私の親戚にあたる人が亡くなり葬儀に行った。その人は知る人ぞ知る子ケシ作りのいわゆる芸術家といわれる。故人のうちには大小合わせて無数ともいえるコケシが置いてあり、中には高さが推定1メートルもあるコケシもあった。故人の家系の親族達も集まり昔話に華が咲いた。かなり昔に会ってから何十年も会えなかった人とも色々な話ができ楽しい時間だった。
不思議なもので故人の悲しい死をキッカケに親戚、親族が一堂に会し和やかで楽しげな時間を共有できるのは不思議な瞬間だった。
悲しむべきは亡き故人の存在であって、残された人はその共有できる時間と悲しみを借りて団結しまた会う約束をする。弔いとは故人を送り出すとともに皆んなの気持ちをひとつにする為の儀式なんだと思った。女性人には大変なご苦労をかけたが。