TVタックルにて河野太郎氏が喚き散らかしておりました。

「臓器移植法案を10年も放っておいて何人死んだと思っているんだ」

「あと一年も議論して何人殺す気だ」


このような者がA案提出者となるとA案が本当に真剣に考えられたものなのか疑いたくなります。


A案はこれまでの

「原則:脳死は人の死にあらず、例外:臓器移植を希望する場合のみ脳死は人の死」

というものを

「原則:脳死は人の死、例外:臓器移植を拒否しない場合は脳死判定をしない」

に変えるものです。


具体的な例として、

1.本人が臓器移植を希望

2.家族も拒否せず

3.脳死判定

4.脳死が認定

5.家族の気が変わり移植をやめてほしいと頼まれる


この場合脳死であり死亡が認められるが、移植はできない。

しかも死亡しているため延命なども行えない。


現行法であれば最終的に移植を希望しないので死亡とはならず(もう蘇生の可能性もなく、難しいものの)延命は可能な場合もありえます。


実際にこのようなケースが起こりうるかとの批判もあるでしょうが、A案の6条3項1号には、

「当該者が第一項第一号に規定する意思を書面により表示している場合であり、かつ、当該者が前項の判定に従う意思がないことを表示している場合以外の場合であって、その旨の告知を受けたその者の家族が当該判定を拒まないとき又は家族がないとき。」

とありますので有り得るのです。

家族の署名がなくても脳死判定が可能と読めます。

(この解釈が間違っている可能性もありますが…)


実はこの点河野氏は嘘を言っております。

「臓器移植を希望しなければ判定はしない」

は間違いで、

「本人が希望した場合家族が(特に希望していなくても)拒否しなければ」

判定は行われます。


臓器移植とは一人を救うために一人が死ななければならない医療行為で、法改正はその移植ドナーの範囲を広げるために昨日まで「生」と定義されいた人を「死」と読み替える作業なのです。


脳死に近い状況の患者は、これまではまごうことなき「生」だったものが、今後は「脳死未判定につき死ではない」に変わります。

だからこそ家族の方は苦しんでいるのです。


それを

「臓器移植法案を10年も放っておいて何人死んだと思っているんだ」

「あと一年も議論して何人殺す気だ」

とは、無神経にもほどがあります。


脳死に近い状況の患者を抱えているご家族の方にはこう聞こえたのではないでしょうか?

「いつまで脳死判定を先延ばししているんだ、何人殺す気だ」

と。


私は、様々な欠点も承知の上でそれでも前に進むべきと考えており、A案をベースとし、できる限り多くの方が受け入れ可能な法案に参議院で修正して今国会中に成立させてほしいと考えておりますが、これほど無神経な提案者の下でこの改正案を通してしまうことに不安を覚えてしまいます。


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もう少し加筆。

問題にしたのは「拒まないとき」。

「受諾」と「拒まない」は全く意味が異なります。

契約時、「受諾」は署名なしの口約束でも契約は成り立ちますが、「拒まない」はどうなるのでしょうか?

しかも、家族が死の際にいる状態で冷静な考えができず拒否できなかったとしたら?

契約は有効?