたソフトウェアだった。これまでBASIC(ベーシック)言語を使いこなせなくてパソコンから遠ざかっていたり、パソコンに近付けなかったビジネスマンに「VisiCalc」は大いなる福音であった。
「VisiCalc」によってAppleⅡが売れた。優れたソフトの動くハードが売れる、そんな時代の幕開けであった。
表計算ソフトは、「VisiCalc」から「Super Calc(スーパーカルク)」へ、そして「Multiplan(マルチプラン)」、1-2-3 (ワン・ツー・スリー)」へと発展をとげ、1988年現在に至るまで、パソコンのビジネス活用を支援する、最も重要なソフトウェアとして全世界で活用されている。
(この章では本来の表計算ソフトの他に、表計算的要素を含んでいるものであれば、表計算ソフトと銘打ってなくても取り上げた。たとえば「PIPS(ビップス)」や「PC-PAL(ピーシー・パル)」などである)。
●「PlPS」の誕生
米国で「VisiCalc」が作られているころ、東京江戸川区新小岩にあるソード社の本社でも、簡易言語「PIPS(ピップス)」が作られていた。1979年の話である。筆者はそのころ大型コンピュータのソフトウェアハウスにいて、新規事業の企画の仕事をしていた。そこで「PIPS」と出会ったのである。日本でもこんな斬新なアイデアでソフトを作る会社があったのかといたく感心した。ソードという名前の由来がソフトとハードをくっつけて作ったものだという話も、見学した新小岩の小さな「PIPS」の開発室で聞いた。
「PIPS」は「VisiCalc」と同じように、ユーザーの発想から生まれ、ソード社が製作したソフトである。考案したのは、日本銀行統計局の望月宏(もちづき ひろし)氏。1977年、仕事のために個人的に購入したパソコンでBASICを使用していた氏は、いちいちプログラムを組む煩わしさから解放されたくて「PIPS」を考えたという。同じような悩みを持っていた三和仏商社長、長谷川郁祐(はせがわ ゆうすけ)氏の協力によって「PIPS」は完成し、1978年12月からソードのユーザー会で流通し始めた。ソード社内で生産管理業務に使用したところ評判が良かったので、改良を加え、翌年量販されるようになったのだった。その後ソードの屋台骨を支えるソフトウェア商品として「PIPS-Ⅱ」、「スーパーPIPS」と成長し一世をふうびすることになった。
「PIPS」は単なる表計算ソフトではなく、簡単な事務処理のシステムが簡単に開発できる簡易言語だったので、BASICに挫折した多くの人々が「PIPS」に飛びついた。これなら使えるという感触を持った人がたくさんいた。経営コンサルタントや税理士、公認会計士のようにコンピュータソフトの専門ではないが、なんとかコンピュータを自分の意思のままに使いたいと思っていた人々も「PIPS」に目を付けてビジネスを展開していった。
「PIPS」が画期的なソフトウェアだったのと、椎名尭慶(しいな たかよし)社長や長谷川氏のカリスマ的な性格から(と思うが)、はたから見ていると、「PIPS」を知った人々は、あたかもPIPS信者のように見えた。「PIPS」の世界は一種独得の世界のようであった。
「PIPS」はその後、その思想を受け継ぎ更に発展させ、1984年からリコーの「マイツール」として大きく花を開かせている。
● 表計算ソフトとは?
米国で「VisiCalc」に付けられた一般名称は、スプレッドシート(spread sheet:「広げた紙」)というものだった。日本的に言えば汎用集計用紙といったとこちだ。われわれはA4とかB4の用紙を使って、さまざまな集計表を作る。形式は自由自在だ。用紙の中に収まりさえすればよいので、工夫を凝らしてレイアウトする。そこに記入される数字は他から転記される場合とその表の中の数字どうしで算出され記入されるものがある。このときの計算式は頭の中にあり、レイアウトされた表だけ見ても、その仕事を知らない人は集計表を完成させることはできない。「VisiCalc」に代表されるスプレッドシートは、手でやるのと同じように自由に表のレイアウトを画面上で行った上、さらに計算式を埋め込んでおくというものだ。
こうすることによって、素データをキーボードから入れることにより、合計、平均、その他の計算式が自動的に働いて瞬時に集計表が出来上がる。この機能だけで機械を作れば、さしずめ「二次元電卓」とか「プログラマブル表電卓」という名称の機械になると思うが、そんなイメージのソフトだ。
日本では、初めのころ、表計算ソフトでもデータベースソフトでも簡易システム開発言語でも総称して「簡易言語」と呼んでいた。筆者のようなコンビュータサイドの者が分類した結果、用途からではなくソフトウェアの種類的な観点から分類したのでこうなってしまった。素直に用途から分類すれば、表計算ソフトという名前が最初から付いたと思われる。簡易言語という表現を止めようと主張したのは『日経パソコン』編集部だった。米国ではそのような呼び方はないということと、そもそも用途から分けるべきだというのが主張の根拠だった。
●BASICに行き詰まってユーザーが自力で開発した表計算ソフト
ところで日本では、BASIC言語に行き詰まって表計算ソフトを独自に開発した会社があった。明治乳業では「SOS : Support Officeworks System」という名称の表計算ソフトを自社開発した。1978年からパソコンを仕事に使って効果をあげていた同社は、1980年全国の事業所に70台のパソコンを導入し、BASIC言語を五泊六日の研修で教えてパソコン活用の普及を図った.しかし、結果は無残なもので、パソコンをBASICで使えるのは、技術計算などを必要とする一部の人たちか、マニアックな人たちだった。
「SOS」は「PIPS」ライクなソフトであり、これによってこれまでパソコンを使えなかった人も使えるようになり、明治乳業のパソコン活用は飛躍的に進んだ。開発にあたって調べたのは「PIPS」と日本に入ってきたばかりの「VisiCalc」だった。「PIPS」は素人ユーザーにはむずかしいと思い、「VisiCalc」は独立したセル同士の計算をするという構造のため、ソート機能がないので独自に開発することにしたのだ。
また、味の素でも、PC-8001(ピーシー・はっせんいち)用に自社開発した「VisiCalc」のようなソフトに「平面電卓」という名前を与えて社内で便利に使っていた時期があった。花王でもそんな時代があった。
いまでこそ、表計算ソフトを自社開発するようなユーザーはないが、ソフトは自分で作るもの
●表計算ソフトをはじめて作ったのはハードメーカー
ところで、本来のスプレッドシートを作ったのは、ソフトウェアハウスではなく、ハードメーカーだった。富士通のF9450(エフ・きゅうよんごーまる)のための「EPOCALC(エポカルク)」、日本電気のN5200(エヌ・ごせんにひゃく)のための「LANPLAN(ランプラン)」がそうだ。
ただしこれらのパソコンは、パソコンというより大型コンピュータの端末としてのイメージが強く、大衆的ではない。しかし、「EPOCALC」も「LANPLAN」も非常に良くできており、それぞれ「EPOC(エポック)シリーズ」、「LAN(ラン)シリーズ」の一連の汎用ソフトウェア体系の中の中核ソフトとなっている。ちなみに「EPOCALC」は1982年の春、「LANPLAN」は1982年の夏から出荷されている。
これらのソフトはいわゆるパソコンショップなどでは売っておらず、メーカー直販か、専門のディーラーからハードと共に購入することになる。
ところで、メーカーが自社で汎用ソフトを作ることは両刃の剣であるということに触れておこう。
ソードは「PIPS」によって栄えたが「PIPS」によって滅んだといっても過言ではない。ソードに「PIPS」があるために、ソフトウェアハウスはソードのパソコン向けに汎用ソフトを作っても、顧客が振り向いてくれないことが予想される。ソードのパソコンでは業務用のソフトは作るが、汎用ソフトは作らなかったのである。
いや実は、作った会社があった。パワーボックスという会社が、ソードのM223向けにシステム開発用ソフト「OL/1(オーエルワン)」を作った。当時の「PIPS」を凌ぐ出来ばえだったが、思ったとおりほとんど売れずに倒産してしまった。1982年か83年の話である。"ソフトなければただの箱"と豪語していたソードだが、「PIPS」しか育たない体質になってしまったのである。
つまり、ハードメーカーが汎用ソフトを自社ブランドで出すときは、心してバージョンアップを図っていかないと、その分野にソフトウェアハウスのソフトが参入することはできないから、気が付いたときには時代遅れのソフトを後生大事に売っていたということになる。のんびりしていると「EPOCALC」も「LANPLAN」も例外ではなくなる。
●たくさんあったif800の表計算ソフト
一九八〇年に発売された沖電気のif800モデル20は、8インチの1メガバイトフロッピーが使え、プリンターも内蔵しており十分にビジネスに使えるものであった。価格が130万円位したので、おいそれと買える価格ではなかったが、ビジネスソフトを開発しているソフトウェアハウスにとって、if800は、すこぶる食指の動かされる機種だった。
ソフトウェアテクノロジー社の「ALL-MIGHTY(オール・マイティー)」や、ヴァル研究所の「ぱぴるす」はif800ならではの世界を見せてくれた。日本マイコンの「HOAPS(ホープス)」もif800のソフトだった。「VisiCalc」の次に米国で生まれたソーシム社の「Super Calc(スーバーカルク)」もif800にのってきた。if800からスタートしたビジネスソフトは多かったのである。
しかしif800は、発売当初こそかなり売れたが、価格が高いのと、オールインワンタイプ一体型)のため、周辺機器メーカーが安い周辺機器を出せなかったこと、ソフトウェアが比較的高価だったことなどから日本電気のPC-8801などに押されて衰退していった。ソフトウェアハウスは、if800でつちかった技術とノウハウを生かしてPC-8801やPC-9801(ピーシー・きゅうはちまるいち)へ、それらのソフトを移植して成功していったものも多い。
●「Multiplan」の登場
米国のマイクロソフト社が、16ビット・パソコン用表計算ソフトとして「Multiplan」を作った。それをいち早く導入したのが日本で最初の一六ビット・パソコン「MULTI16(マルチ・じゅうろく)」を作った三菱電機だ。1982年4月のことである。 三菱電機の「Multiplan」は、最初はカタカナしか使えなかったが、しばらくして漢字化され、非常に見栄えのする表が作れるようになり、表計算ソフトも本格的な漢字の時代に入っていった。このころ、日本のマイクロソフト社の初代社長である古川享(ふるかわ すすむ)氏は、まだアスキーの社員だった。アスキーは米マイクロソフトと提携していたので、古川氏はアスキーの社員として「Multiplan」を三菱電機に売り込んだのである。古川氏も、まさか後に自分が社長になる会社の商品を売っているとは思いもよらなかったことだろう。「PIPS」が漢字化されたのもこの年だった。
●PC-9801と「Multiplan」
1982年暮れから出荷開始されたPC-9801(ピーシー・きゅうはちまるいち)は、本格的に日本語が使える待望の大衆パソコンだった。OSとしてMS-DOS(エムエス・ドス)が使えるようになり、IBM PC(アイビーエム・ビーシー)上のソフトが移植しやすくなった。表計算ソフトの最右翼にいる「Multiplan」は早速、日本電気とアスキーの両方から発売された。「Multiplan」時代の到来である。
さすがに「Multiplan」の威力はすごく、1983年の暮れには、すでに使用しているソフトの調査で「PC-PAL」を抜いてPC-9801の表計算ソフトのトップに立った。一般的には、83年は、これまでの8ビット・パソコン用ソフトを、 16ビット用に切り替える年で、水面下ではし烈な開発競争が続いていた年だが、新製品はあまり出ていない。
この年の、使用している表計算ソフトの統計を見てみよう。第一位が「PIPS」。これに迫っているのがパナファコムと富士通の「EPOCALC-J(エポカルク・ジェイ)」。次が日本電気の「LANPLAN」。そして四番手に「Multiplan」が入っている。以下、「PC-PAL」、「AP-1」、「PARAM」、「PARM」、「VisiCalc」、「BMCALC」、「ALL-MIGHTY」、「Super Calc」という順序になっている。
上位三種類のソフトは、それぞれメーカーの戦略ソフトであることを考えると「Multiplan」がいかに短期間で売れたかがわかろうというものだ。
1983年は日本アイ・ビー・エムのIBM5550(アイビーエム・ごーごーごーまる)が発売された年でもあり、これにも「Multiplan」が搭載された。以後「Multiplan」は、MS-DOSベースの16ビット・パソコンにはほとんど搭載されることになる。
●表計算ソフトが安心して使える時代の到来
1984年は、業界全体がレベルアップされ、実用に堪えないようなソフトの入り込む余地はなくなって、そろそろ成熟した一般の業界の仲間入りができるほどになってきた。
米国ではアップル社から32ビット・パソコンのMacintosh(マッキントッシュ)が発売され、プルダウンメニューとマウスそしてアイコンを組み合わせた操作環境が提供された。
この環境はゼロックスのパロアルト研究所で開発されたもので、そこからアップル社に移った技術者がAppleでLisaを作り、次いでマッキントッシュを作った。マイクロソフト社はマッキントッシュの開発当初から参画し、その操作環境上で動く表計算ソフト「EXCEL(エクセル)」を完成させた。
●「1-2-3」の日本上陸
「1-2-3」の日本語化は、日本語ワードプロセッサ「松」を作った管理工学研究所が行った。管理工学研究所が「1-2-3」を日本で販売するために日本語化を図ったのではなく、ロータス社からの外注先として日本語化作業を担当したのである。ロータス社は、「1-2-3」を単に日本語が扱えるようにするのではなく、日本人が作った表計算ソフトのように日本語化しようとした。そのためには、管理工学研究所のような日本語処理に強い会社に日本語化を委託したかったに違いない。
管理工学研究所では、ソース・プログラムから直して行く作業だったようだ。ソースを開示するということから、管理工学研究所は、ロータス社に対して、おなじようなソフトを独自で開発発売することはない、という契約書にサインしたという話を聞いた。それほど深く「1-2-3」の内容に立ち入って日本語化したということだろう。
日本語化を開始したのは1985年。発売にこぎつけたのは1986年の9月。日本語化のために一年以上を費やしたことになる。出来上がったソフトは「1-2-3」と全く同じものではなく、日本語文化になじんだ新しいソフト、「1-2-3リリース2J」だった。
●表計算ソフトの売れ行きランキング
ここまできたところで、PC-9801用表計算ソフトが一応出そろった1984年下期よりの表計算ソフトの売れ行きランキングを、『日経パソコン』の調査から拾ってみよう。
「Multiplan」は1984年下期から、「1-2-3」にその座を譲る1987年春までずっと1位の座を保ち続けた。特に、三次元演算やマクロ機能が付加された2.0バージョンを出した1986年は、ワープロソフトなどを含んだ総合ランキングでも2位に位置するなど、相当に売れている。
「1-2-3」はというと、 1986年12月に2位に付けて、翌年の5月には1位になっている。しかもこのときは、ワープロソフトなどを含む総合でも1位になっている。「Multiplan」はこのとき、サムシンググッドの「Ninja(ニンジャ)」にも抜かれて3位に落ちてしまった。
他のソフトでは「PC-PAL」と「Super Calc」が善戦している。そのほかのソフトは、発売当初一時的に売れても、すぐに圏外に去ってしまう。新規参入の非常にむずかしい分野になってきたと言えるだろう。しかも「1-2-3」、「Multiplan」、「Super Calc」ともアメリカの製品である。パソコンソフト御三家と呼ばれる、ワープロ、表計算、データベースのうち、さすがにワープロだけは日本製だが、表計算とデータベースはアメリカに抑えられてしまっている。われわれが斬新なソフトを考えようとすると、それ以上のソフトが形になってアメリカから入ってくる。これが一九八七年の状況だ。そして、他の分野では、輸出大国として国際的な大問題になっているが、パソコンソフトでは、我が国は世界一の輸入大国であろう。
●日本での「1-2-3」と「Multiplan」
日本での「Multiplan」は1982年からの実績があった。それに比へて「1-2-3」は、1986年の秋にやっと日本市場にお目見えした。そして一年半が経過した。以来、確かに毎月の売上では「1-2-3」が「Multiplan」の売上を上回っている。これからスプレッドシートを購入する入は、価格は高いが機能的にも高い「1-2-3」を選ぶケースが多いようだ。これは自然だろう。しかし日本では米国のように、雪崩現象は起きなかった。これまで「Multiplan」を使っていた入にとって、「1-2-3」に切り替えるだけのインパクトはないようだ。
しかし、新規に購入する人は「1-2-3」が多くなるので、このまま推移すれば表計算ソフトは「1-2-3」という時代が来るかも知れない。
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