時は流れたが、答えはまだ見つかっていないと実感した。1995年、大分市の女子短大生殺人事件、いわゆる「みどり荘事件」で福岡高裁は1審の無期懲役判決を破棄し、被告に逆転無罪を言い渡した。沸き立つ判決後の集会で1人の弁護人が静かに、ずしりと核心を突いた。
「犯人視報道を流し続けたマスコミが、今日の無罪判決で一転して論調を変えることに、正直言って納得できない思いがある」。あれから約13年。5日、福岡地裁小倉支部は殺人・放火事件で無罪判決を言い渡した。各マスコミは一転して、警察の捜査手法を厳しく批判した。
警察から非公式の捜査情報をいかに引き出すか‐で各社がしのぎを削る事件報道で、警察が間違えばマスコミも間違う危うい構図は今も変わらない。無罪判決のたびに後から警察を批判するだけでは、みどり荘事件の教訓も、事件報道の問題も解決しない。 (宮崎)』(2008/03/21付 西日本新聞朝刊 )
「犯人視報道を流し続けたマスコミが、今日の無罪判決で一転して論調を変えることに、正直言って納得できない思いがある」。あれから約13年。5日、福岡地裁小倉支部は殺人・放火事件で無罪判決を言い渡した。各マスコミは一転して、警察の捜査手法を厳しく批判した。
警察から非公式の捜査情報をいかに引き出すか‐で各社がしのぎを削る事件報道で、警察が間違えばマスコミも間違う危うい構図は今も変わらない。無罪判決のたびに後から警察を批判するだけでは、みどり荘事件の教訓も、事件報道の問題も解決しない。 (宮崎)』(2008/03/21付 西日本新聞朝刊 )
足利事件においても、間違いが起こったのかもしれません。
事件の概要ですが、1990年5月12日 栃木県足利市で4歳の少女が行方不明になり、翌日遺体で発見されたというものです。
被害者の着衣から犯人のものとみられる体液が検出され、そのDNA型と一致したということで菅家利和受刑者が逮捕されました。
もし冤罪であれば、マスコミは今回もまた「無罪判決のたびに後から警察を批判する」のでしょうか?
マスコミに限らず、裁判所もですが「科学捜査だから間違いないと思っていた」では、許されません。
そもそも、私たち理科系の人間は一致という言葉を信じません。
DNAについては門外漢ですが、科学全般測定を要する仕事には必ず誤差が付きまといます。
私たちはその誤差と闘っているのです。
従って一致と聞いた時、例えば「誤差何%の範囲で一致したのか?」をまず確認します。
誤差確認はイロハのイです。
DNAであれば誤差というより精度でしょうか?
「塩基配列の何%が一致したのか?」、「何人に一人の確率で一致したのか?」といったところでしょうか?
マスコミがそれを確認しないのは怠慢であり非難されるべきですし、確認したうえで犯人扱いしたのであれば、責任はマスコミ自身にあります。
とってきた情報をただ垂れ流すだけといったやっつけ仕事をやってるからいつまでたっても捜査機関の暴走を見抜けない。
当然今回も「不一致」という言葉を見逃してはいけません。
「塩基配列の何%が一致しなかったのか?」、「同一である確率は何%なのか?」のかを確認する必要があります。(*)
*幸いにも精度についての記載が毎日新聞にありました。
『常染色体(性染色体以外の染色体)で16個のうち14個で異なり、性染色体でも16個中12個が一致しなかった。このため「DNA型の多くが異なり同一の人に由来しない」と結論づけた。』
『科警研は足利事件当時、精度について「血液型と併せ1000人に1.2人が一致する」(現在は4兆7000億人に1人)と説明。』
(以上2009/05/08 毎日新聞
一部抜粋)
何が一致、不一致なのでしょうか?
Wikipediaによると『DNAの塩基配列のうち、同じ塩基配列が繰り返して存在する特殊な「縦列反復配列」と呼ばれる部分を検査し、その繰り返し回数が人によって異なることを利用して個人識別を行う』そうであり、『DNAのごく一部を分析しパターンの一致・不一致を判定し、確率論的に推定するものである』(Wikipedia 『DNA型鑑定』
より)だそうです。
つまり「常染色体の16個の反復配列のうち2個だけ繰り返し回数が一致した」ということのようです。
16個の配列各々の繰り返し回数一致確率がわからないので断定はできませんが、どうやら不一致と判断してもよさそうです。
それにしても当時、よく「血液型と併せ1000人に1.2人が一致する」程度の精度で証拠採用したものです。
当時の新聞等を確認することができなかったのですが、誰も疑問に思わなかったのでしょうか?
足利市内だけでも何人DNAの型が一致する人がいたことやら。