おはようございます、カツオと申します。
ようこそひねもす日記へおいでくださいました。
このコロナ禍、初老の男の一人暮らしのなかで小さな幸せを見つけて生きたいと思っています。
なぜかTwitterのトレンドに「#あなたのAKBどこから」が入っているようです。( ̄▽ ̄;)
誰が広めたのでしょう?
まあ結成から15年経っているのですから、( ̄▽ ̄;)そうだね、15年すごいよね?
ね!?
落ちぶれた、なんだかんだ言っても、15周年を向かえられたというのはすごい事です。2005年12月に秋葉原のAKB48劇場で産声を上げたAKB48ですが(僕は1度も足を運んだことはない)、指原莉乃がAKB48劇場でデビューしたのが2008年でした。
もちろんその頃は僕はまったくの門外漢で、しかしAKB48というアイドルグループが存在して活躍し始めたことは知っていたはずです。なぜなら、この年の4月から放送されたテレビドラマ『無理な恋愛』(堺正章主演)にAKB48の小嶋陽菜が出演していたことをはっきり覚えているからです。このドラマを録画ダビングして僕のDVDライブラリーに保存してあるはずです(1度も見返しはしていないけども)。
この話は別のブログで何度か語ったことがあります。前からの読者の方々は「またかよ!」と目を細めることでしょう(笑)。でもこうした思い出は何度でも語るべし、と思っています。なぜならば語るうちに少しずつ記憶が歪曲化されるかもしれません、都合のいいようにね。そこがまた人間の面白き事だと思うからです(笑)。
こじはる、可愛かったなあ(遠い目)。堺正章さんの娘役のこの可愛い子は誰だろう?と出演者のエンドロールを見逃すまいと目を凝らした事をよく覚えています。
小嶋陽菜(AKB48)
とエンドロールでは書かれていました。あー!あの秋元が作ったアイドルかぁ!と、それが僕の「#あなたのAKB48どこから」です。( ̄▽ ̄;)
あの頃はドラマや映画をよく見ていましたね。指原莉乃に出会うまでは(笑)。
それから少しずつですね、AKB48、いや指原莉乃にはまって行ったのは。とりあえずテレ東の『週刊AKB』と日テレの『AKB0じ59ふん!』を押さえたのはよく覚えています。
僕としては週刊AKBがなければ指原莉乃に辿り着けなかったと思う今日この頃です。後藤プロデューサーに感謝です(番組プロデューサーです)。
指原莉乃の最初の印象は、週刊AKBでどこかの喫茶店?の中のロケで、渡辺麻友さんの後ろから「まゆゆさ~ん、まゆゆさ~ん!」と金魚のフンのようにへばりついていた指原莉乃が印象深いですが、でもその頃すでに僕は渡辺麻友が指原莉乃より先輩で、一つ下の中学3年生だと認識していた、と言うことは?第一印象ではないのかな?( ̄▽ ̄;)
まあ、この辺りは曖昧模糊ですな(笑)。
何度も言いますが僕は門外漢で、「会いに行けるアイドル」と知りながらも1度も会いに(握手会に)行ったことがありません。しかもインターネットに縁のない生活だったために指原莉乃という人間をテレビでしか認識出来なかったのです。
それなのにこれだけはまってしまったという事は、いかに指原莉乃の魅力が奥深いものか、底深いものか、皆さん思い知るべし(笑)。
AKB48発足して3年後かぁ~!『大声ダイヤモンド』だって3年後でしたもんね。
ならばイコラブもこれからだな
うーん、莉乃ちゃ~ん!
ラブ❤️
( ̄▽ ̄;)
指原莉乃ちゃんについては、そんなに言う指原ってどんな子だったの?って思われたらこちらにどうぞ!😆👍➰
『アイドル 指原莉乃の軌跡 (2016年→2020年編)』(旧題 さっしーってサァ・・・)
彼女のアイドルとしての軌跡をテーマ毎に記事にしてあります。テーマは100ありますが、特に読んで欲しいのは「指原莉乃という人」や「さしはラーカイブ」、「今年の一枚」辺りでしょうか。
拙い文章で読みにくいとは思いますが彼女が気になったらぜひ!
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