第56回 第2ボタンとサイン帖 | 『虹のかなたに』

『虹のかなたに』

たぶんぼやきがほとんどですm(__)m

 またしても卒業にまつわる話で恐縮だが、三月ということでご寛恕願いたい。
 
 さて、「卒業ソング」の定番と言えば何であろうか。昨今の歌謡曲にはとんと疎いのだが、レミオロメンの『3月9日』とか、いきものがかりの『YELL』『歩いていこう』とかなら思い浮かべることができるし、アンジェラ・アキの『手紙』あたりは今なお歌われているのかもしれない。しかし、団塊ジュニア世代にとっての名曲として、私は柏原芳恵の『春なのに』を挙げたい。
 
 卒業ソングというのはできるだけ希望に満ちた曲であることが求められるものだが、その中にあって『春なのに』ほど、報われぬ恋心を唄った痛切な曲もあるまい。「卒業だけが理由でしょうか 会えなくなるねと右手を出して 淋しくなるよ それだけですか 向こうで友達呼んでますね」と冒頭のここだけでも胸が張り裂けそうな想いに駆られるが、「春なのにお別れですか 春なのに涙がこぼれます 春なのに 春なのに 溜め息またひとつ」などと唄われては、聴いているこちらの涙がこぼれそうになる。そして、「記念にくださいボタンをひとつ 青い空に捨てますぅぅぅ!!」のくだりに至っては感情が昂るあまり、血管が切れそうになるではないか。
 
 小学校の時に、卒業式とは別に、「6年生を送る会」なるイベントが催され、1年生から順番に5年生まで、各クラスが6年生に向けて出し物をしていた。3年生のとき、学級会で、その出し物を何にするかについて議論することになった。賛成多数で、わらべの『めだかの兄妹』を歌うことに決まりそうになったが、9歳の私は手を高らかに挙げて異議を唱えた。理由その1。「1年A組がそれをやることに決しているのに、なぜ3年の我々が同じ出し物で下級生相手に勝負を挑まねばならぬのか」。理由その2。「チュンチュン、ニャンニャン、スイスイなどと歌って踊ることが、卒業生の門出を祝うことと一体何の関係があるのか」。ならば対案を出せと言われて提起したのが、前述の『春なのに』である。ある企画をつけて言上し、一転、満場一致でこの案が可決された。その企画とは、「青い空に捨てますぅぅぅ!!」のところで、ボタンをあしらった牛乳キャップに大量の紙吹雪を添えて、お世話になったお兄さんお姉さんたちを目掛けて投げつけるというものである。当日、会の終了後、我々は会場だった体育館の清掃を仰せつかり、担任は6年生の教室まで行って謝罪したそうであるが、この先生もそろそろ定年を迎えているはずで、私の提案が38年に亙る教師生活の汚点となっていないことを切に願いたい。
 
 ということで、卒業式と切っても切り離せないアイテムは、何と言っても「制服の第2ボタン」である。昨今ではブレザーの制服も多く、学校によっては学ランだがファスナー方式という、第2ボタンを巡る男子と女子の逢瀬を阻止しようとする学校側の思惑としか思えない狂気の沙汰も目にするが、やはり、卒業式の絵になるのは、正統派の詰襟学生服であろう。モテキャラの筆頭たる男子は、第2ボタンどころか5つとも全部毟り取られるし、それを想定して事前にボタンをいくつも用意してばら撒くという周到なことまでやっていたものである。
 
 ウチの中学校では、さらに受注生産制のプラスチック製の名札まで持っていかれる風習があって、女子からオーダーがあれば購買部に走って注文し、出来上がったら、担任から「よっ、色男!」の掛け声とともに渡されるのが、その時期の日常の風景でもあった。かく申す私も、妹を介して後輩から所望を受けたことがあり、「これで自分も色男の仲間入り!」と沸き立ったものであるが、聞けば「カッコいい先輩への憧れ」などではなく、「文ちゃん(=妹の名)のお兄ちゃんは面白いから」とのこと。当時から所詮、私は芸人扱いである。
 
 ところでもう一つ、私が小学校から高校の時分にかけて、卒業シーズンになると風物詩的に行き交っていたものに「サイン帖」がある。卒業も間際になって今更、氏名だの生年月日だの血液型だの趣味だのと自己紹介のようなものを書かされるのもどうかと思いつつ、しかし一方で、普通、こういうものを書いてくれとせがむ側は女子なので、女子同士のやり取りはさておき、男子にとって、女子からこれを書いてほしいと言われるかどうかは、制服の第2ボタンと双璧を成す“男子の沽券”に関わる問題であった。中には誰からも書いてほしいと言われない哀れな男子もいる訳で、おそらく多くの男子はそのことで胸にさざめきを立てていたのではないかと推察される。
 
 その辺の心情の機微をよく描いたものに、『僕はジャングルに住みたい』という江國香織の短篇がある。小学6年生の主人公の恭介が、卒業を前に、密かに想いを寄せる野村さんからサイン帖を書いてほしいと言われ、初めは「絶対、書いてなんかやるもんか」と言っていたのだが、中学は別々の学校になり、野村さんに会えなくことに思いを致し、あれこれ逡巡の末、「野村さんへ。俺たちに明日はない。暮林恭介」とだけ書いて渡す、というストーリーだ。およそ小学生とは思えぬハードボイルドな男子であるが、いやいやどうして、「嫌よ嫌よも好きのうち」「好きな子なればこそ意地悪をする」という、これをこそ、ハックルベリー・ラブの真骨頂と言わずして何とせんや。
 
 サイン帖というのは、表面には大概フォーマットがあって、項目に従って記入していけばよい方式であるが、裏面はフリースペースになっているものが多かった。男子で筆まめな者などそうそういる訳もなく、何を書けばよいのかに頭を悩ませた人も少なくないだろう。前出の恭介のようにニヒルなことをぽつりと書く者もいれば、悪筆故に文字を書くことを躊躇して、ガンダムやら北斗の拳やらとイラストで埋める者もいた。中には「うんこ」と大書する無法者もいて、卒業を目前にして一気に株を下げる惨劇を目にしたこともある。
 
 そんな「サイン帖」であるが、最近の子どもたちは、サイン帖のやり取りなどあまりしないようで、それどころかそんなものの存在を知らない子も多いらしい。こんなこと一つ取っても、時代の流れを痛感せずにはおれず、昭和を生きた者にとって、サイン帖は一つの青春の輝きであったと言えるかもしれない。私の書いたサイン帖、彼女たちは今も大切に持ってくれているのであろうか。何を書いたのかも大層気懸かりであるので、お持ちの方はぜひ、ご一報を願いたい。