まず、この事件において無罪とされた理由ですが、最高裁は

「被告人は,捜査段階から一貫して犯行を否認。」
「証拠としては,Aの供述があるのみであって,物的証拠等の客観的証拠は存しない。」
「被害者の行動が不自然である。」

の3点を挙げています。


判決文に依ると多数意見を代表して裁判官 那須弘平氏は

「刑事裁判の鉄則ともいわれる「疑わしきは被告人の利益に」の原則も,有罪判断に必要とされる「合理的な疑いを超えた証明」の基準の理論も,突き詰めれば冤罪防止のためのものであると考えられる。」

と述べた上で過去の事件において

「「詳細かつ具体的」,「迫真的」,「不自然・不合理な点がない」などという一般的・抽象的な理由により被害者の証言を信用」

してきたものの、

他にその供述を補強する証拠がない場合について有罪の判断をすることは,「合理的な疑いを超えた証明」に関する基準の理論との関係で,慎重な検討が必要である」

とし、証言のみを証拠とするこのと危険性について述べている。


その理由として

「弁護人が反対尋問で供述の矛盾を突き虚偽を暴き出すことも,裁判官が「詳細かつ具体的」,「迫真的」あるいは「不自然・不合理な点がない」などという一般的・抽象的な指標を用いて供述の中から虚偽,錯覚ないし誇張の存否を嗅ぎ分けることも,けっして容易なことではない。」

なぜならば

「捜査段階での供述調書等の資料に添った矛盾のない供述が得られるように被害者との入念な打ち合わせに努める。この検察官の打ち合わせ作業自体は,法令の規定に添った当然のものであって,何ら非難れるべき事柄ではないが,反面で,このような作業が念入りに行われれば行われるほど,公判での供述は外見「詳細かつ具体的」,「迫真的」で,「不自然・不合理な点がない」ものとなるのも自然の成り行きである」

からとしている。

したがって

公判での被害者の供述がそのようなものであるからといって,それだけで被害者の主張が正しいと即断することには危険

であると結論付けている。


まとめると

「検察側の証人は、事前に検察と証言に矛盾がないように打ち合わせ済みなのだから証拠能力に欠けている。」

物証がなく証言のみでは有罪にすることができない。」

ということのようです。

当然の判断であると考えております。


つまり、実際に犯罪を行ったのが被告であるという証明が必要になるわけです。

今回の件でいえば、被告の手指から被害者の下着の繊維が付着していたり、体液や陰毛が検出されることが条件になります。


一般的に刑事事件では、検察側が圧倒的に有利であると言われておりまして、これまでは裁判所も検察の言い分をほぼ認めてきていたようです。

三権分立と言いながら、裁判所と検察の蜜月ぶりは以前から指摘のあるところで、今回の件にしても上記のような証拠もなしに起訴すること自体、検察の甘えを表しているような気がします。


裁判員制度を前にして裁判所が検察と距離を取り始め、適正な関係になり始めた信じたいところです。

前回にも書きましたが、痴漢冤罪自体興味はなかったのですが、


「裁判所が検察の出鱈目な捜査に愛想を尽かした


と見て、あえて取り上げました。


犯罪を行ったのが被告であるという証明が必要」に関連して和歌山カレーの件を次回取り上げます。