それ多分、みんな同じじゃないかと思うんです。
こんばんは!!
「着たい服」をオシャレに着るためのスタイリスト 奥野敬子です^^
っていうアピールのつもりだったと思います。
私は自分に自信があったし、
私が元々高飛車なのも、オシャレの研究をしたのも
多分それが理由なんじゃないのかな?と思うんです。
「自分をよく見せたい」
そう言う気持ちが確かにあったんだと思います。
「敬子ちゃんは変わってるね!」っていうのは、
私にとっては褒め言葉でした。
「すごい」と思ってることに、理由なんかありません。
ただ「私」が「私」だからすごいんです。
けれど、成長するにつれ、
なーーんとなく漂う
「みんなと違ってはいけない」空気。
「目立ってはいけない」空気。
「自分はすごい!」って言っては(思っては)いけない空気。
だんだんと、
なーーーーんとなく、
それに合わせないといけないような気になって、
「見て見て!!!」って感じに
できなくなってしまった私。
私の通っていた小学校は自由服だったので、
やろうと思えばいくらでも「個性的」にできたんですが、
中学校からはいきなり制服。
おまけに
ルーズソックスを履いたり
制服を着崩したりすると
上級生にシメされる(リンチされる?)という
言い伝え(笑)があったため、
これまた
「とにかく目立たないように!!」
が必須。
そうこうしているうちに
「人と違うことをしようとする自分がオカシイのか?」
「私すごい!って思ってる私は変なの?」
と言う気持ちがどんどん強くなって、
だけど元々持ってる「私すごい」っていう気持ちはなくならなくて、
その正反対の気持ちに
折り合いをつけなければならなかった。
もう一つ、
私に「私はおかしいのか?」と思わせたのは、
母からの
「私は自分の子どもを世界一可愛いなんて思ったことがない」という
言葉でした。
母曰く、
「私はあなたより可愛い子を知ってる。
だから、「世界一」なんて絶対言えない」
とのこと。
最初から「比べること」しか考えてないんですよね。
コンテストじゃないんだから。。。
(まぁ、彼女自身が自己肯定感かなり低い人なので、
当然と言えば当然、と今なら分かりますが・・・)
当時の私には
「私(子ども)がいるせいでママは幸せになれない」という気持ちがあったので
「私が世界一可愛くないから、ママは喜んでくれない」とも
思ったりしていました。
だから、
「私は可愛い!」とか思ったり言ったりしちゃいけない
って自分の気持ちに蓋をしたんです。
高校に進学し、イジメにあい、
ますます「目立ってはいけない」「自分に自信があってはいけない」
という状態になった頃、
私はカナダに1か月だけホームステイをしました。
日本人のいない、
「読むべき空気」がない世界。
はっきりと自分の意思を示し、
ハグで平然と挨拶をする私を見て
私のホストマザーは「ハグで挨拶する日本人初めて見た!」と
びっくりしてくれました。
(伯母の英才教育(笑)のたまものです)
でも、それが心地よくて、
一時は日本を離れることを本気で考えました。
大学に入り、私のような「自分に自信がある日本人」を見て、
「なーんだ、日本にもいるんじゃん!」と
自分の世界の狭さを痛感。
ただ、どうやっても
「人と比べる」という事はやってしまいます。
特に「可愛いかどうかの判断方法」って異性からの評価であることが大半で、
でもそれだって結局好みの問題で、
可愛ければ彼氏ができるってわけでもない(笑)
それでも、
自分は好きな人に振り向いてもらえなくて、
自分より可愛くない子(失礼)に彼氏ができたりすると
「自分より可愛くないあの子(なんか)に負けた!」
とか思っちゃうし。
でもこの「負けた!」って
そもそも「勝ってる」って思ってることが前提でしょ?
だからきっと、
私は最初から自分の事を
「可愛い」と思ってたと思うんです。
そしてそれはきっと、
みんな同じだと思うんです。
ただ、それを認めるか認めないか。
それだけとちゃうかな~?
【3つのランキングに参加しています!】
いつもポチッと応援ありがとうございます♪