僕が生まれたとき 

その列車には
 
父と母、姉に
祖母、祖父、叔父、叔母たちが乗ってました
 
みんな笑顔で僕を迎え入れた。
 
成長すると
友人、従姉妹たちも乗ってきた
 
みんな席を移動しながら旅を楽しんだり、時に怒ったり、悲しむ事もある
 
ある日、車掌さんが僕の祖母に近づき
何やら声を掛けた
 
すると祖母はゆっくり立ち上がり
次の駅で降りていった。
 
暫くすると祖父も同じように降りていく
 
幼い僕には降りる意味がわからない
 
列車はどんどん人が増える
いつのまにか母は別の車両に移ったようだ
 
大人になり、僕の家族も乗ってきた。
 
ある日、
急に駅に停まると、ホームに父が立っている。
 
僕は「なぜ?」と尋ねようとしたが、列車は走り出してしまった。
 
突然、義兄に車掌さんが
「貴方は次の駅で降りる事になるかもしれない」と言ってきた
 
兄は「そんなはずはない!」と何度も聞き直す
車掌さんは「かもしれない」と繰り返すだけ。
 
納得できない兄は怒り出した
 
「なんで、降りなきゃダメだんだ!」
「やりたい事がまだいっぱいあるんだ!」
 
車掌さんに掴みかかる勢いだった。
 
暫くして怒りが収まると
何かに付け取引をしてくる
 
僕が「美味しいリンゴがあるから」と渡しても
「これを食べれば降りなくていいのか?」
「オマエが代わりに降りてくれるのか?」
 
万事がそんな調子だった。
 
そんなやり取りが暫く続いたが
いつの頃からか取引をやめ
静かに考える時間が増えたようだ
 
だが、顔は穏やかになっていた
 
言葉は少なくなったが
昔の話や、急に思い出して知人に手紙を送ったり
頼みごとも多くなった。
 
ふいに列車が停まる
車掌さんに肩を叩かれ、兄は静かに降りていった。
。。。。。。。。。。。
 
このお話は先生が講演会で時々話す
「会者定離」の教えを
 
僕が少しアレンジして作りました
僕の人生が題材です。
 
人は必ず死ぬ
100%です。
 
僕もこの文字を書いた2秒後に死ぬかもしれない
いつ車掌が来ても、後悔しない生き方をしなさいという教えです
 
兄のくだりは身内の看病をした方には
経験があるのではないでしょうか?
 
人は命を問うような出来事に遭遇すると
「否定」→「怒り」→「取り引き」→「受容」→「感謝」と
心が移って行きます
 
時間も必要だし、
時には受け入れられないまま帰る人もいます。
 
また感謝の領域に行った方で
奇跡的な完治になった方も多いと聞きます
 
この列車に終着駅はありません
銀河の淵を廻るように、長い時間を掛けて走り続ける。
 
降りた人は家に帰っただけ。
また準備が出来たら何処かの駅で待ってます
 
帰ると言う言葉が気になる方は
こちらのブログを読んでみてください
 
今度は僕と違う列車に乗るかもしれない
姿を変え、僕の子供として旅をすることもあるでしょう
 
魂は死なない。