昭和に入って本格的なログハウスのホテルとして建てられたのが、上高地帝国ホテル。日本で本格的なログハウスブームになったのが1980年代だが、このホテルはなんと1933(昭和8)年に建てられている。日本で法律的にログハウスが建築物として認められたのが、1986(昭和61)年の建設省告示第859号「丸太組構法技術基準」であるから、近代的ログハウスが日本にはまったくないに等しい時代である。
上高地は、1896(明治29)年にイギリス人の宣教師ウォルター・ウェストンが書いた『日本アルプスの登山と探検』で、日本にもアルプスがあると喧伝してから、世界的にも上高地に人気が出てきていた。この頃、日本政府が外国人の観光客誘致に必死になっていたこともあり、全国で外国人も泊まれる国際的なホテルが造られていた。帝国ホテルの社長であった大倉喜七郎が長野に旅行に行った際に、当時の長野県知事であった石垣倉治から面会を求められ、上高地帝国ホテル建設の計画が進んでいった。
設計は、高島屋日本橋本店、川奈ホテル、帝国ホテル新本館などを設計した高橋貞太郎。施工は大倉土木が行っている。何でもスイスのアルプスにあるシャーレーをデザインの参考にしたようで、丸太組みで屋根は赤い。1階は自然石張り、2階はカラマツを使ったログハウス、3階はティンバーフレームのような小屋組みでできている。しかし棟上げ時の構造を見てみると、1階から3階までの軸組構法になっているので、ログは飾りのような感じで組み上げていたらしい。オープン当時の客室は46室で、これだけの大きな建物をたった4カ月の突貫工事で完成させているのは驚きだ。
1977(昭和52)年には、創業当時のイメージを保つように竹中工務店により建て替えられた。建築面積は同じだが、地下1階、地上4階のRC造(コンクリートづくり)と室内は大きく変わり客室も74室に増えている。RCとはいえ、まわりには丸太が組まれ、いかにもログハウスの高級な高原リゾートという面影を現在も残している。
いずれも基本構造は軸組構法とRC造であるので、ログは飾りで使われているのみである。
ログハウス好きにとって残念なのが、ログの飾りにログハウス特有のノッチがない点。通常、ログハウスは各段をノッチで組み合わせているため、半段ずつログの高さが異なる。しかし、上高地帝国ホテルのログは同じ高さになっている。こんな細かい点も気遣ってもらえると良かった。

