政治団体の定義は政治資金規正法第3条にあります。

政治資金規正法第3条

『 この法律において「政治団体」とは、次に掲げる団体をいう。
 一 政治上の主義若しくは施策を推進し、支持し、又はこれに反対することを本来の目的とする団体
 二 特定の公職の候補者を推薦し、支持し、又はこれに反対することを本来の目的とする団体
 三 前二号に掲げるもののほか、次に掲げる活動をその主たる活動として組織的かつ継続的に行う団体
  イ 政治上の主義若しくは施策を推進し、支持し、又はこれに反対すること。
  ロ 特定の公職の候補者を推薦し、支持し、又はこれに反対すること。
(以下略)』


政治活動を目的としていればよいそうです。


そして、政治団体には届け出が義務付けられております。

第6条

政治団体は、その組織の日又は第三条第一項各号若しくは前条第一項各号の団体となつた日(同項第二号の団体にあつては次条第二項前段の規定による届出がされた日、第十九条の七第一項第二号に係る国会議員関係政治団体として新たに組織され又は新たに政治団体となつた団体にあつては第十九条の八第一項の規定による通知を受けた日)から七日以内に、郵便又は民間事業者による信書の送達に関する法律(平成十四年法律第九十九号)第二条第六項に規定する一般信書便事業者、同条第九項に規定する特定信書便事業者若しくは同法第三条第四号に規定する外国信書便事業者による同法第二条第二項に規定する信書便によることなく文書で、その旨、当該政治団体の目的、名称、主たる事務所の所在地及び主としてその活動を行う区域、当該政治団体の代表者、会計責任者及び会計責任者に事故があり又は会計責任者が欠けた場合にその職務を行うべき者それぞれ一人の氏名、住所、生年月日及び選任年月日、当該政治団体が政党又は政治資金団体であるときはその旨、当該政治団体が第十九条の七第一項第一号に係る国会議員関係政治団体であるときはその旨及びその代表者である公職の候補者に係る公職の種類、当該政治団体が同項第二号に係る国会議員関係政治団体であるときはその旨、同号の公職の候補者の氏名及び当該公職の候補者に係る公職の種類その他政令で定める事項を、次の各号の区分に応じ当該各号に掲げる都道府県の選挙管理委員会又は総務大臣に届け出なければならない。
(以下略)』


要するに届出に必要なものは

綱領」、「名称」、「事務所」、「代表者」、「会計責任者」、「予備の会計責任者

の6つです。


さらに

第8条

『政治団体は、第六条第一項の規定による届出がされた後でなければ、政治活動(選挙運動を含む。)のために、いかなる名義をもつてするを問わず、寄附を受け、又は支出をすることができない。』

とあり、ただし第17条2項の場合、つまりその後収支報告書を出さない場合は除かれますが、届出後であれば政治活動することができそうです


つまり、法律上は届出し、その後も収支報告書を出していれば政治団体にあるということを意味しています。


結局何をもって検察がダミーと考えたのか理解できません。

これ以上の議論は必要ないと思います。

私はこの事件に違法性はないと考えております。


*前回に引き続き

「THE JOURNAL」

に記事を見つけました。

「THE JOURNAL」の記事によると、

『民主党が立ち上げた「政治資金問題第三者委員会」において総務省行政企画局政治資金課課長補佐の市川靖之氏が招かれヒアリングを行われ、

「ある企業・団体が、人員、資金などをすべて負担して政治団体を設立し、完全に支配している場合、寄附者をどのように記載すればよいのか」』

という質問が出たそうです。


確かに「ある企業・団体が、人員、資金などをすべて負担して政治団体を設立し、完全に支配している場合」にダミーとすれば、「新政治問題研究会」、「未来産業研究会」をダミーとすることはできますが、同時に政党支部(資金管理団体が政治団体を設立している構造)日本医師連盟(医師会の政治団体)などの政治団体すべてがダミーになってしまうため、政治団体同士の金銭の授受がすべて違法という結果になり非現実的です。

これまでは、極力法律と論理で話を進めるように気をつけてまいりましたが、ここからは、全面感情的です。


人によってはこの事件を

「スピード違反で捕まった」

と表現する人がいますが、明らかに間違っています


「制限速度で走っていたら、いきなり逮捕され、車の中を徹底的に調べ上げられ、その結果何も出なかったのでスピード違反をねつ造されて起訴された。」

というぐらい滅茶苦茶な事件です。


素人ながらに何週間にもわたり何度も政治資金規正法を読み、どのように理論を組み立てれば違法へ持って行けるか幾度となくトライしましたが、結局極めて恣意的解釈を加えない限り違法とすることはできないという結論に至りました。


つまり逮捕は恣意的解釈を加えたものであったと考えられ、テレビで見かける多くの有識者は否定しておりますがやはり「国策捜査のようなものであった」と言わざるをえないようです。


「~のようなもの」としたのは、この青写真を描いた黒幕が「国」なのか「官」なのか「党」なのかわからないからです。


このような逮捕・起訴を認めてしまえば、検察とおそらくは警察も好きな時に好きな人間を好きな容疑で逮捕することができることになります。


私たちもいつターゲットになるかわからないのです。

近代憲法は人権保障と統治機構から構成されております。

そのうち統治機構は国民主権と権力分立が2本の柱です。

国民主権は民主主義の要請によるものであり、権力分立は自由主義の要請です。


予告のときに

「民主主義と自由主義の危機」

と書きました。


事件の捏造により、世論をコントロールできるのであれば、これは国民の投票行動を検察が決定することになります。

民主主義の危機です。


さらに、司法は検察の描いたストーリーの矛盾を突くこともできず、ただ鵜呑みにして、量刑を決定するだけの組織になり下がってしまっています。

痴漢冤罪事件でのささやかなる司法の抵抗が唯一の希望かもしれませんが、その後の和歌山カレー事件ではまた思考を止めてしまいました。


捏造された事件や合理的疑いしか残らない事件まで司法が検察に追従するならばこれは権力分立など無いに等しいと言わざるをえません。

自由主義の危機なのです。


私たちは事の本質を見抜く力をつけなければ、せっかく得た自由と民主という2つの権利を失うことになりかねません。

67名がヒ素中毒となり内4名が死亡。


私は死刑廃止論者ではありませんから犯人が死刑となることに疑問はありません。


しかし、犯人が林真須美である証明はできているのでしょうか


前回の痴漢冤罪事件の際判決を下したのは最高裁判所第三小法廷で今回と同法廷です。

その時に無罪を支持したうちの一人が今回の裁判長裁判官である那須弘平氏です。

痴漢冤罪事件の無罪理由は


1.「被告人は,捜査段階から一貫して犯行を否認。」
2.「証拠としては,A(被害者)の供述があるのみであって,物的証拠等の客観的証拠は存しない。」
3.「被害者の行動が不自然である。」


でした。

3.については今回無関係ですから、1.と2.について


                 痴漢冤罪      和歌山カレー

1.一貫して犯行を否認 信憑性が高い    反省がない

2.証言           被害者証言    不確実な目撃証言

  物証           なし          なし


証言については痴漢冤罪事件において

「捜査段階での供述調書等の資料に添った矛盾のない供述が得られるように被害者との入念な打ち合わせに努める。この検察官の打ち合わせ作業自体は,法令の規定に添った当然のものであって,何ら非難れるべき事柄ではないが,反面で,このような作業が念入りに行われれば行われるほど,公判での供述は外見「詳細かつ具体的」,「迫真的」で,「不自然・不合理な点がない」ものとなるのも自然の成り行きである」

と述べたのは那須弘平氏自身です。

要するに「証言は当てにならない」ということです。


氏の論に依ると、

他にその供述を補強する証拠がない場合について有罪の判断をすることは,「合理的な疑いを超えた証明」に関する基準の理論との関係で,慎重な検討が必要である」

とあります。


その「合理的な疑いを超えた証明」に状況証拠が用いられたわけですが、

A.カレーに混入された亜ヒ酸と被告自宅にある亜ヒ酸の不純物の組成が部分一致

B.被告人の頭髪からヒ素を検出

C.被告がカレー鍋の蓋をあけた

D.被告人のみが混入可能

が有罪のの根拠として挙げられております。


A.については「カレーに混入された亜ヒ酸」と「被告宅にあった亜ヒ酸」が同一であることに「合理的な疑いがない」と判断されたものと思われます。

データを見ていないため同一性の議論についてはできませんがそれ以前にそもそも「同一の亜ヒ酸が被告宅以外に存在しない」ことの証明がされていない点が問題ではないかと考えます。

例えば、被告宅に出入りしていた人間が持ち出した可能性がないとも言えません。


(追記:

弁護人弁論に

『中井鑑定は、視覚的にスペクトル図のパターンを比較し、「ほぼ同じ」とか「数倍」など極めてあいまいな言葉で表されるパターンを見るもので、数値的に判断するものではない。』

とありますが、これは指摘の通りで科学に携わる者が学会等でこのような評価をすれば袋叩きにあう(学生実験のレポートのレベルでもダメだしされる)こと間違いなしです。)


B.自宅に亜ヒ酸があり、検出されたからといって直接証拠になるとは思えません。


「ヒ素混入は鍋蓋を開けなければできない」は真ですが、「鍋蓋を開けたならばヒ素混入したとみなすことができる」は偽です。

命題が偽であり犯行現場の目撃でもないことから証拠能力はありません。


D.については論外です。

議論するまでもなくこのことについては証明ができません。

すべての住人について当日の行動を再現したということになっておりますが、まず完全再現は不可能です。

登場人物がそろってる保証がない。

全員の証言に虚言がない保証がない。

果たして全員の証言が「詳細かつ具体的」,「迫真的」で,「不自然・不合理な点がない」ものだったのでしょうか?


結局何一つ証明がなされておらず、この件に関して私は「合理的な疑いを超えた証明」であるとは言えないと結論付けます。


犯人が誰であったのかわかりません。

もしかしたら被告が間違いなく犯人であったのかもしれません。

この件に関して、捜査機関の努力は認めます。

しかし、この程度の立証で有罪にできるのであれば誰もが有罪になりうるという危機感をもっています。


結局裁判所も含め捜査機関とマスコミに踊らされた事件であった気がしています。


参考:甲南大学刑事訴訟法教室 OnLine 

(弁護人弁論の部分で参考にさせていただきました。)


余談ですがこの裁判の弁護人の一人は光市母子殺害事件で各方面からバッシングを受けた安田好弘氏です。

報道や被害者遺族のコメントなどから悪いイメージを持っている方も多いと思いますが、そのような偏見なしに弁護人弁論を読むと検察が作成した論告よりはるかに説得力を持っております。

私が下手な文でこのようなブログ書く必要もなく弁護人弁論を紹介したほうが良かった気がします