貴方と作るは晴れの日
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おじいちゃん


11月3日
大好きな大好きなおじいちゃんがこの世を旅立ちました。


ずっとずっと一緒に暮らしてて
小さい頃から今でもじじばばっ子の私は
たくさんたくさん可愛がってもらいました。

姉と妹は父母といる中、私だけおじいちゃんおばあちゃんと一緒なんてことはしょっちゅうでした。
それくらいすっごく大好きなんです。


わたしが最後におじいちゃんのお見舞いにいったのは3日前の木曜日で、帰り際に手を握りながら「また来るね」って言ったらおじいちゃんは弱々しくでもにっこりと笑って「はいよー待ってるねー」なんて言ってくれて。でもそれが私にとっておじいちゃんの最後の言葉でした。


3週間ぶりに家に帰ってきたおじいちゃんはただ眠っているようで、亡くなったなんて信じられませんでした。



小学生のころは悪さをしてよく怒られ、定規で叩かれもしました。
でもおかげで鉛筆の持ち方、箸の持ち方などなど、身に付いたことはたくさん。
柿の木に妹と勝手にブランコ作って遊んだのはさすがにすごく怒られました。

でもおじいちゃんおばあちゃんと一緒に寝たり、ドライブしたり、旅行をしたり、散歩をしたり、釣りに連れて行ってもらったり。
一緒にディズニーにも行けたり。


でもわたしが小学2年生のとき、おじいちゃんがお墓をたてるって言ったときはおばあちゃんかおじいちゃんが死んじゃうと思って泣いて必死に止めたこともありました。
でも若いうちにお墓をたてておくと長生きできるってことを知ったときはまだ一緒にいれるんだって思って凄く嬉しかったです。


でもそのときにはもう余命宣告されていたことを今日父から知りました。


中学生のときは部活が忙しくてあまり会話できなかったけど、いつも心配してくれて、ケガしたときはいつも車で送ってくれました。

高校生になったときにはもう随分優しくなっていてさらに穏やかでした。
でも威厳があって。
毎日のように私の自転車を整備してくれて、たまに友達のもしてくれて。
笑顔でおばあちゃんと見送ってくれて。
大学受験はずっとずっと励ましてくれてて。
大学入ってからもずっとずっと応援しててくれて。

免許とれたことを帰宅してから一番に報告したらハイタッチまでして喜んでくれて。
次の日は隣におじいちゃんを乗せて運転練習に付き合ってくれて。


自分が入院してからもずっと家族のこと心配しててくれて。



最後の最後まで自分のことよりまず人のことを考えてるおじいちゃんでした。


そして最後の対面のとき、おばあちゃんが
「パパありがとうね」って言って涙を流していたのは本当に印象的で、本当に2人は愛し合ってたんだなって実感しました。

たぶん、初めておばあちゃんの涙を見ました。



おばあちゃんのことが大好きで、
自分の趣味も充実していて、
演歌番組も大好きで必ず見てずっと歌ってたり、
釣りバカ日誌見た次の日に釣りに行って
海に落ちてびしょ濡れで帰ってきたり、
寝癖で一部だけハネてインコみたいになってたり、
お酒飲んでほっぺが赤くなってたり、
ただ庭でボーッとしてたり。


本当に最高で素敵なおじいちゃんです。
わたしは最後の最後まで姉と妹以上におじいちゃんとお話できて笑い合えたので悔いはありません。

まだまだおじいちゃんがいない生活は慣れていないけど、これからもまた明るく楽しい船戸家にしていきます。

そしておじいちゃんの代わりにはなれないけど、おばあちゃんをずっとずっと大切にしていきます。


だからどうかいつまでもその大好きな笑顔で私たちのこと見守っていてください。

本当に本当に大好きです。


小さい頃からおじいちゃんに言い聞かされていた
「人様に迷惑かけるな」をこれからも胸に生きていきます。


おじいちゃんの孫でよかった。
疲れてるだろうからゆっくり休んでね。
ずっと飲めなかった大好きなお酒、
たくさん飲んでね。