最近よく聞かれることなので断りを入れておこうと思うのですが......
決して作家になりたいわけではありません。
と同時に、私は歌手になりたいわけでもないし、コンポーザーになりたいわけでもありません。
ましてや薬剤師としてどうこうなりたいなんてのも、実は思っていないのです。
(なんて言ったらダメなんですけどね、自己研鑽がうんちゃらかんちゃらって習ったので......)
もともとカテゴライズされるのをとても嫌う人間なので、歌を始めたときからシンガーソングライターは名乗っていません。
私の名刺を持っている方はご存知かと思いますが、裏面には
「生きる」を歌うアーティスト
と書かれているはずです。
いやいや、一緒でしょ?
と思うかもしれませんが、私の中では大きく違うのですよ。
一応。
目的と手段の話をするときりがないのですが、歌や文章や仕事は私にとっては手段であり、目的ではないということです、面倒な性格で本当にすみません。
では私にとっての目的ってなんなの?
それは「生きる」ことです。
どこまでも面倒な奴ですね。
もしも私がもう一人いたら、絶対に友達にならないよ。
この面倒な性格は物心ついた時にはもう始まっていて、3歳くらいで既に「いきるいみ」とか「うまれたりゆう」とかそんなことを考えていたように記憶しています。
まわりの大人の回答は全て子供だましのように感じて、ひどく落胆したものです。
3歳からアイデンティティをこじらせた女の子が天真爛漫に育つはずもなく、ほぼほぼ暗闇の中を駆け抜けた思春期でした。
大げさに語れる身の上話があったらいいのに。
そう思うくらいに、私の抱える不幸話は陳腐で面白みのないものでした。
そこにアイデンティティをねじ込むほどでもない、ありきたりな話は行き場を失い、私の中で炎症反応を残したままです。
18歳になった私は家を出て、遠く離れた大学に進学しました。
移り住んだ福岡という土地は私の知らないことに溢れた、魅力的な街でした。
そこでいろいろな価値観にふれながら、あるときふと思ったのです。
「私と同じ炎症を抱えた人は、世の中に必ず存在する」と。
ならばそれを発信するしかありません。
整骨院に通うおばあちゃんが
「雨の日は膝が痛みますね」
「ほんとほんと、梅雨の時期は憂鬱でしょうがない」
なんてニコニコしながら話している、そんな感覚。
自分の不幸を切り売りしているわけでもなく、何かメッセージを伝えたいわけでもなく、ただ示したいのです、「ここにもいるよ」と。
きっとそれは、私と同じ炎症を抱えた人を癒すことができると思うのです。
だから私は生きて、できるだけ多くのことを形にして残したい。
暗闇を照らす光になんてなれないけど、駆け抜けた足跡くらいは残したっていいでしょう?
格好よくなんかなくたって。
だから歌うことを始めました。
天神にはたくさんの人がいて、そこで歌えば立ち止まってくれる人がいました。
歌う歌は自分で作ることにしました。
ちょうど良く私の事を表現できる歌はそんなにないので、作る方が手っ取り早いと思ったからです。
それからは、たくさんの友達ができました。
写真で撮ってもらうということも経験しました。
SNSの発達に乗っかって、まだ見ぬ人とのつながりもできました。
そして、文章を書くことを始めました。
ようやく、自分自身の炎症を鎮める薬を見つけたような気がしています。
目を背けることなく、「ここか、どれどれ」と優しく薬を塗ってやる、そんな作業に思えてなりません。
残念ながら、文章は読んでもらわなければそれで終わり。
だからこそ、最後まで読んでもらえた方のお薬になりたいし、私の薬では癒せなかったとしても「ちちんぷいぷい」くらいにはなれたらな、と思うわけです。
いや、ここまで長文読んで頂いて、本当にありがとうございます。
つまり何が言いたいのかというと、
私なんて何者でもいいじゃないか!
ということです。
肩書きにとらわれて「こうでなきゃいけない」なんてルールを自分に課すのは性に合わないのです。
実はこれから始めようと思っているプロジェクトがあって、あ、いや、プロジェクトなんていう大層なものではないのだけれど、もっとこの感覚を共有できたらなって思っているわけです。
「2足目のわらじプロジェクト」と勝手に呼んでいて、まだ仲間の協力を募っていく段階なのだけど、やりたくて仕方がないのです。
人生を走り抜けるためのランニングシューズだけじゃなくて、ちょっとコンビニまで行くためのクロックスだって、浴衣に合わせる下駄だって、背伸びして手に入れたハイヒールだって、持っていていいと思うんです。
まだまだこの先も、きっといろんなことに手を出します。
欲深いって、幸せなことです。
でもその幸せを感じることができるのは、見守ってくれるみなさんがいるからです。
本当にありがとうございます。
こんなに長文を読んで頂いたことにも感謝しなければなりません。
重ね重ね、ありがとうございます。
ここまでお付き合いいただいた皆様に図々しくもうひとつだけお願いが......
「最後まで読んだよ」のしるしに
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ではまた

と、感じるようになったのは、最近かもしれません。
よく思い出す3年前の今頃、本当にごはんが美味しくなかった。
お米を食べても、発泡スチロールを噛んでいる感覚。
もしくは砂利ね。
それが普通になってたから、食べるのが苦痛とかではなかったけど。
私は時々
「お米ちょぼちょぼ食べよくけん...」
という表現を使うことがありますが、この時のお米はだいたい発泡スチロールかな。
今はほとんど、ちゃんと『ごはん』を食べてます。
モグモグ美味しく食べてます。
おかげで肥えてしまったけれど。
決して豪華でなくても「美味しい」と思えるごはんを食べる事ができるし、
心から楽しいと思えることも増えてきた。
まだまだ
闇へ引き摺り下ろそうとする手に、両足は掴まれたままだけど、
振り払おうとする手まで掴まれるくらいなら
いっそ切り捨てる勇気も必要なんじゃないかと思う。
今なら、逆立ちしたって歩ける気がする。
太陽の下へおいでよと呼ぶ声が聞こえるうちに。
さあ、お米を研ぎましょうかね。
明日も美味しいごはんが食べられますように。
