考えても考えても結論が出ないものもあります。
「臓器の移植に関する法律」改正案です。
これを考える上で最低限知っておかなければならない条文は第6条2項
『前項に規定する「脳死した者の身体」とは、その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定されたものの身体をいう。』
の脳死の定義です。
「不可逆的に停止」とありますので、生き返ることがないということが要件になっています。
判定は2人以上の医師が行う(第6条4項)とありますから、判定においても厳格に行われ一見脳死が人の死であるとすることに問題はないようにも見えます。
しかし、不可逆は本当に不可逆なのでしょうか?
海外のみならず、国内でも長期脳死の事例が報告されおり、それが子供である場合は脳死状態でありながら成長もしたそうです。
また、アメリカでは脳死と判定されながら意識を回復した例もあるそうです。
さらに、脳死になり臓器移植をするときは、脊髄反射により脳死患者が動いてしまうため全身麻酔をしなければならないそうです。
(以上Wikipedia「脳死」 の項を参照)
脳以外の臓器などが生きているので移植ができるわけですから成長するなどは当たり前と言えば当たり前です。
それを踏まえて、臓器移植改正案
A案(中山太郎外5名案)
最大の特徴は第6条1項に
『死亡した者が生存中に当該臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合及
び当該意思がないことを表示している場合以外の場合であって、遺族が当該臓器の摘出について書面により承諾しているとき。』
つまり、本人の許諾は不要で家族の了承があれば移植ができるとする意見です。
メリットは移植に年齢制限がなくなるということです。
B案(斎藤鉄夫外3名案)
『第六条第一項中「場合」の下に「(当該意思の表示が十二歳に達した日後においてなされた場合に限る。)」を加え、同条の次に次の一条を加える。』
つまり12歳以上であれば移植ができるということになります。
現在は事実上15歳以上にしか、移植はできないことになっておりますから適用年齢を引き下げたということになります。
C案(金田誠一外2名案)
特徴というほどものはなく定義を厳密にしたという感じです。
例えば『「臓器」を「臓器等」に』や、『「全脳」を「脳全体のすべて」に』という変更点を多く含んでいます。
大きく分けるとA、B案は適用範囲の拡大、C案は、先に書いたように脳死判定後意識回復例が報告されたことにより脳死判定の厳格化を考えたものだと思います。
どちらの気持ちもわかるんです。
移植を待つ家族としては、A案こそが希望であり、今まさに脳死の状態にある子を持つ親の立場はC案でしょう。
しかし現実に子が脳死状態にあった場合家族臓器移植を希望するでしょうか?
せめて本人の意思表示があれば家族も納得するかもしれません。
それを考慮したのがB案なのでしょう。
移植を待つ家族としても気持は複雑なのです。
他人の死を待つわけですから。
しかし、その業を背負ってでも移植の必要性を訴えなければならないその辛さもわかります。
脳死の子をもつ親の気持ちもわかります。
「医師の話は一般論で我が子だけは助かるかもしれない」と思うのは当然です。
未だこの問題には自分自身の結論を出せずにいます。
私は科学の発展の可能性を過信しているのかもしれません。
理屈では脳死からの回復はありえないとわかっていても、それさえも乗り越える日が来るかもしれないという思いがあり、それが明日かもしれないという気持ちを拭い去ることができません。
だから結論が出せないのです。
誰の家族にも起こりうる問題です。
もう少し大きな議論になってもいいのかな?
と思っております。