昨日のJ-CASTニュースに平野貞夫氏のインタビュー記事が載っておりましたので、インタビュー部分を引用させていただくとともに検証してみたいと思います。

インタビュー記事中の赤字部分は私のコメントです。


わたしはこれで記者を堕落させた 「機密費」で接待、「女」も用意

平野貞夫・元参院議員に聞く


接待うけた記者がその後出世していった


――官房機密費の対マスコミ使用について、直接経験したことを聞かせて下さい。


平野 昭和40(1965)年の終わりから2年間ぐらいの話です。当時、衆院事務局に勤務しており、園田直・衆院副議長の秘書を務めました。園田さんに言われて竹下登・官房副長官のところに報償費(官房機密費)を月々300万円とりに行き、その大部分を私が管理していました。
野党対策費として旅行の際の餞別に使ったり、副議長担当の記者対策にも使ったりしました。当時はまだ、テレビではNHKの記者だけで、あとは大手の新聞、通信社。20代の記者もいたけど、多くは30から35ぐらいで、40歳近い人もいました。
担当記者を連れて、赤坂や銀座の料亭へ行ってクラブへ行って……ランクは中級でしたがね。それから記者たちはこちらが用意した「女」とホテルに泊まってました。私は途中で抜けるのですが、園田さんから「ちゃんと最後まで接待せんか」と怒られたこともあります。その費用をこちらが持ち、1度に20~30万円、月に1回程度といった感じでやっていました。 』


以前twitterには書きましたが、月一回20~30万円、年間約300万円は現在の貨幣価値に直すと1000万円強らしい。

計算法は国立国会図書館リサーチナビの「過去の貨幣価値を調べる(明治以降) 」に従って消費者物価指数を用いて算出。

売春防止法ができたのが昭和30年代前半ですから売買春はこの当時もちろん違法です。

ただし、施行10年程度なので、罪悪感などなかった可能性があります。

与党全体ではこの程度の額ではないよね。


『――記者に抵抗感はなかったのでしょうか。


平野 それが当たり前の時代でしたから。でも、朝日新聞の記者だけは応じませんでした。「自分の信条だ」とか何とか言ってました。ほかの記者は、政治家や派閥と仲良くやって情報を取る、それが仕事だと思っていて、後ろめたさは持っていませんでした。また、そういう記者がその後出世して行きましたよ。』


朝日新聞だけ応じなかったのではなく、朝日新聞の記者個人が応じなかっただけ。

もちろん他社で応じなかった記者もいる可能性はありますし、朝日新聞の記者の中にも供与を受けた人はいる。

そういう記者がその後出世して行ったのは悪貨は良貨を駆逐するということでしょうか?


封筒の厚さからすると、30万円程度かそこら


――今の話に出てきた記者の中で、今も政治評論家などで活躍している人はいますか。


平野 活躍というほどではないですが、現役の評論家もいます。某紙では幹部になった人もいますが亡くなりました。 』


さすがにこれは誰のことかわかりません。


『――そうした慣行は、ほかの政治家担当の記者たちの間でもあったのでしょうか。また、いつごろまで続いたのでしょうか。


平野 私たちが特別な事をしている、という意識は当時全くなかったですね。野党対策もマスコミ対策も「世論対策」という意味では同じでしたから、広く行われていたと思います。以降は、私たちの10年下ぐらいまでは続いたでしょうか。感覚的に、ですが。 』


「広く行われていた」は私が聞いた話とも一致。

「10年下ぐらいまでは続いた」は違うと思います。

記者クラブ記者への利益供与はその後も続いています。

ただし、「10年下~」が買春の話なら納得。


『――ほかにも機密費のマスコミへの使用経験はありますか。


平野 非自民・共産の連立政権である羽田孜内閣(1994年)のときにあります。当時私は参院議員で、自民を離党し小沢(一郎)さんたちと与党の新生党にいました。あるとき、熊谷弘・官房長官と私とある政治評論家の3人で食事をすることになったのですが、熊谷さんが急に行けなくなりました。その際、評論家の人に渡すように、と熊谷さんから封筒を預かりました。中は現金で、厚さからすると、30万円程度かそこら、50万はなかったですね。料理屋で渡すと彼は自然に受け取りました。あれは間違いなく機密費でしょう。そう説明を受けた訳ではないですが。彼は今でもテレビなどで時々見かける活躍中の人です。名前は言えません。』


ここが最も疑問。

機密費かどうかが問題なのではなく政治評論家が政治の方から領収書不要の金銭を受け取っていたことが問題。

私のような他人が又聞で名前を挙げれば法的責任は免れないでしょうが、渡した本人の証言で事実であれば名誉棄損にもなりえないと思います。

なぜ言えないのでしょうか?

「1994年に○○氏に30万程度の現金を渡した。何の金かは知らないが、領収証は受け取っていない」

と言えば全く問題ない。

あとは受け取った本人がどう弁明するのかの問題。


誰のことかは私にはわかりません。

候補が多すぎて。


20年、30年後に使途公開するルール必要


――平野さんは、過去にも機密費に関して大手マスコミの取材を受けられ、野党対策に使った話などをされています。当時の記事に機密費の対マスコミ使用の話が出て来ないのは、削られたからでしょうか。


平野 いえ、そういう質問が出なかったので、私の方でも話さなかったということです。 』


いつの記事?

削られたという質問は「コメントしたけど削られた」という意味でしょうか?


『――今春に入りテレビや講演などで「政治評論家へ機密費を渡した」と証言している野中さんが官房長官だったのは1998~99年です。野中証言の信憑性についてはどうお考えですか。


平野 野中さんの証言は「なるほど」と思う内容で、そういう現状はあったと思います。自民党政権下では、政党や派閥の勉強会にマスコミの人を呼んで講演料やお車代として機密費が最近まで使われていた可能性は大いにあります。 』


野中氏の思惑はどうであれ、発言の信ぴょう性は高いと思います。

しかし、中途半端に隠している点があるため、消化不良。

「講演料やお車代」の件はその通りだと思いますが、機密費から出ていたとは限りません。


『――制度やマスコミ人の意識の上で改革すべき点はあるでしょうか。


平野 制度上では、例えばアメリカなどのように、20年、30年したら使途を公開する、といったルールを設けるべきです。後の世に明らかになる、というのは大きな歯止めになると思います。
マスコミの人はもっと自戒すべきでしょう。機密費に限らず、政治家と大マスコミとのもたれ合いは、程度の差こそあれ昔から続いていました。民主党政権になって変化の兆しが出てきましたが、例えばテレビ局と電波政策の関係は、「既得権益」を巡りこれまで「あうんの呼吸」で進んできた側面があります。
こうした冷戦体制時代の「文化」をひきずってはいけません。昔と違って「情報社会」と言われる現在です。派閥の幹部からの情報にしがみつかず、自分で本質を見極め、政権・政治家の側の情報に惑わされない報道をしていくことが求められる時代になっていると思います。』


使途公開は民主主義国家としては当然。

税金の使い道がわからなければ投票の仕様がない。

機密費の性質上20~30年後でもやむを得ないと思いますが公開すべき。

しかし、国会へは秘密会(憲法57条)を開催し報告すべき。


「マスコミの人はもっと自戒すべきでしょう。」…無理でしょう。

駄目なメディアは淘汰されればよい。


2010/05/30 J-CASTニュース



これをもって、最近のメディア対策費を読み解くのは難しいのですが、平野氏の発言を見ると当時のメディア対策費は記者・評論家合わせても現在の貨幣価値に直して数千万~数億程度と読めます。


数千万~数億程度なら機密費から捻出することも可能ですし、あるいは現在の自民党の年間収入は300億円以上(平成20年)ですから、その1%以下の金額で政権維持をできるならば安いもので、それこそテレビCM減らしてもそっちに金かければ良かったわけです。

そんな少額な筈はありません。


私はメディア対策費は桁が違うと思っております。




日本国憲法57条

両議院の会議は、公開とする。但し、出席議員の三分の二以上の多数で議決したときは、秘密会を開くことができる。

2 両議院は、各々その会議の記録を保存し、秘密会の記録の中で特に秘密を要すると認められるもの以外は、これを公表し、且つ一般に頒布しなければならない。

3 出席議員の五分の一以上の要求があれば、各議員の表決は、これを会議録に記載しなければならない。