小林一茶の句に「初夢に故郷を見て涙かな」というのがある。仕事柄、年末年始の休暇が長くなく、また夫婦ともにサービス業に従事するものだから互いの休みは元旦しか一致せず、出掛けるとしてもせいぜい近場の初詣でくらいで、後は専ら「食う・飲む・寝る」の三拍子である。以前にも記したように、方々をジプシーの如くに渡り歩いてきた人間であるから、故郷がどこなのかと問われると答えに窮するのであるが、mixiやFacebook、TwitterなどのSNSで「友達」の近況を見ていると、この時期は特に、同窓会で懐かしき人たちとの邂逅に盛り上がる模様がアップされることが多く、涙が出るとまでは言わないが、しかし、心底羨ましく思う。
それはそうとして、昔から、新年の営みは何であっても一々「初○○」や「○○始め(初め)」と言う。試みに手元の辞書で調べてみると、前者には「初売り」「初買い」「初観音」「初時雨」「初天神」「初登り」「初風呂」「初詣で」「初笑い」などがあり、後者では「歌会始め」「着衣(きそ)始め」「御用始め」「手斧(ちょうな)始め」「読書始め」「湯殿始め」「弓場(ゆば)始め」「連歌始め」「謡(うたい)初め」「書き初め」「鍬初め」「乗馬初め」「出初め」「縫い初め」「乗り初め」「履き初め」「弾き初め」「結い初め」などが挙げられている。中には「姫始め」のようないかがわしい語もあって吃驚するのだが、その例外を除けば多くが宮中行事を中心とした雅語であることが関係するのか、これらが縁起物のように言われている。初めて時雨が降っても縁起が良い。初めて縫い物をやっても縁起が良い。初めて髪を結わえても縁起が良い。何につけても「めでたい」を連呼するのであるから、日本人というのは元来、古今東西どちら様も、ポジティブな人種なのであろう。
しかし私の場合、「初風呂」は、前夜の大晦日、自宅で飲み過ぎてそのまま眠りに落ち、そのまま昼過ぎまで惰眠を貪ってその起き抜けに爆発頭を押さえながら入ったのであり、「初詣で」は日も暮れようとする中、重い体を引き摺りながら周りの強い勧めで宝塚の清荒神に厄除けの祈祷に行ったのであって、いずれにしても縁起担ぎとは全くの無縁である。因みに厄除けに関しては、今年が前厄ということでしぶしぶ行ったのであるが、中学生で特発性腎出血、二十歳もそこそこで腎臓結石(これを端緒として以降4回)、一昨年には逆流性食道炎、そして昨秋には胃潰瘍で大量吐血と、いずれものた打ち回るような痛み苦しみと闘うという大概の災厄に既に見舞われているのであって、今更大枚を叩いて厄除けというのは遅きに失する感がないでもないが、この辺りは還暦を過ぎた方々の勧めに従うのが、若輩者のあるべき姿というものであろう。
翌日2日は、家人は「初出勤」で早々に家を出てゆき、一人家に引き籠もって一層自堕落な生活を送っている。大丸で「山田洋次監督『東京家族』タイアップおせち」を、21,000円も奮発して購入、最低4日間は一切の食費の支出を控え、朝昼晩の3食、徹頭徹尾これのみを食するつもりでいたのだが、2日目にして早くも飽きてしまい、この先3日間の我が家の食生活は苦行そのものである。それでも少しはあっさりしたものをと思い、自宅の前のセブンイレブンに行った。何とこのご時世では「カップ雑煮」なるものが存在するのである。手軽でありながら正月らしくてええがな、と思い、缶チューハイとともにレジへ持参。電子マネーであるnanacoで決済しようと思うとエラー音が。店員曰く、「残高不足です」と。少額の買い物なのだからnanacoだけで十分と高を括ったのが大失敗、「すみません、財布取ってきますからこのまま置いておいてください……」と消え入るような声で詫びを入れ、脱兎のごとくに自宅へ走った。とんだ「初買い」である。
怠惰な生活を送っていることへの罰が当たったのだと思い、引き籠もるにしてもちょっとは文化的なことをしようではないかと一念発起、久々に「書き初め」でもやってみようと思い立った。何を隠そう、15年ほど前までは、年賀状は毛筆で認(したた)めていたものである。と言っても「謹賀新年」「賀正」といった文字の箇所のみであるが。しかし、書道の心得がない者にとって、「賀正」はまだよいのであるが、「謹賀新年」の「謹」を筆で書くのは案外に難しい。縦横の直線のみでしなかやさがないくせに画数だけは多いという難儀な文字だからだ。素人の私でもそれなりに美しく書けたのは「頌春」である。意味はよく分からないが何となく格調高そうな語に見えるし、自己満悦に浸りながら100枚余りをすらすらと書いてのけた。しかし、無知な私は、「頌春」ということばは、目上の人に宛てた賀状に用いてはならぬものだとつゆ知らず、誰かに教えてもらって大いに恥じ入り、翌年から筆書き自体を止めたのであった。だから筆を執るのはそれ以来である。
さて、どんな文字を書こうかね、と考え倦ねているうちに、小学校のときの冬休みの宿題で、同じように頭を抱えたのを思い出した。漢字や計算のドリルと違って時間のかかるものではないから、書くこと自体は全く苦ではないのだが、ことばを選ぶのに大層悩んだ。「初日の出」「お正月」などではありきたりだし、「お年玉」「集金」では生々しい。そう言えば年末に行った播州赤穂では義士祭の前夜祭をやっていて、地元の小学生たちが忠臣蔵にまつわることばを半紙に記し、それを行燈にして赤穂城址を静かに照らすというイベントをやっていた。多くの子は「忠義」「義士」「うち入り」などと定番のことばを書き、中には「山鹿素行」「陣だいこ」などとレベルの高いものもあったが、ひときわ異彩を放っていたのが、小5の子が書いていた次のものである。
「切腹」
浅野内匠頭の無念を、300年以上も後の小学生が、ここまで力強く、また凄味を持って表現していることに、私は大いなる感銘を受けた。内匠頭も、草葉の陰でさぞ感涙に咽んでいることであろう。平成の世にも忠義の士は健在であり、書き初めもこのくらいのインパクトあることを書きたいものであるが、所詮凡庸な私にそんなものが思いつくはずもなく、そういう発想力の欠損はアラフォーの今とて変わるものでもない。それに15年間触れたことのない筆や墨汁が何処に行ったとも知れない、いや、当然、引っ越し時に捨てているはずなのであって、それでは書こうにも書けぬではないか。半紙も硯も文鎮もないわい。
已んぬるかな、やはり大人しく、「食う・飲む・寝る」に徹するしかないようだ。私の「仕事始め」は5日であるが、無事社会復帰できるか、甚だ不安である。