アール・イー・エム( R.E.M )の大ヒット曲、ルージング・マイ・リリジョン( Losing my religion )です。今日でもそうなのですが、徐々に世界の宗教や文化の壁が壊れ、ボーダーレスになっている社会の不安と病巣がうまく捉えられている歌だと思います。
メロディックなサウンドの中に、重い歌詞が散りばめられているのが特徴で、白人バンドとしてレゲエの紹介者だったポリス( Police )やパンク・ロック・バンドの影響が強く見られます。両者ともに、音楽業界において既存の価値観の破壊者という意義を秘めています。この曲は売れに売れて、グラミー賞まで取ってるんですね。
以下に歌のリンクと僕の聞き書きの歌詞を書いてみます。
Losing my religion by R.E.M : 1991
Oh, life is bigger
It's bigger than you
And you are not me
The lengths that I will go to
The distance in your eyes
Oh, no, I've said too much
I set it up
That's me in the corner
That's me in the spot light
Losing my religion
Trying to keep up with you
And I don't know why I can do it
Oh, no, I've said too much
I haven't said enough
I thought that I heard you laughing
I thought that I heard you sing
I think I thought I saw you try
Every whisper
Every waking hour
I'm choosing my confessions
Trying to keep eye on you
Like a hurt, lost and blinded, fool, fool
Oh, no, I've said too much
I set it up
Consider this
Consider this
The hint of the century
Consider this
The slip
That brought me to my knees failed
What if all these fantasies
Come flailing around
Now I've said, too much
I thought that I heard you laughing
I thought that I heard you sing
I think I thought I saw you try
But that was just a dream
That was just a dream
That's me in the corner
That's me in the spot light
Losing my religion
Trying to keep up with you
And I don't know why I can do it
Oh, no, I've said too much
I haven't said enough
I thought that I heard you laughing
I thought that I heard you sing
I think I thought I saw you try
But that was just a dream
Try, cry, why try?
That was just a dream
Just a dream, just a dream
Dream
プロモーションビデオでは、いきなり大きな地震らしきものが来るシーンから始まるんですね。既存の価値観の崩壊を予言しています。ですから宗教を失ってしまう、信仰がなくなってしまうという事ですね。神なんて所詮人間が都合良く作り上げたものに過ぎませんから、これは結局知恵が発達してくると最終的にはこうなります。他人の言う事を頭から信じ込むのではなくて、自分で考え出すんですね。でもこれは一面で危険な事でもあります。
つまり自分自身の足で立たなければならない、自分で進むべき道を探し出さなければならない、何もかも自分で考え、自分で判断する事に繋がってきますね。これは考えてみれば恐ろしい事です。つまり疑い出してみれば、物事なんて何処まで行ってもこれは終わりがありませんね。ですから幾ら言っても言い足りない、これはごく当たり前に辿り着く結果ではある訳です。自分でキチンと答えを見付け出せる人ばかりだと良いのですが、世の中そんなに甘くありませんね。運が良ければ見付けられるでしょうが、運が悪ければ、これはもう絶対に見付かりっこありません。これは能力が優れているかどうかなんて事はもう関係なく、ただ運ですね。才能というよりは、もって生まれた宿命と言うか、運命です。
では以下に僕なりの意訳をしてみたいと思います。僕の英語力は何度もお断りしていますように貧しいものですから、間違いが見付かっても、それは笑って見過ごしてくださいね。あるいはご親切な方は、コメント欄から教えていただければ、後ほど修正させていただきます。
おぉ、人生は(考えていたよりも)大きいんだ
それは君よりも大きいくらいなんだ
そして君は僕じゃない(僕は僕だけの存在なんだ)
僕が行くことになるであろう果てしない長さ
君の瞳との間にあるその遠い距離
おぉ、ごめん、僕は言い過ぎちまったんだ
取り消して、初めからやり直すよ
隅っこにいて追い詰められているのは僕なんだ
そのスポットライトが当たっているのは僕なんだ
信仰を失っているんだ
君についていこうと努力しているんだ
そして僕にはなぜそれが僕に出来るか分からないんだ(絶対にできっこないんだ)
おぉ、ごめん、僕は言い過ぎちまったんだ
でも、まだ十分に言い足りないんだ
僕は君が笑っていたように思ったんだ
僕は君が歌っていたように思ったんだ
(でも本当は)僕は君がそうやっていたのを見たという気がするだけなのかもしれない
どんな囁き(や印)にも
起きている時にはいつも
僕は色んな懺悔を選んでいるんだ
君に目を向けようと試みているんだ
まるで傷付いて、道に迷って、盲目で、馬鹿で、馬鹿なんだ
おぉ、ごめん、僕は言い過ぎちまったんだ
取り消して、初めからやり直すよ
このことをじっくり考えてみると
このことをじっくり考えてみると
世紀のヒントなんだ
このことをじっくり考えてみると
失敗なんだ
それが僕をがっくりと跪かせるんだ
もしもこれら全ての空想が
叩き出されてしまったらどうなるんだろう?
今また、僕は言い過ぎちまったよ
僕は君が笑っていたように思ったんだ
僕は君が歌っていたように思ったんだ
(でも本当は)僕は君がそうやっていたのを見たという気がするだけなのかもしれない
でもそれは、ただの夢だったんだ
それは、ただの夢だったんだ
隅っこにいて追い詰められているのは僕なんだ
そのスポットライトが当たっているのは僕なんだ
信仰を失っているんだ
君についていこうと努力しているんだ
そして僕にはなぜそれが僕に出来るか分からないんだ(絶対にできっこないんだ)
おぉ、ごめん、僕は言い過ぎちまった
でも、まだ十分に言い足りないんだ
僕は君が笑っていたように思ったんだ
僕は君が歌っていたように思ったんだ
(でも本当は)僕は君がそうやっていたのを見たという気がするだけなのかもしれない
でもそれは、ただの夢だったんだ
やってみて、泣いて、でもどうしてやる必要があるんだ?
それはただの夢なんだ
ただの夢さ、ただの夢なんだ
夢
何とも虚しい感じが残る曲ですが、同時に印象深くもありますね。宗教なんて信じたもの勝ちで、「信じるものは救われる」と昔から言いますね。確かにそうなのかもしれません。信じるという事は、言葉を換えれば疑わないという事です。疑わないで頭から信じているから、信仰なんですね。疑い出すと、もうこれは信仰ではない訳なんです。
ですからイスラムの過激派がアメリカのワールド・トレード・センター・ビルに9月の11日に飛行機で突っ込んだあの大事件がありましたけれども、彼らはみんな信じていたからあれをやったんですね。自分たちが正しい、自分たちの価値観が間違っていないと思ったから、あれをやってしまった訳です。疑っていたら、初めからあんな事はしていませんね。信じていればこそです。彼等の言う神とやらをですね。元々あのテロリストと呼ばれている人たちは教養のない、馬鹿な人たちではないですね。むしろ高等教育を受けた、考察力の高いエリート中のエリートです。そんな人でも疑う事を止めて、人の言う事を信じ込んでしまったら、何をするか分からないんですね。オウム真理教だろうが創価学会だろうが統一教会だろうが、これは普遍的に変わりません。所詮人間という存在が、その程度のものだからだからですね。
これは第二次大戦中に「天皇陛下万歳!」と叫びながら、ゼロ戦などの飛行機でバンザイ・アタックをしていた日本人にも同じことが言えます。人間魚雷の回天とかね。当時の彼らは正しい事だと信じていたからこそあれをやったのであって、今日の若者に「天皇陛下のために死んで来い」なんて言うと、逆に「糞食らえ!」って言われると思います。それで良いんですね。そんな事言う人は、糞でも食ってれば良い訳です。天皇なんかのために死ぬ事はないですね。所詮赤の他人ですから。天皇制が守りたければ、天皇は自分で戦いに出れば良いだけの事です。他人の知ったこっちゃありませんね。
でも例えば自分の家族を守るために戦いに出てくれと言われれば、これは話が別ですね。おそらく大半の男がこの問いには、「はい」と答えるでしょう。畢竟男というものは、そういう風に作られている生き物だからですね。ですからアメリカの大統領が「神のために」( For God`s sake )とか言ってイラクに兵士を派遣しましたけれども、あれも端から見てると非常に変ですね。イラクにはイラクの神があり、アメリカにはアメリカ流の神がいる。単なる宗教と文化の衝突ですね、これは。こうなって来ると、もはや信仰や思想・信条上の問題に過ぎません。
ジョージ・ブッシュさんが親子に渡って非常に低いIQしか持ち合わせていないという事は、アメリカンジョークになる程広く知れ渡っています。確かに親子二人ともにIQ80代半ばですね。アメリカ合衆国の歴代の大統領においても、際立って低い数値です。日本で言うと中学生並の脳ミソですか。これはかなり馬鹿な水準と言って良いと思います。でも一概にIQが高いからと言って、必ずしも人間性に秀でているとも限らないし、判断力において劣るという事も言い切れません。単なる能力試験のひとつに過ぎないんですね、IQなんて。という訳で、まぁ、どっちもどっち、冷静になって考え続けてみる、これが一番良い道のような気がします。
※リンク切れが見つかりましたら、コメント欄より教えていただけると幸いです。
上記は20年高く前に俺が書いたもので、文体もヘラヘラ調にして重くなりがちな話題を軽くしてみようと書いたものである あれから時は流れ、天皇も代変わりし、今は天皇制自体が続くかどうかも怪しくなっているような状況である そして天皇陛下万歳を叫んで亡くなっていった戦士たちも、心の底からそう思っていたわけではないだろう
かつて俺の師だった方、宇南山惣一郎先生に聞かされたことがある 本当は当時のインテリは天皇のことなんか屁とも思っていなかった 実際「手んのー屁ーかみたいか」と影では言っていたものである しかしあのバカどもにやらせておけばよい、私たちには関係ない、そう考えてしまったことが大きな間違いだったと
宇南山先生は当時東大の航空学科を出て国費でドイツに留学され、そのさなかに戦争になり、帰りはメッサーシュミットの設計図とともに、ドイツのユーボートで帰国したという経歴の持ち主である 帰りの道中では「サメにだけは食われたくない」との思いでいたために、帰国して設計した飛行機はサメそっくりになってしまったのはそのせいであると冗談ともつかない話をしてくださった
今宇南山先生の思い出を書いておくのも、既に先生はご逝去され、誰も宇南山先生のことを書く者もいないだろうと思うからである 悟一郎先生は果たしてこういう話を書くつもりがあるのであろうか いつか俺が書いてやるという話を真に受けて、俺は首を長くして待っていたのだが
俺は釣りに一応だが命を懸けてきたつもりである そして分かったことといっては、釣魚道も武士道と同じ、畢竟は最後に掛けるものといっては命のみである 釣魚道とは死ぬことと見つけたり、それが俺の得た答えであった
去年は長年夢に描いて来た雪裡川と風漣川上流部と辺寒辺牛川をやった ついでにペンケトーにも行ってきた 雪裡川ではヒグマに遭ったし、ペンケトーでは警察に誰かが通報したものらしい、路肩に停めたままの俺の車を見て、内地の素人が熊の怖さも知らずに入って襲われたのではないかと勘繰られたのだ
警察官に大丈夫ですかと声を掛けられ、いささか恥ずかしかった ボートを持ち込んだものだから1往復ではすまず、行きに2往復、帰りに2往復、「膝を痛めた還暦過ぎの爺が歩く道じゃないな」と独り言ちながら、ザックを背負い釣り竿とボートを小脇に抱えてひたすらに湖を目指した
11月のペンケトーは寒く、何も釣れなかった テントには氷が張り付いていて、湖を渡る風は冷たかった 久しぶりにつらい釣り旅をした 若い頃には苦にもならなかった道行が、いささかこたえる年になってきた 3月に雪の原野でイトウを狙って1か月テントを張っていた頃が夢のようである
あれから自分は国内だけでなく海外も釣り歩いた ニュージーランドはもちろんのこと、北はアラスカからカナダ、米本国、ブラジル、チリからアルゼンチンまで、果てはティエラデルフエゴに至るまでテント泊で過ごしたものだが、随分と軟弱になってしまったものである 今では車中で3日過ごすのもつらい 風速30メーターの暴風の中でも釣り飽きぬ自分であったのに 今はただ過ぎし日を心の中に思い続けている また釣りの話は書いてみたいとは思っている