ロッキンホースゴルフを手放しました。


苺さんが偶然、ロッキンと、私のことをブログに少し書いてくださったので、

書くつもりなかったのですが少し書きたくなっちゃった。

さきほど発送してきたので本当にもう手元にないのだなぁと不思議な気持ちです。


何かを得るためには何かを手放さねばならない、と、最近、とみに思います。

二日前、知人が亡くなり、どうしても気持ちの変化がありました。


何を得るために?

お金の面だけでいえば、DearRoseのためですが、もっと何か人生の…

私が生きているために、手放すような、感覚でした。

私が生きていることはバグみたいなもので、おかしいんだから、生きているためのコストを払っていかなきゃいけないような気がする。

幸せだけどお金がない。それで釣り合っているのかもしれませんが。なんだか釣り合ってない気がするからもう少し、大事なものを手放してみる。

身軽になりたいのかも。


死ぬときに履ける靴はひとつで、私がこのこを持っていても仕方ない。

バレリーナが三色揃ったから履く機会も減りましたしね。


私はだいたい、短いソックスをはくときと、Janeを着る時とか、すこしかっちりしたコーデにしたいときはゴルフを履いてました。

これは恋人とはじめて遠くに旅行したとき、でした。(痩せている…!)

いろんな思い出がある、本当に。

思い出というのは積もるものだと思っているので、歩いた道や、履いていた靴に、強く残ると思うのは私だけでしょうか?


ゴルフがまだなかったときは、ジュンヤワタナベのオックスフォードを何度も何度も修理しながら履いていて、それはゴルフと引き換えに手放しました。

あれも大好きな靴だった。




ロッキンホースって、やっぱり特別な靴なんですよね。

履きづらいし(このゴルフも靴べらを使わないと履きづらいので履いたときは靴べらを常に携帯していた)

街で履いている人を見かけると、やっぱり異様な存在感がある変な靴だなと思います。

10年履いてても階段を降るときは緊張感がある。


決して歩きづらいわけではないのだけど


バランスを取るのが難しいのは確かで、

こけたことは一度しかないものの、常にこけそうにはなっています。


信号が変わりそうなとき横断歩道を走る、

私は走るタイプのロリータなので走るのですが、

ロッキンを履いて走るのと他の靴を履いて走るのでは、ずいぶん気持ちが違うものです。

エイヤッという気持ちで、走る、駅の階段を駆け上がる、それがロッキンホースの醍醐味でしょう。


常に、こけて大惨事になるかもしれない、という気持ちを持ちながら、それでもなんでもないとツンとすまして走るとき、階段を降りるとき、これがエレガンスというものよ!と思っています。


私のゴルフ、(ゴルフって通称なんだよね、もともとなんて名前だったか)

私でない人のもとで幸せにね。