※この記事は公開の3年後、2023年の7月に再編集しました
※その三年間に熾烈すぎる事があり、結局こういうサイトを創って
伝える流れになっています。
---------------- 以下、2020年からあった内容を修正して ----------------
今回お伝えするのは
『肉食』をはじめとする動物食は、やめないととてつもなくやばいことにつながると思われる
という内容です。
以前にもまして、人間の観察を注意深くする結果になりましたが、人間というものは「言って分かる者」はそれほどおらず(過去の私もそうだった時期・内容はあったと思いますが)
生半可な言い方では全く効果がない事が多い、という事が分かったので
辛いし悲しいが、厳しく事実を突きつけないといけないかもしれないと思いつつ書きます。
個人的にはそういうのは自分の主義と反するような感じなので凄く嫌ですが、ほとんどの「それぞれの自由でいい」ような内容と違って、この件については本来すぐにでも救われるべき(だと信じたい)生命たちの命がかかっている内容であり、個々の人間の勝手な自業自得だけで済むような内容じゃないので、しっかり伝える事は伝えないといけない、という考えにまとまりました。
ひとまず色々とリンクを貼らせて頂きます。
What is the truth? >> 【最後の忠告】 まだ肉を食べている「あなた」へ
フツーの人が書いた黙示録 肉食編
※こちらは①~⑧までありますが、特におさえておくべきだと感じたのは
フツーの人 が書いた黙示録 肉食編 ① 終末と肉食の問題を関係づける視点
フツーの人 が書いた黙示録 肉食編 ④ 動物愛護の視点から見た問題点
フツーの人 が書いた黙示録 肉食編 ⑤ 地球環境問題から見た問題点
フツーの人 が書いた黙示録 肉食編 ⑧ まだ、肉を食べているのですか
でしょうか
もっとも、実際には④だけでも肉食をやめる理由としては十分すぎると思います。
(生命に、本来全く不要である多大な苦痛を与えない事の重要性と比べれば、(あきらかな即効性の毒とかではなく)肉食か菜食かの選択において、自分の健康のための理由等は、あまりに過小な理由であり、はっきり言って別に考慮する必要はないと思います。個人的には)
「菜食も植物の命は奪っているではないか」という意見はあります。
果実食のような、食べられて問題ない前提で成っている一部分ではなく、丸ごと食べると命をいただく結果になるタイプの野菜の場合、確かにそれはそうなのですが
一つは、体の構造が違います。哺乳類や鳥類は、自分の意志で動き回ることが出来(危険を意図的に回避しようとする)、また体の再生能力も植物と比べると基本相当低く、鋭敏な神経を持っています。
そのため、致命的な傷を負うと痛みや苦しみを非常に強く感じるはずです。
痛みや苦しみを感じるようになっている機構には、危機回避のための意味があるため必然的にそうなってしまっている点があります。
それに対し植物の場合、危機察知して自分の意志で素早く動いて逃げる、という事が出来ないため、強い痛みや苦しみを感じても、辛いだけで意味がないため、そういう機構があまり(少なくとも哺乳類や鳥類のように鋭敏な痛覚とかはたぶん)ないのでは?と考えられます。
また、食肉用の家畜を育てるとなると、そのための食糧が必要なため、結局植物の総消費量だって、肉食の方が結局は多いかもしれません。
(人間がやばい事をして作っている、やばい人工飼料の場合は…もうさらにやばすぎて何が何やら予測不能かもしれませんが、基本的に、菜食の方が殺す総量はずっと少なくて済む可能性が極めて高いでしょう)
もちろん、菜食より果実食、果実食より不食で生きられた方が、より最高の理想形かもしれません。
そこまで行ける安全かつ具体的手順がハッキリあれば、それが究極だと思います。ぜひ教えていただきたいです。
光るみなも白い空 >> 来世、食肉の家畜になっても…?
日本では報道されない食肉の裏側。豚虐待の数々。
日月神示の時節を読む >> 【日月神示】四ツ足を食ってはならん。
筆者の情報によると出口王仁三郎氏はキの字がつくと食用可と仰られたことがあるらしいですが、王仁三郎氏はかなり深淵な内容を正しく伝えられた点も多々あったと思います。神界での詳しい取り決め等は人間界からは推し量れないことも多々あるとは思いますが、ひとりの普通の人間の感覚的な話として、この点については個人的には全く同意できません(時代が違うことで背景が多少違う可能性はあったのかもしれませんが)
少なくとも現代において、多くの人間は、自分が危機的状況に陥る意識がなければ平気で残虐行為を助長するため、肉食を許容するようなことは地獄のような現実を作る可能性が非常に高いです。
肉食がもしも許される可能性があるとすれば
大切にされ、何不自由なく、自由を謳歌して幸せに喜ばしい一生を送り、しっかりと天寿を全うでき、全然苦痛を感じることなく安らかにこの世を去ることが出来た動物限定でなら、不可ではない、かもしれませんが
現実的には、それは現代のような商業的な圧力がかかっているうちはまず無理と言って過言ではなかったでしょう。
牛
豚
鶏
鶏は既存の宗教的にも、日月神示ですら今一つ言及されてないですので、念入りに触れておきます。
個人的にはこんなにひどい事をするなら鶏肉も「食べないようにしないと全然ダメ」としか思えないです。
採卵鶏の一生
平均摂取量
もし肉食を続けた場合
もし輪廻があった場合
もし過去にさかのぼって転生することがあり得た場合
何回家畜に生まれかわったら、カルマ的につり合いが取れるのでしょうか?
それは私には分かりません。分かりませんが
このデータは以前も書いたと思います
一人あたり、一生でどれだけの動物を殺しているか?
の平均らしいです。この数値は把握する意味があるかもしれません。
80くらいまで生きたとして一人で
牛を1~2頭
豚を19頭
鶏を748羽
参照
農林水産省-一日あたりの畜産物消費量(2013年度)
あるいは、肉食を続けながら家畜への転生を避けられたとしても
それはそれで新世界への移行に際しての脱落組として、新たな牢獄惑星へ転生することになるかもしれませんが、そっちは今のような光側のサポートがどうなるのか不明で、もっとはるかに恐ろしい事になるかもしれませんが…詳細はわかりません。
そして2018年にとてつもないことが起き
現代の西洋医学・医者がいかに信用ならないのかを身をもって体験することになりました。
全員が全員とは言いませんが、基本的な傾向としては悪の側にほぼ乗っ取られているといっていい状況だったと思います。
もちろん、個人レベルでは良心的な方もいらっしゃいましたが、基本的に権力を握っている上の方に行くほど悪想念の中枢に近い雰囲気を感じました
いったい何があったのか、少なくとも現時点では恐ろしすぎるため全て を明かすことは避けさせていただきますが…
それを乗り越えた後は、本当に真剣に菜食主義を追求するようになり、動物性食品を摂取しなくても人間は生きられるというのは本当だというのを、その後自分の体で実体験出来たことは大きいです。
というかこの時点ではそれすらどちらが騙し情報なのか分からない、人間は生きるためには動物性たんぱく質摂取が必要という偽栄養学情報で脅されていた。・・・という事もあり最初からいきなり完全ヴィーガンというのは実際は無理でしたが、徐々に急ぎで移行し、ヴィーガンで生きられるのは嘘ではない、動物性たんぱく質の話の方がむしろ嘘。というのは少なくとも自分自身の体で実証できたと言えます。
やはりこれに限らず現代の西洋の栄養医学というのは、根本の部分に大嘘が混ぜ込まれており、あくまで人間の霊性を破壊する目的で、脅迫的な情報操作をされている、というのは事実だった可能性が高そうです。
もちろん、動物性原料不使用の食品がもっと増えてきて、完全回避が楽になることが望まれます。
そうなることは社会全体の、残虐行為が大幅に減少することを意味するはずです。
それはとてつもなく重要な事のはずです。
いや、「出来れば」の話であるなら、全人類が完全ビーガンか、もしくはさらに進んでフルータリアンか、さらに進んで不食(ブレサリアン)か…が出来ればそれよりさらに遥かにいいのかもしれません
しかし、色々なアプローチを試みたつもりですが、菜食で生きられる日本ですら、いくら注意しても動物食やそういう事業への加担を全然やめようとしなかった者も現状では確認されてます。
やはり地獄のような世界に落ちて自分自身が苦しまないと分からない者は分からないのでしょうか
当初、(最終的には)全て助かって欲しいという思いはあったんですが、一部の悪どい欲まみれの人間が助かるのを待つために、他の罪のない生命たちが絶え間なく苦痛を与えられ犠牲になっていい道理があるようには思われません。
まず助かるべき順序、優先順位というものはあってしかるべきです。
してはならないところで甘い考えに逃げることは、その方が恐ろしい結果につながるのかもしれない
これは私の主観に過ぎませんが、今までは様々な神様がた、霊的存在の方々が守護してくださっていたから世界滅亡クラスの現象は数え切れないほど防がれていた、かもしれないけども
こんな事(残虐な畜産業・肉食等)をいつまでも続けているようだと、いくら何でも愛想を尽かされても仕方がないというか、いつまでも残虐行為をする者の擁護なんてできない、という状況になってきても不思議ではないのではないでしょうか?
ここで言っているのは、つまり特別な悪の存在が攻撃とかをするまでもなく
護ってくださっていた方々が「守護出来ない」「擁護出来ない」という状況になるというだけ、の仮定の話です。
だけとはいっても、カルマがどうなってるのか想像もつかないため
もしもそうなったらどうなるのか、恐ろしくて想像もつきません……。
今世界的に新型コロナウイルスが注目されていますが
自分たちを省みようとしない者たちの多さには正直、ホトホト呆れるばかりです。
そういう者たちの頭の中では無条件で勝手に「自分たちは善の側」みたいにでもなっているようです。
大多数の『人類』に対して「一見害をなすかに見える」存在のみを盲目的に悪とみなし、自分たちは無条件で善の側であると思い込む
それをきっかけとして自分自身の生き方を省みるということを、ほとんどしようとしない。
人間本意の身勝手な発想からとことん抜けようとしない
大多数にとっては、上記畜産動物たちの処遇に比べて、どれほど桁違いに生ぬるいものであるか
むしろ、他者を蹴落としてでも利を得ようとするものや、「被害者」に対する誹謗中傷など
薄汚い部分がピックアップされたのではないでしょうか?
ウイルスを目の敵にする暇があったら、その前に、まずは自分たちが地球の悪性ウイルスになっていないのか
本当に清らかに生きていると言えるのか
そろそろしっかり見つめ直すべき時期ではないでしょうか?
動物を苦しめて作られた肉を何の罪悪感もなく平然と食い散らかし、慈しみに満ちた生命形態を持つ木々を切り倒し、自然を汚し、口を開けば 不平不満を言う
そんな姿勢で生きているような者は、本当にそれで助かる権利を得られると思っているのか? …と感じます。
自分の欲のために次々と他者を害するようなものに、改心することなく理想世界に来られたら、思いやりのある側にとって大変な脅威となるのではないでしょうか?
もちろん、人間の中にも素晴らしい方はいらっしゃいますし、以前と比べ増えてもいるかもしれないし、心の綺麗な人が生きやすい環境が徐々に整いつつあるかもしれませんが、まだまだそういった方々には苦しい状況で、総合的に見るとこのまますんなり移行できるようには感じられません。残念ながら現状では。
少なくとも、食品の原材料の欄を見る限り、現状全体の割合としては「真善」側の勢力が今勝っているようには全く見えないという事です。
現時点では。
なお、上の方で「食事の制限がきつすぎるとストレスを感じることがある」と書きましたが
しかし、むしろ「そういう状況でのストレス(努力している証)はこの場合に限ると、重要である」可能性もあります。
苦しみはやはり嫌なものなので、自ら苦しみたいと思うこと自体は通常不自然でしょうし、意図的に苦労をするのはなかなか難しいものです。
しかし、再帰不能なダメージでなければ、カルマの解消となるための適切な限定的苦しみであれば、むしろ非常にありがたいかもしれない。
苦しみそのものがありがたいわけではありません。
嫌なものは嫌です。無用な苦しみは可能な限り避けたいものですし、無用な苦しみはない世界の方が理想的なはずです。
しかしだからこそ、現状では、本当に致命的なことを避けられる結果につなげさせて下さる、カルマの解消のための適切な苦しみは、大変にありがたいかもしれないと感じています。
もっとも、「カルマの解消」というのはもっと世界の状態改善のための直接的働きかけ(この場合で言えば菜食の重要性の伝達等)の方がずっと大きいとは思います。しかしそれをやるうえでの説得力、これは自身がまずできてない事には話になりません。
霊的な借銭をしっかり返すことなしには、どの勢力の者でも本当に助かることは出来ないかもしれません。
逆に言うと、すっかりメグリが解消されれば、あとは何としてでも強引に闇に引きずり込もうという、強力無比な存在がいない限り、どんな存在であっても、すんなりと、残さず助かるかもしれません。
ところで
大元の神界の意志はどうなのか、というのはやはり非常に重要な点だと思います。
ただし、霊界からの通信は成りすましや騙し情報も多く、受信する人間側の誤解なども含めると、おそらく真の伝達内容が捻じ曲がって伝わってしまうことの方が普通だと思っていいぐらいで、一点突破のようにわずかな情報だけから判断しようとするのは危険な可能性が高い、とみなしていいと考えています。
そこで、ここでは
日本で比較的なじみの深い各種宗教的な観点からはどうなっていたのか、という点から考えてみますと
【仏教の世界観が強く出た場合】
基本的に肉食禁止が優勢。ただし、初期のころ…とくにお釈迦さま本人が直接肉食禁止といったわけではないらしい…?
ただし、彼は涅槃行きだったということで、仏教の世界観における輪廻から「抜けられない状況の人」とは別枠と考えるべき説があるらしい…?
(ただ個人的には、お釈迦さまが現代にまた現れて食肉産業を見たら「これはダメだ」と仰ってくださいそうな気はしていますが)
いや、「不殺生戒」自体はお釈迦さまの提唱内容だったらしいですが、その正確な適用範囲次第ではやはり元の教義からしてもダメでしょう。
ともかく、逆に肉を食べなきゃいけないというような事は全く言われてないので、肉食を避けても別段問題はないはず。
また、弥勒さまが降臨されたら詳細を教えて下さる、というはなしのはず。
【キリスト教の世界観が強く出た場合】
新しめの契約では肉は禁止されていないものの、(キリスト教そのものとはあまり言えないかもしれませんが)聖書をさかのぼると
ノア契約の前までは菜食主義だった…?
そもそも、ノア契約での許可も、世の中が荒れすぎだったようで、神様サイドから見て肉食の許可が完全に本意であったかどうか、洪水という代償の代わりにやむなく……という感じでなかったかどうかは、正直不明そう。
そもそも、最初のエデン契約の時は菜食。特にフルータリアンに近かった…?
とすれば、本来の神様側からの理想はやはりそちらに近いのではないか?
再び楽園のような世界が出現するならば、それに近い形になるのではないか?
もっとも、これから聖書の終末期の通りのようなことが起きるというのならば
遠くない未来、最終的にイエスさまが再臨されるはずなので、それまで
耐え忍ぶこと…
そうすれば、実際の、これからの人間のあるべき姿の超絶詳細を教えていただけるはずです。
【神道の世界観が強く出た場合】
少なくともここ最近神道自体には直接肉食を強く禁止するような戒律的な強制力はなかったとは思いますが
「穢れ」を忌避する雰囲気があり、死は「穢れ」にあたるらしいですが、肉食も強く明言せずとも、仏教が入ってきた影響を受けたあたりから、そのくくりに入ってる印象はある気がします。
もっとも、ここ3千年ぐらいは日月神示で言われるところの正神サイド(国常立尊さま側)の勢力がほぼ封じられており、だいぶ悪に甘かったらしいので、これからの事情は当然だいぶ変わってきそうです。
また、日月神示の世界観が神道の本来の向かう先である場合、てんしさまが降臨されたら詳細を教えていただけるはずです。
現状ではそれはまだ(?)だと思うので、逆に類推すると、今までですら神様がたから肉食はあまり好まれていなかった可能性が高めっぽいが、これからはそれがより決定的になるかもしれない、ということですか。
「戒律はない」というお話ですが、肉食を避けるのは基本事項であり非常に強く推奨、と考えていいでしょう。
-------------- 上記内容の総意としては --------------------
そして、さらに重要なのは
少なくともここ数千年は、邪神・悪神・悪魔と呼ばれるような側の勢力が非常に強かったはずということです。
強かったにもかかわらず、こういう痕跡が読み取れるように残っているという事実です。
これはとてつもない事ではないでしょうか?
おそらく想像するべきなのは
悪神といえども、この痕跡を消さなかった(消せなかった?)、それの意味するところ、です。
また、このことからも、やはり本気の完全な改心をし、善行に励み償いをすれば、きっと悪神側でもすっかりと助かる可能性があるにちがいないはず、と、個人的には想定しています。
ただ、私は人間にすぎないため強力な決定権もなければ、実際の数多の被害者に代わって許しを与えるという、因果律を捻じ曲げ得るような権限も当然ないため、確かなことは言えません。
全ての魂・全ての存在が助かってほしい、というのは想像というより願望かもしれません。
しかしただの願望だったとしても、簡単に断念することはできません。
ともかく、霊的観点・宗教的観点から見ても、肉食をやめることに問題があるようには思えません。
少なくとも 神道・キリスト教・仏教の範囲を見る限りは、むしろ菜食主義の方が妥当と考えることが、総意としては自然に感じます。
念のための、鶏に関する補足です。
こういうのを見つけましたが、どうでしょうか?…個人的には感情のない生き物だとはとても思えません。
人間ほど高度・複雑な思考や、強い意志・想念はなかったとしても、似た感情は普通に持ち合わせているのではないかと感じられます。
また、普通に寒さを感じるようです。全く同じではないかもしれないが、やはりどう考えても、人間に似た痛みも苦しみもしっかり感じるでしょう。
お布団から出たくなさすぎていたニワトリ!暖かさを求め、ついにストーブの前で行き倒れる・・・

※↑死んでませんw 寝っ転がって暖を取ってるだけっぽいです。記録を見るとこの後数年ぐらい生きたらしいので
やはり個人的には、鶏は間違っても苦しんで殺されるための存在では決してなく、愛され、大切にされるべきだと感じます。
牛も豚も当然そうであるべきだし、あらゆる生命と同様、ちゃんと敬意を払い、幸福に生きられるように尊重しようと努めるのが、本来あるべき理想の姿ではないでしょうか?
