自公VS民社国の陰に隠れておそらく忘れ去られているのが、最高裁判所裁判官国民審査。
現在最高裁裁判官は
第一小法廷
宮川光治
甲斐中辰夫
涌井紀夫
櫻井龍子
金築誠志
第二小法廷
竹崎博允(長官)
竹内行夫
今井功
中川了滋
古田佑紀
第三小法廷
近藤崇晴
藤田宙靖
堀籠幸男
那須弘平
田原睦夫
の計15名で、内赤文字の9名が今回の国民審査の対象になる裁判官です。
国民審査は受け取った投票用紙の罷免したい裁判官名の上に×を付けるというものです。
多くの有権者は最高裁の裁判官のことなど知るはずもありませんからたいていは何も書かず投票しますが、結局有権者のこのような姿勢が、これまで多くの冤罪事件を許してきたのではないかと自戒しております。
最高裁というのは冤罪に苦しむ被告の方にとって最後の砦であり、みな一縷の望みをかけているはずです。
しかしながら、色々な裁判を意識して見るようになると実に雑な判決が多く特に刑事事件に関しては、罪刑法定主義は法廷では既に死語、人の一生を左右する裁判にもかかわらず検察のストーリーだけを鵜呑みにし裁判官自身の判断は全くない。
偶然にも私がこの数か月注目していた裁判は第三小法廷で行われることが多かったのですが、私はこの法廷の判決にはことごとく疑問を持っております。
4月の防衛大教授の裁判では冤罪を認め、証言だけでは信ぴょう性がないと指摘しておきながら、その数日後に行われた和歌山カレー毒物混入事件では、物証がないにもかかわらず死刑判決を下しております。
また植草一秀氏の裁判と佐藤優氏の裁判も第三小法廷で行われましたが、この二つについては国策が疑われていたにも関わらず事実上の門前払いであったということを見ると、最高裁が真摯な態度で冤罪をなくそうとしているとは思えません。
「おかしい」と思う裁判官には×を付けることが冤罪をなくす一つの道かもしれません。
ところで、私がなぜいきなりこのような記事を書いたのかと申しますと実は先日
『植草一秀さんを守りたい!「みんなでブログ・デモ行進」のお知らせ。 ブログで同日一斉に発信! 』
という件名でどなた様かわかりませんがメッセージをいただきました。
私はこれまで植草氏の裁判については一文も書いていないと記憶しております。
理由は単純。
「語れるほどの資料をもっていない」
状況証拠だけなら鉄板で国策捜査ですがおそらく調べても国策である物証は出てこないでしょう。
中途半端な知識と証拠で弁護すれば、その論理に説得力がなくなり頑張っていらっしゃる皆様にかえってご迷惑をおかけすると考えており言及してきませんでした。
その考えは今も変わっておりません。
私にできることは国民審査というものがあることを皆さんに知っていただき、判断を促すことぐらいであろうと考えこのような記事を書かせていただきました。
私は上記事件以外の事件も考慮し、「冤罪」を生んだであろう裁判官、あるいは私の中の「正義」に反する判断を下した裁判官には×をつけるつもりです。