(長いです。( ̄▽ ̄;))

おはようございます、カツオと申します。


ようこそ、ひねもす日記へおいでくださいました。

この世知辛い世の中、初老の男の一人暮らしのなかで小さな幸せを見つけて生きたいと思っています。



ちょうど10年前の震災後の6月に岩手県を訪れた。あの時はまだ沿岸部には行けなかったけど、岩手県は僕の第二の故郷だから行ってきた。第二の故郷と言うのは、会社員になっての初めての赴任先が岩手県盛岡市だったからだ。およそ35年前。振り返ると恐ろしく時が経ったものだ。

岩手県は人が良い、食べ物が旨い、気候が良い。

四季がはっきりしていて、僕がいた頃は厳寒期にはマイナス20℃にも下がり市内でも道路は3月いっぱいアイスバーン。しかしそのあとの春には一斉に木々の葉が芽吹き、山一面の新緑は踊るように気持ちが浮き立ったものだ。そして短い夏のあとの秋の紅葉がまた素晴らしいのだった。嗚呼懐かしや。

でも、なんたって美人が多いのも岩手県なのだ。「秋田美人」っていうが「南部美人」とも昔から言うんだよ✨( ̄▽ ̄;)

そんな岩手県で過ごしたのはたったの3年だが、僕は以下の詩歌で岩手県を第二の故郷と決めたのだ。

ふるさとの山に向ひて言ふことなし  ふるさとの山はありがたきかな


石川啄木の有名な歌である。

盛岡にいた頃、会社の近くにあった行き付けの喫茶店の壁に、岩手山の絵に付帯して書かれていた歌だった。夏休みなどに神奈川に帰省して、やはり目についたのは富士山であった。喫茶店に飾られていた啄木の歌を思い出して、心のなかで呟いてみる。ふるさとの景色はありがたい。そして3年後、盛岡から帰京してみると、今度はあの岩手山を思い出して懐かしい気持ちになったのだった。




前段が長くなった。( ̄▽ ̄;)

その第二の故郷、岩手県の三陸を走る2日目である。ドライブにはもってこいの気持ちのいい快晴である。


11月1日(月曜日)  8:30下道荘を出発。

下道荘の若女将のおすすめで、最初の目的地は35キロ先の気仙沼の大島にした。島に橋が架かり行き易くなったので、ぜひ展望台に登ってそこからの絶景を見て欲しいとのこと。またNHKのドラマ『おかえりモネ』の撮影地が大島の亀山展望台だったそうである。

大島への寄り道なので、早くその後の岩手県に入るため三陸自動車道を使った。

若女将に聞いたところ、やはり三陸自動車道はほとんどの区間が復興道路として無料なのだそうである。全長およそ3百キロの自動車道が無料とは凄い。ちなみに無料区間のことを「三陸沿岸道路」と言うのだそうだが、ここでは「三陸自動車道」で通す。

この三陸自動車道を陸前高田まで利用したのだが、これぞ国民が求める高速道路だと感じた。町々各所にICがあり、ちょっと隣町までと気軽に利用でき、無料だから地方とは思えない程交通量があるが、無料ゆえに前に遅い車があっても苛つかない。基本単車線だが適当に追い越し車線区間もある。

以前どこかの政党が高速道路無料化を提言していた。

渋滞が発生しやすい都市部は無料化は難しいだろうが、地方ではこんな無料高速道路が全国にあっても良いのではなかろうか。財源はすでに支払い続けている自動車関連の税金が途方もないくらい貯まっているはずだ。無駄遣いしていなければね。( ̄▽ ̄;)



気仙沼市街を三陸自動車道は長い陸橋を使って横断している。その陸橋を渡った所に浦島大島ICという出口があって、そこからすぐに大島に渡る橋がある。

大島から見た橋  


車は亀山展望台手前まで登ると「この先駐車禁止」の看板を見つける。これ以上車で行けないのか。ナビだとあと少しのところなのに。( ̄▽ ̄;)

仕方なく百メートル程手間にあった有料駐車場まで戻った。駐車料金は500円也。こんな山の中の有料駐車場が500円も取るとは暴利な気がするが仕方ない。でも1台も停まっていないぞ。後で分かったのだが平日はナビが指定していたもっと上まで車で行けたのだ。あの看板がもう少し分かりやすく書いてくれてたら。トホホ

その有料駐車場から徒歩で行ける登山道が作られてあった。
この先から手作り感満載の階段になって、先ほど行きそこねた駐車スペースまで歩いて登った。( ̄▽ ̄;)

駐車スペース付近から見た駐車場に置いた僕のアコードツアラー  アホか、、、もうへとへとである。

( ̄▽ ̄;)

登りきって、そこの駐車スペースに車が停まっているのを見たら膝から崩れおれた(笑)。

それで、やっと登った駐車スペースから上を見たら、展望台はまだまだ上にありんした。( ̄▽ ̄;)

頭に来て、展望台はここで充分だろうが!と言いながら写した写真がこちら

絶景かな   これで充分ですよね。( ̄▽ ̄;)

大島はもうこれにておしまい。またあの手作り登山道を降るのかと思うと膝が嗤う( ´∀`)



さて、宮城県はここでおしまいです。僕はまた三陸自動車道に乗って、今度は岩手県の陸前高田を目指します。陸前高田には気仙川という川が流れています。

若い頃、盛岡から帰京して(なぜ盛岡にいた頃再開しなかったんだと後悔しきり)子供の頃から始めたフライフィッシングを再開しました。それで夏休みに陸前高田の気仙川に釣りに来たことを思い出します。まだ当時は東北自動車道から心細くなるような山道を通って来たのです。あれはどの道を辿ったのだろうか。とうに忘れてしまったが、一部は舗装もされていない林道だったのに、今では快適な高速道路まで走っているなんて!


10:30  陸前高田到着。

絶句。

海岸沿いにもう街は無く、その代わりに延々と続いていそうな堰堤が海と街を遮断していた。どうしてだか、宮城県では感じなかったが、海が失くなってしまったように感じられた。気仙沼ではどうだったか。地形的な事もあるのだろう。陸前高田は海沿いが広々としていたからだろうか。


その移転した街の代わりに「道の駅高田松原」が広々と建っていた。あの「奇跡の一本松」がある高田の松原だった場所だ。吸い込まれるように駐車場に入る。

建物の半分はお土産などを売る店舗とフードコートになっていて、もう半分は「東日本大震災津波伝承館」があった。その建物の真ん中に海を遮断している堰堤へ行ける通路がある。


道の駅高田松原
0192-22-8411
https://maps.app.goo.gl/S9MsY6VnKZbG8NUY7



上空から見ると全体はこんな感じ

ネットからの拾い画像


手前が駐車場で、横に細長く道の駅などの建物があり、その先に堰堤へと続く通路があり、堰堤上へ続いている。

奇跡の一本松は堰堤の右手手前に立っている。






堰堤上には献花台があった。(堰堤に登る手前にもある)

堰堤はモニュメントとなっていた。皆がここに登って犠牲者に気持ちを捧げる場所。津波を思い起こす場所。

合掌。



堰堤上から見る陸前高田の海原は穏やかに横たわっている。この大自然が時として脅威になりうる事を忘れないでおこう。



11時を過ぎたので道の駅高田松原で昼食。

まつばら食堂  海鮮丼とお蕎麦のセット



さて、もうお昼。( ̄▽ ̄;)

今日は午後早い時間までかけて海沿いをのんびりドライブする予定だったのだが、そんなことをしてたら夕暮れまでに内陸部の花巻温泉には着かん!

そこで絶景の碁石海岸を訪ねたら内陸部に入ることにする。

道の駅高田松原からは海沿いを15分程走る。
残念ながら海沿いの道はずっと右手に堰堤を眺めることになる。海は見えないのだ。地元の人は高台に上がらねば海は見えないのか。悲しい。




30年も昔に来た時は碁石海岸にインフォメーションセンターなどは無かった気がするのだが、現在はインフォメーションセンターを中心にしっかり遊歩道が整備されて綺麗な公園になっている。

雷岩 乱曝谷展望台



乱曝谷



ここで画像掲載枚数の限度(15枚)に達してしまった。( ̄▽ ̄;)

2日目はあと少しなのだが、これから内陸部の遠野、今夜のお宿の紹介が出来ないので、、、

その2に続く。m(__)m



ではまた





指原莉乃ちゃんについては、そんなに言う指原ってどんな子だったの? って思われたらこちらにどうぞ!😆👍➰


『アイドル 指原莉乃の軌跡(2016年→2020年編)』( 旧題 さっしーってサァ・・・)





彼女のアイドルとしての軌跡をテーマ毎に記事にしてあります。
テーマは100ありますが、特に読んで欲しいのは「指原莉乃という人」や「さしはラーカイブ」、「今年の1枚」辺りでしょうか。
拙い文章で読みにくいとは思いますが、彼女が気になったらぜひ!



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