今日は姉が実家に来てくれた。

姉は結婚し実家からは離れて暮らしているが、

最近は父と母のためによく来ている。

こんな時だけど、姉に会えるのは素直に嬉しい。


私と姉は似ている面も多いけれど、

対照的な面も多い。


例えば、

私たちは二人ともピアノを習っていたが、

姉はとても感性豊かで表現力があった。

私はというと、ただ譜面通りひくだけ。

姉が先に弾いた曲を耳で覚えているので、

簡単に弾けるようになるけれど、どうも感情がこもっていない・・・。


でも、アニメやドラマ、映画などを見て、

感情移入して泣くのは私。

一方姉はあまりそういう場面で泣かない。



二人とも感受性に富んでいたけれど

表現する方向がかなり違った。


姉のピアノは本当にきれいだった。

ピアノの先生が驚くほどに。


私は心を込めて弾くのが恥ずかしかった。

音に表現するのは自分の心を全部見せるような気がしたから。

ぶっきらぼうに弾くのにも私なりの理由があった。


年の離れている姉は、

私より上手に何でもでき、

あこがれの対象だった。


私は食が細く、しょっちゅう病気になったが、

姉はご飯が大好きで、健康的だった。


姉は典型的長女で、

しっかりしてていい子。

私は典型的次女で、

甘えんぼでわがままだった。


でも、そんな姉妹だったけど、

お互いに自慢の姉、妹だった。


私は姉が大好きで、

姉に何かを頼まれると大喜びでそれをした。

それこそ母よりいうことをきいたかもしれない。


姉と二人で夜中にしたトランプ。

こっそり姉の部屋に行き二人で寝た夜。

姉と二人駄菓子を買って食べたこと。

みんな覚えている。


チビでやせっぴで、幼かった私は

時に姉にとっては厄介な存在だったのかもしれない。


でも、私はいつも姉にくっついていきたかった。

いつも一緒にいたかった。


今はお互い大人になり、

姉は結婚し妻に、母になったけれど、

やはり姉は姉。

私は私。


似ている所も多いけど、

やっぱり違いも多い。


そして、私はいまでも

「もう少し姉と一緒に過ごしたかったな」

そう思っている。


最近はもうやらなくなっちゃったけど、

毎年年末に姉の家に行き、

二人で御節を作るのは本当に楽しかった。


なぜか手間のかかる

お芋や卵の裏ごしは私の担当で

手が痛くなりながらも

「リリーがいると助かるね。ありがとう。」

何ていわれると喜んでやってしまう・・・妹の性。


人を使うのが上手いのも姉の特徴。

でも不思議といやじゃないのよね。

むしろ手伝うのが嬉しくなる。


そんな姉が大好きだ。


今は姉妹力を合わせて、

助け合っていこう。

父と母のために出来ることをしていこう。


そしてまたいつか、

また一緒に何か出来るといいね。



父との思い出は数え切れない。


私は小さい頃、

やせっぴでチビだった。


父の会社仲間達がうちに来たとき、

私は父のひざの上に乗るのが大好きだった。


普段は私のお尻の骨が痛いからと

あまり長くは座らせてもらえないのだが、

お客様がいるときは特別だった。


父と一緒にお風呂に入り、

髪の毛を乾かしてもらうのが大好きだった。


家族で夜映画を見たりすると、

途中で疲れて眠ってしまう私は

いつも父にベッドまで運んでもらっていた。


父は五月や庭いじりが好きで、

庭で植木や五月をいじっていることが多かった。


私はそんな父にまとわりつきながら、

一緒に土をふるいにかけたり

庭で遊んでいるのが大好きだった。


念願のマイホームを手に入れ、

自分の庭を手に入れてからは、

リビングの前には洋風の庭。

和室の前には和風の庭とかなりこだわって庭を造り始めた。


新しい家に引っ越した後、

突然土を積んだトラックがやってきた。

父が庭に入れるために頼んだ土だった。


それを一輪車で庭に運び、

庭を造る日々。


私も汗を流しながら一緒に手伝った。

今考えると手伝っていたのか邪魔をしていたのか・・・

土をもった一輪車はとても重く何度もひっくり返した。

でも段々とコツをつかみ、私でも一人で運べるようになった。


岩を買ってきては庭に、門に、

庭木を買っては、位置を決めるために何度も移動し、

向きを変えたり、それは大変だった。


でも、そんな風に

父の庭仕事の手伝いをするのは大好きだった。

今考えると外で父の手伝いをするのは私が多かった。


体の弱い母は家の中から眺めては

庭全体のバランスをアドバイスし、

私たちが根をつめすぎてバテない様に、

お茶を準備し休憩を促してくれた。


歳の離れた姉は

もっぱら家で母の手伝いをしていた。


なんとなく自然に決まっていた家族の役割。

でも私は家の中にいるより庭で過ごす父との時間がとても楽しかった。


ある時父の知人から

山に生えている梅の木を譲ってもらうことになり、

夜が明ける前に借りたトラックに乗って家を出発した。

その山がどこだったのか私は知らないけれど、

かかった時間を考えるとかなり遠くだったに違いない。


予定より早く、まだ暗い山に到着し、

明るくなるのを待ち、梅の木を選び、

掘り出し運ぶために枝を切りトラックに積み込んだ。

子どもの私がどれ位父の助けになったのかは分からない。

とても疲れたけれど私にとってとても印象的な思い出の一つ。


梅の木を積んで、帰りの道中、

明るくなってトラックから見下ろす景色は

とても気持ちが良かった。

疲れていたのに異常に興奮して

父と色んなことを話したことを覚えている。


父と一緒に造った垣根。

門から玄関までのアプローチ。

和室の前に植えた見事な赤松。

今でも鮮明に覚えている。


その後、父は転勤になり、

その家は今人に貸している。


あんなに見事だった庭が、

人に貸し何年も経ち全く変わってしまった。

その庭を見たとき悲しかったが、

父は私以上だったに違いない。


でも、思い出はひとつひとつ

今も胸の中に残っている。


私の記憶という名の宝石箱の中に、

今もどんな宝石よりも輝きを放ちながら、

大切に大切にしまってある。


私の大事な宝物。


今日はちょっとたわいもなく

徒然に一日の出来事を書こうと思います。


今日もいつものように朝

実家に行き可愛い子ちゃんたちのお散歩。

その後実家の仕事をあれこれして、

買い物に出たりしていたらあっという間にお昼。


お昼に母の準備した素麺を父のところに持っていくと、

手を洗ってから食べるというので一緒に洗面所に。

ところが突然父が嘔吐し始めた・・・。


今までに比べたら量も少なく、

しばらくして落ち着きベッドに戻り少しだけ素麺を口にした。


その後お流しを片付けたり頼まれごとをし、

父も落ち着いた様子なので自宅に戻りしばし自分の仕事を。

(この時点で既に2時過ぎ)


2時間ほどで母から電話が入り、

父がまた高熱発作を起こし

アイスノンを買ってきて欲しいという。

普段ならもう塾に行かなければならない時間だが、

今は中休みで塾に行かなくて済むので本当に良かった。


そして、アイスノンを買いに行ったり、

足が寒いという父のためにお湯を沸かしたりしているうちに

訪問医療の看護師が来たので、母と看護師に任せもう一度帰宅。


1時間ほど自分の仕事をしをし、

実家へ行くと、母に夕食を頼まれ買い物に。

看護師が帰った後、また戻して大変だったという。


そして、今度は父のために必要な医療品を取りに病院へ。

結局病院に着いたのは8時少し前。


そのほかに頼まれていた買い物をして

実家に戻ったのは9時半。

その時父はようやく熱が少し下がり落ち着いて、

1階のリビングに横になっていた。

私は犬の面倒を見たり、

お風呂に入った母のかわりに父の側にいて、

父の寝る準備を手伝い、父が寝室に横になるまで実家にいた。

自宅に戻ったのは11時半。


今は基本的に母が看病をしているので、

私は母のサポート役。


実家にいればちょこちょこ雑用を頼まれるので

ずっといてあげたいのですが、

そうすると私自身の仕事が全く進まないので・・・。


近くに住んでいるからできる業。


それでも塾があると、

一日6時間は塾に取られ、

午前中は実家の手伝い。

いつ自分の仕事をするの?

って状態で寝る時間を削ることも・・・。


犬達の世話は実家に住んでしまったほうが楽にできるけど、

あっちに行ってしまうと結局自分のことは何も出来ないのよね。


そんなわけで実家と自宅を行ったり来たりの日々。


でも母はもっと大変。

息抜きにどっかにといっても誰かいないといけないから、

一緒にどこかに行くこともできない。

ヘルパーさんを頼むとか方法がないわけじゃない。

でも何より母自身が自分でやりたいと願っているし

父も母に一番側にいて欲しいと願っている。

だから私も出来るだけ応援をしようと思う。


塾の中休みの間は、

いつもよりお手伝いができるかな。


今週もまたあっという間に土曜日。


宝物のように貴重な時間のはずなのに、

時間がすぎるのはなんて早いのだろうかと

思う今日この頃・・・。