泣きながら家を出た。もう誰の顔も見たくない。
住宅街に降りてきた暗闇を、月が空から照らしていた。でも実際は月があっても月が無くても、私の視界に問題があるわけじゃなかった。頭上から街燈がちゃんと私の前を照らしていたから。
どれくらい歩いたか分からなかった。歩き疲れた私は、蛍光付きのでんしんばしらの横に座り込んだ。犬の排泄物のことを一瞬考えたが、今更どれだけ汚れようと同じだった。
「やあお嬢さん」でんしんばしらが声をかけた。
「ひどく落ち込んでいるようだね」
「話しかけないで」私は言った。
「そんな気分じゃないの」
「もちろん!落ち込んでいて、おまけに理性がまだ保たれているときは、誰もおしゃべりしたいなんて思わない。しかも相手が案山子みたいに突っ立ている木偶の坊となれば、なおさらだ。でもだね、一人黙々と頭の中で問題を解決しようとしても、大抵は失敗に終わる。誰かとコミュニケーションを図り、少しでも心の中のもやもやを解消させる方が、方法としては優れてると思うね」
「少なくともその誰かはあなたではないわ、案山子みたく突っ立てる木偶の坊さん」私は言った。
「お願いだから黙っていて」
「その誰かは僕ではないって!」でんしんばしらはわざとらしく驚いて言った。
「僕のことをよく知りもしないで、そんなこと言わないで欲しいな!こう見ても僕は二十三年前ここに存在して以来、いろんなことを見聞きしてきたんだぜ!交通事故だってすぐそこで見たし、路上で本番始めるカップルも見たし、マリファナの受け渡し現場だって見た。雀同士の馬鹿し合いも、工夫達の資本家への不満も嫌っていうほど聞いてきた。そして時には適切な助言を与えたりもしてきた。僕がこうして蓄えた知識の中に、君にとって有用なものがあってもおかしくはないだろ?」
私は立ち上がり、スカートの汚れを払った。
「死んで」
そう言って、家の方向ではない、どこかへまた行くことにした。
「おい!いったいどこに行こうっていうんだい?こんな時間どこに行ってもなんにも解決できやしないぜ!心を開けよ!僕に話してみろよ!」でんしんばしらはそう言ったが、私はもう聞いてなかった。私は永遠に消えることのなさそうに思える憂鬱を抱えて、街燈に照らされて過剰なまでに明るい夜道を、また歩き出した。
鏡が写すのはいつもの私ではなく、鏡を見ている私。だから鏡を見ている私が見ているのは、当然鏡。そして鏡には、鏡を見ている私が写っている。
自分で自分のことを見ることができるあなたは私より優秀。私が見れるのは、あくまでも鏡に写る自分であって、私自身ではない。
それってどんな気分なんだろうな、と私は想像してみる。