幼い頃から母親から言われていた言葉は

『お前が生まれていなければ離婚していた』

そんな母親から愛情というモノは受けた事が無い。

小学生になる時に

小学生になるんだからと全てのオモチャを捨てられた。

小学生になり何故か近所に預けられる様になった。

母親は専業主婦。

長期の夏休みや冬休みは祖母に預けられていた。

当時は何故アチコチに預けられていたのか分からなかったが長期間預けられていた祖母は優しく自分を育てでくれた。

学校が始まり帰宅すると必ず知らない男と裸で抱き合っている母親。

物心ついた頃には見て見ぬ振りをする事を覚えていた。

父親の子という理由で自分を毛嫌いしていた母親。

近所のオバチャン達が遊びに来て話をすると

オバチャン達が帰った後に必ず殴られる。

手で叩くと手が痛いからと必ず物で叩かれる。

酷い時には魚を干す為の長い竹棒で長時間叩かれた時には次の日は立ち上がれなくなっていた。

だんだん人と話す事が出来なくなり

いつの間にか母親からは

コイツはネクラなんだと周りの人達に紹介されていた…。

だから、自分は未だに自然な笑顔が出来ない。

笑顔になると叩かれると体に染み付いているから。

たまに一緒に出掛ける時には知らない男の車で。

そんな時は必ずラブホテルに入り自分は事が終わるまで車の中で狸寝入り。

何事も無かったかの様に起きて帰宅する。

塾に通いたいと話すと

そういう場所は頭が良い子が行く場所だと言われ塾に通う事は出来なかった。

唯一、母親が薦めた

そろばん塾は母親のセックスの相手が先生だった。

そんな頃に母親が妊娠した。

子供の頃には自分に兄弟が出来ると喜んでいた。

しかし…ある程度の年齢になり

妊娠して産まれるまでに十月十日。

父親が家に居る期間は冬場の11月から2月くらい。

妹が産まれたのは5月。

父親が帰ってきても必ず自分と同じ部屋で寝ていた。

父親は母親の部屋に行った次の日の朝には必ず父親の前で母親から自分に話す言葉は

『お母さん昨日生理だって言ってたよな?』

まだ、低学年の自分には生理とは何か知らなかったし

そんな話は聞いていなかった。

そんな父親とのセックスを拒み嫌っていた母親が何故妊娠したんだろう?

と、思ったのは中学生になった頃。

小〜中〜高校

社会人の頃自分は妹が大嫌いだった。

理由は母親が自分には与えなかった愛情を妹には与え溺愛していたから。

妹は自分を馬鹿にして怒ると毎回母親に殴られていた。

殴られている自分を見て笑っていた妹を好きにはなれなかった…。