人類はその発祥以来、長い歴史を経て少しずつ利口に成ったと思っていたが、今の世の中を見ていると其れは私の幻想であったのかと思われる様相を呈しています。
人類は文明を発達させて人間世界の色々な「利器」を生み出し、その営みの進歩を遂げて来たかに見えるが、真実はそうでは無く、人間社会の在り方を複雑にして来ただけに過ぎないのではないかと思われるこの頃です。
即ち、有史以来の人類の歩んで来た道は、一言で言えば<エゴの衝突による相互殺戮>の道であったと言わざるを得ません。言い換えると<戦争の歴史>であったのです。
然し、一方では科学の発達により、その一部である医学などの進歩は色々な病いの克服を成し遂げ、人間の寿命の延伸を実現させた事もまた事実であり功績であったと言える。
とは言え、色々な文明の利器は、戦争が契機と成ってその発達を見て来たと言えなくもない、謂わば戦争が人類の文明の進化を促して来たと見ることも出来るのです。
その一つの例が、毎年発表される「ノーベル賞」の授与であるが、その「ノーベル財団」の基金は、“ダイナマイト”と言う強力な火薬を生み出して其れが戦争に大いに利用されて莫大な財を成した「ノーベル」と言う科学者の、ある種“罪滅ぼし”とも言える「栄誉賞」の設定です。此れは見方によっては自己満足の茶番とも言えるのです。
然し、此れなど同じ茶番でも幾らかマシな方で、現代世界に於ける国際・個別を問わぬ政治などは全く一般市民を愚弄した「茶番」以外の何ものでもありません。
政治は市民・国民の為では無く、政治家自身とそれを取り巻く資本家及び富裕層の為の物以外の何物でも無くなったのです。
あの有名な“リンカーン”の演説の一説、「・・人民の、人民による、人民の為の、政治・・」ではなく、「・・政治家の、政治家による、政治家の為の、政治・・」と成り果てています。
毎朝、毎夕、垂れ流される報道の「政治」など茶番と言わずして何と言えるのでしょうか?