私はこの部分見逃していたのですが、「たかじんのそこまで貰って委員会」…もとい「たかじんのそこまで言って委員会」で以下のようなやり取りがあったことが阿修羅に掲載されておりました。


【三宅『藤波孝生っていう私が学生時代から知っている男だけどね。
彼が官房長官になった時、たしか年の暮れだったの。
それで電話かかってきて、新年に講演の口を二つ頼まれてると、
だけど官房長官は東京離れるわけにいかんから、
三宅さんよかったら肩代わりしてくれないか、行っただけの話しなんですよ。
そしたら藤波さんの事務所から、議員秘書が届けてきた。
私はその時、内閣機密費なんてもんは、全然一瞬も考えないで貰ったんですよ。
それが出たって話は後で聞いたけどね。取り消すほどのものではないからほっといたけどね。』 】

阿修羅 「【機密費問題】「たかじんのそこまで言って委員会」にて 」)

YouTube にも出てました。)


講演のギャラは、主催者から支払われるのが道理では?

一歩譲って窓口が官房長官秘書になっていたとしても、三宅氏の銀行口座を聞いて主催者に伝えれば済む話で、わざわざ直接手渡したのは、証拠を残したくない金であったと推測するのが自然です。

証拠を残したくない金とは何でしょう?


怪しい話です。


さらに追い詰めます。


発言中「それが出たって話は~」の件は2000年のフォーカスの記事のことです。

三宅氏の主張は講演料に対する出金に係るメモが流出したというものです。


藤波孝生氏が官房長官を務めていたのは1983年12月~1985年12月であることから、講演をしたのは1984年または1985年の正月ということになります。


記事によるとメモには、竹村健一氏、藤原弘達氏、田原総一朗氏、俵孝太郎氏、細川隆一郎氏、早川茂三氏、三宅久之氏の名前があったそうです。

これを官房機密費の受取先と見るのは流石に短絡的と言わざるをえませんが、少なくともメモが作成された時期についてはメンバーを見れば予測ができます。


まずメンバーの特徴ですが、全てテレビで有名な評論家の方々です。

それぞれ、活躍した時期を見ると

竹村氏:1978年~2008年

藤原氏:1960年代~1970年代

田原氏:1987年~2010年

俵氏 :1975年~1987年

細川氏:~1990年代

早坂氏:代表番組は無いと思いますが、田中角栄氏の元秘書として発信力大

三宅氏:1978年~現在


田原氏はテレビ出演以前からそれなりに知名度があったようですが、他のメンバーを見ると、やはりテレビを中心に活動している(いた)人間がピックアップされていると見るべきだと思います。


つまり、このメモが作られた時期は田原氏が「朝まで生テレビ」をスタートさせた1987年以降、または「サンデープロジェクト」が始まった1989年以降、藤原弘達氏が亡くなった1999年以前ではないかと推測されます。

(最も遅くテレビに出始めた田原氏以降、最も早く亡くなった藤原氏まで)

さらにこれを補完するのが早坂茂三氏の名前で、早坂氏は1985年6月の事務所閉鎖まで田中角栄氏の秘書をしておりましたので少なくともそれ以前のメモとは考えられません。

(私自身は1989年以降と見ております。)


三宅氏が講演料を受け取ったのは1984年または1985年の年初。

三宅氏が講演料を受け取った時点で早坂氏はまだ角栄氏秘書であることは間違いなく、メモが1984年の出金簿ではないことは確実です。

つまり三宅氏が喋った内容は嘘なのです。


なぜ嘘をつく必要があったのでしょうか?

これは、三宅久之氏が自白したと受け取ってよいのでしょうか?


三宅久之という名前がテレビから消える日も近そうです。


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訂正

1984年または1985年 -> 1984年

訂正の理由:

1.三宅氏の「官房長官になった時」という発言内容。

2.東京から離れられない任期途中の官房長官が講演などという予定を入れるはずがないこと。