同じ「言語」だと思ってそれに甘えるから「誤解」がうまれる。
こんばんは!
「着たい服」をオシャレに着るためのスタイリスト 奥野敬子です^^
大学の時、短期の交換留学で
カルフォルニアから来ていた学生の
お世話をしていたことがありました。
チューターという呼ばれ方をするんですが、
こちらでの生活に不便がないよう
サポートさせてもらっていました。
その中の一人を
腹痛で病院に連れていったことがありました。
さて、付き添ったは良いものの、
私には「お腹がいたい」とか
「吐き気があるかないか」とか
「熱があるかないか」とか
「いつから痛いのか」とか
そんなことしか言ってあげられず。。。
肝心の
「どんな風に痛いのか」が
分かってあげられてるのかどうか
分からなかったんです!
日本語特有の
「ちくちく」「ずきずき」などの擬音語は、
彼らの文化にはないので、
その感覚が相手には分かりません。
結局、持参していた辞書で
「刺すように」「えぐるように」とかの
単語を調べながらの診察となりました。
相手の言っている事が
「相手が意図したとおりに理解できているのかどうかわからない」
反対に、自分の言っている事が
「自分の意図したとおりに理解されているかどうかわからない」
これは「自分の母語」以外の言語でのみ起こる
と思っている人(特に日本人!)が多いのですが、
私はそれは間違いだと思っています。
例えば、代表的な例が「方言」です。
私の住んでいる徳島県では
「セコイ」という言葉があります。
これには2つの意味があります。
「お金に汚い」という意味で「セコイやつ」と言う事があります。
これは全国的に使われるかと思いますが、
徳島ではもういもう一つの意味で使う方が多いです。
セコイ、と言うのは
「苦しい」という意味で使われます。
(上記の「セコイ」とはイントネーションが変わります)
マラソンとかした後ゼーゼーってなりますよね?
あの感じを
「ゼーゼー。。。せ、せこい。。。」
みたいに表現するとき使います。
この「苦しさ加減」は
「“セコイ”を息苦しいときに使う」という
文化の中で育たないとわからないと思うんです。
だから、私の「苦しさ」が
あなたに伝わることはない。
なぜなら「セコイ」でしか
私の苦しさは言い表せないんです。
けれど、じゃあ同じ徳島県で
「セコイ」を「苦しい」という意味で使うと知っている相手ならば
私の苦しさを理解できるのか?と言えば、
そうでもありません。
あなたの言う苦しいと、
私の言う苦しいが「同じ」とは限らないからです。
そしてそれは、
確かめようがない。
だからこそ、私達は他人とそれを説明しあったり、
自分の感じ方を言葉で表現したりして
「擦り合わせ」る必要があります。
これぞコミュニケーション!
ただし、
どんなに話し合いを重ねても、
どんなに説明を繰り返しても
「同じと断定する」事はできません。
同じ「今日は疲れた」という言葉でも
「夕飯を作れないくらい疲れた」のか
「夕飯を作ってもらっても食べられないくらい疲れた」のか
「今日は疲れた」という言葉を発する条件が
あなたと相手で違う事があります。
いえ、ほぼ100%違います。
ここを、
自分が知っている方の「今日は疲れた」で受け取るから
結果的に相手が意図した受け取り方と相違が生まれ、
いさかいが起きます。
自分と違う国、土地、地域、家。
それぞれの文化があります。
同じ文化の中で育ったとしても
全く同じ感性を持つことはない。
だから、
どんなに言葉を尽くしても
私の言葉があなたに届く事はない。
そしてあなたの言葉が、
私に届くこともない。
そのため私は、
年間プランのお客様には
念入りなヒアリングを行っています。
どこで生まれて、どんな学校に行って、
どんなご両親で、どんなご兄弟がいて、
どんな学校生活を送り、どんな交友関係を築き、
何が好きで、何が嫌いか、
そして
この先どんな風に生きていきたいのか。
それこそがその方だけの「文化」です。
ここを私が「わかったつもり」になってしまうと
コミュニケーション不足になり、
お客様にとって最適なワードローブや
コーディネートをご提案できなくなってしまいます。
ただし、完全に「わかる」こともできません。
けれど「分からない」ということを
お互いが認識していれば、
こちらは分かろうと努力することができるし、
相手に分かってもらおうと努力してもらうこともできます。
そんな、私が全力でお届けする
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