単なる我が家のメモです。

1日ごとに状況が変わり、かなり慌ただしい10日間でした。


3/22(日)
この土日で周りの子持ちはかなり帰った
私は自宅で大人しくしてるもののまだ平和
夫の会社はローカルは在宅
日本人は出社


3/23(月)
キャセイパシフィックで予約していた5/31大阪→ジャカルタ便がキャンセルに
キャンセル代もかからないとのこと

キャセイしっかりしてる!
ガルーダなんて…Webでキャンセルできない上にオペレーションが遅い


3/24(火)
8:00
夫社長から呼び出し
家族が帰ってもいいなら帰してもよし
渡航費はレベル1(※)の間は自己負担、レベル2になったら会社負担
レベル2になったら私と子どもは帰ると決める

※外務省の感染症危険情報
レベル1「注意喚起」
レベル2「不要不急の渡航は止めてください。」


3/25(水)
22:00
レベル2に引き上げられる
翌日会社で情報確認してから飛行機を予約することに


3/26(木)
8:00
2歳未満の娘と2席で帰りたい場合はネット予約不可で電話しなきゃいけない
夫が電話するもJALの電話つながらない


12:00
会社経由で飛行機を手配


19:00
新型コロナウイルス感染症の拡大に伴う水際対策強化に係る新たな措置を確認
14日間待機、公共交通機関を使用しないことを要請とのこと
国内線も使えない→羽田止まり
タクシーもだめ→羽田近くのホテルに泊まるしかない

赤子を抱えて路頭に迷いたくないので、ジャカルタにいることに

会社では黙って公共交通機関使ってもばれないからと帰るのを決定した人も


3/27(金)
7:00
親戚LINEに相談
どうにか東京まで私たちを迎えにいけるか画策してくれる
でも帰るの諦めた


11:00
予定が早まり、明日引っ越しすると夫から電話が
バリクパパンにいる人たちを急遽ジャカルタに来させるから、私たちの家をあてがうらしい
慌てて冷蔵庫のものを整理する
バリクパパンの人たちは身一つで引き揚げてくるからかわいそう。

コロナの影響でまだ任期がある人も突然本帰国を命令される。
奥さまもまだジャカルタにいる人
本来ならゆっくり本帰国の準備したかっただろうに
急遽日本に帰りなさい、もうジャカルタには戻って来れません(夫はいるけど)と言われて大変だろう


15:00
バリ経由関空便を会社の人が発見
帰るよう会社に強く言われる
帰らないと言っていた帯同家族も全員帰ることに


3/28(土)
引っ越し当日
メイドさんが働き者すぎる。
私は娘の相手をするのに精一杯だったけど、掃除、梱包、開梱をしてくれた。
古い家と新しい家を3往復し、1日で引っ越し終了。
大して働いていないのに疲れた。


3/29(日)
19:00
ロックダウンになるかもとの情報
私がテンションだだ下がりの中、旦那は嬉しそう。一人残るのは寂しいと思ってたみたい。


3/30(月)
9:00
志村けんさんが亡くなり、おばさまたちがショックを受ける


11:00
もうジャカルタに戻れないかもと危機感を抱き
、サークルの衣装を部長に返しに行く

週末明けて帯同家族で残ってるのはうちともう一家族だけ


15:00
私と娘の残していく荷物を分別する。
本帰国なら捨てるもの(段ボール3箱+ベビーベッド+ベビーサークル)、大事だから送って欲しいもの(段ボール2箱)
離婚したのかってほど、家からふたりの痕跡を消す


15:30
夫の一時帰国決まる
社長含め日本人全員帰るらしい


18:00
私たちと同じ便で帰ることに



3/31(火)
15:50
マンションを出発
道はガラガラ


16:40
空港着
空港もガラガラ


18:40
ジャカルタ出発



4/1(水)
8:30
関空着
娘が泣き叫んで辛い深夜便だった


9:15
関空出口へ
検疫は40分並んだ


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今は関西の旅館で隔離中4日目です。

体調は良好ですが、花粉症が辛い。