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| 「どんぐりと山猫」作・宮沢賢治、絵・高野玲子(偕成社)の表紙(左)と乙葉しおりさん |
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こんにちは、今回ご紹介する1冊は、宮沢賢治さんの「どんぐりと山猫」です。
このお話は1921年9月に執筆された後、24年、宮沢賢治さんの生前に出版された唯一の童話集「注文の多い料理店」に収録、出版されました。
ある秋の夕暮れ、一郎の家に「山ねこ」から宛てられた、書き間違いだらけのおかしな便りが届けられました。
「明日面倒な裁判があるので来てほしい」と書かれたそのはがきに一郎は大層喜び、翌朝彼のもとへと出かけます。
途中、栗の木や笛吹きの滝、白いきのこにリスと、山猫の居場所を訪ね歩いてようやくたどり着いた黄金色の草地。
そこには「山猫さまの馬車別当(馬の世話をする人:厩務=きゅうむ=員のこと)」を名乗る、背の低いひとつ目の男。
そして、山猫が登場すると、どこからともなくたくさんのどんぐりも集まってきました。
果たして、どんぐりが訴える裁判の内容とは……?
このお話を、宮沢賢治さんご本人はこう紹介されています。
「山猫拝と書いたおかしな葉書が来たので、こどもが山の風の中へ出かけてゆくはなし。必ず比較をされなけれはならないいまの学童たちの内奥からの反響です」(原文まま)
「いまの学童たちの内奥からの反響」という言葉は、実際に農学校で3年以上教壇に立った宮沢賢治さんならではと言えそうですが、実は農学校の先生になるのはこのお話を書いた2カ月後の1921年11月で、少なくとも作品を書いた時点では「いまの学童たち」を知らなかったことになるんです。
でも、このお話が発表されたのは童話集の出版の時、執筆から3年以上たった1924年の12月で、本人の紹介文も同時期に書かれたものです。
宮沢賢治さんは一つの作品を深く推敲(すいこう)することで知られています。
「銀河鉄道の夜」を7年推敲したほどですから、このお話も数々の推敲のもとに成り立っていると考えられないでしょうか?
残念ながら、「銀河鉄道の夜」と違って未定稿が見つかっていないために推測でしかありませんが、もし推敲前のお話があったとしたら、どう変わっていったのか、ぜひ見比べてみたいですよね。
「この記事の著作権はまんたんウェブに帰属します。」
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