邪馬台国卑弥呼の死因と死亡年には諸説あります。

狗奴国との戦闘中に死亡したとする説。

病死説。

その中で少々変わっているのが日食が原因で殺害されたという説。

邪馬台国九州説(正確には東遷説)の第一人者安本美典氏もその説を唱えるお一人です。


安本氏の説によると西暦247年と248年に北九州地方で皆既日食があり、それが原因で卑弥呼及びその次の男王が殺害されたということだそうです。

なぜ日食で王が殺害されなければならないかという点についてはよく分かりませんが、古代人は王交替の天の啓示と考えたのかもしれません。


この説については異論を唱える人も多く(*)、私もある理由でこの説については疑問を持っております(**)が、これはこれで面白いのかなという気もします。

この説が正しければ弥生後期は日食が政権交代の兆しだったということになります。


前回日本列島で皆既日食が観測されたのは1963年。

その年にも総選挙があり、元総理大臣の吉田茂氏が引退、石橋湛山氏、片山哲氏が落選引退しており、一方で後の総理大臣橋本龍太郎氏、小渕恵三氏、さらにはミッチーこと渡辺美智雄氏や中川一郎氏など後の大物が初当選、社会党からは「江田ビジョン」の江田三郎氏が参議院から鞍替え初当選を果たしております。


このときには政権交代は起こりませんでしたが、一つの時代が終わり、次の時代が始まった選挙のような気がします。


今回の皆既日食は果たして1762年前のように政権交代をもたらすのでしょうか?


*247年と248年の日食については確定しておらず、また仮に日食があったとしても部分日食だったのではないかという反論があるそうです。


**私個人の意見ですが、卑弥呼の用いたと言われている鬼道とは道教(五斗米道)のことだったのではないかと考えております。

そうであるならば、道教に太陽神信仰の風習はなく日食が王交替と関係があるとは考えにくいのではないでしょうか。