薬害肝炎について | 第6の権力 logic starの逆説

薬害肝炎について

薬害肝炎の問題が、解決に向けて進展しそうです。


この問題については、かなり前から、政治決断はなされてきたと思います。裁判で勝訴しない人も救済すると大臣はいってきたし、実際にそうした提案がなされました。しかし、責任問題が焦点になったために、解決が遅れてしまったと思います。責任問題を棚上げすること、すなわち、「責任がないけれど、救済する」というのが本来の政治決断のはずです。法的な責任については、裁判所がこれまでにも判断していますし、より高度な司法判断をというのであれば、控訴上告して決着するしかありません。いったい誰が、責任問題が焦点になるよう、あおったのでしょうか。責任問題を焦点にしようとあおっている人たちの意図は、いったいなんなのでしょうか。それが、被害者にとって、また、わが国の将来にとって、よいことなのでしょうか。


それでは、責任問題はどう考えるべきでしょうか。政府が認めた薬で被害がでたら、すべて政府に責任がある、と考えるのが正しいのでしょうか。ここで「責任がある」というのは、「悪いことをした」ということです。しかし、もしそのように考えると、政府は絶対的に安全を確認するまで薬を認可しないという選択をするかもしれません。そうすると、薬の認可が遅くなります。その結果、その薬があれば助かった人たちが、死んだり、病に苦しんだりすることになるかもしれません。それが「正しい」のでしょうか。


そもそも、薬は人体に影響を及ぼすものです。薬には、必ず副作用があります。ある病気があり、その病気では薬を使わなければ100%死ぬが、薬を使えば病気はなおるが副作用で50%が死ぬ、とした場合、誰でもその薬を使うでしょう。政府は、その薬を、危険を承知で認可すべきではないでしょうか。それは「悪いこと」なのでしょうか。


極端な例をあげましたが、薬を使うことで病気がなおったり軽減されることもあるが、逆に、健康に害を及ぼすこともある、というのが普通なのです。そのバランスを考えて、たとえ危険があっても、薬は使うべき場合もあります。認可ということであればもっと広く認めるべきでしょう。実際に薬を使うかどうかは、まだ医師や薬剤師の判断、そして患者自身の判断のうえで決定されるからです。


責任問題については、認可をしたのが正しかったのか、認可を取り消すべきであったのか、ということをしっかり反省し、改めるべきことがあれば、改めるべきです。そのためには、どの時点で認可を取り消すべきであったか、といった「線引き」をしっかりしなければなりません。結果が悪かったのだから、すべて悪かったとしてしまえば、それで終わりです。なにが悪かったのか、どうすべきだったのかということを考えなければ、今後どうしていくのがよいのかということにつながりません。

責任問題、すなわち「なにがいけなかったのか」ということと、救済とは、切り離したほうがよさそうです。


救済にも、線引きは必ずあります。薬の副作用で病気になった人、他人からの感染で病気になった人、生まれながらに病気をもっていた人、いずれも病気であるということには変わりはありません。しかし、線引きして、一部の人だけを救済せざるをえないのです。


救済について考えます。副作用や薬害の救済については、誰が費用を負担すべきでしょうか。

政府が税金ですべての費用を負担するとすれば、製薬会社は安全を確認せずに薬を製造・販売しようとするでしょう。政府(税金)より製薬会社が負担したほうがよさそうです。

もし製薬会社が費用を負担するとしたら、被害が生じてしまった場合に、製薬会社は巨額な費用負担に耐えられずに倒産してしまうかもしれません。そうすると、被害者は救済されないということになってしまいます。すると、保険を使うのがよさそうです。製薬会社が保険料を負担して、薬害保険に加入して、薬害が発生したら、被害者は保険から救済を受けられるようにするわけです。しかし、そうすると、製薬会社が負担する保険料は、薬の価格に上乗せされることになります。薬の価格は高くなります。その結果、所得や資産が少ない人は、薬を使うことができない、ということになりかねません。

それでは、薬を使う患者が保険料を負担するというかたちで保険を導入したらどうでしょうか。この保険を強制的にしたら、やはり、所得や資産が少ない人は保険料を払えずに薬を使うことができないという可能性が残ることになります。したがって、患者が任意に保険に加入する、という方法を考えます。すると、患者は、保険料を払って保険に入って薬を使うか、保険に入らずに薬を使うか、薬を使わないか、選択できることになります。この方法が、もっとも患者にとって選択肢が多くなりそうです。ただ、そうした保険がなければ、政府がバックアップしてつくるのがよいのかもしれません。

このように考えてくると、救済の費用は、患者が負担するのがよさそうです。


しかし、患者が救済の費用を負担するのは、感情的に許せない、という人が実際はいるのだろうと思います。

そうした方には、次の質問の答を考えてほしいと思います。「製薬会社が救済の費用を負担するために、薬が高額になり、その高額な薬を使えないために死亡する患者がでてもよいのでしょうか。それは誰の責任なのでしょうか。」

そのうえで、やはり製薬会社が負担するのがよいと判断するのであれば、それは判断の問題で、どちらが正しいということではないと思います。

やはり、どちらかが絶対的に正しい、あるいは誤っているという、「権利」や「責任」の問題ではなく、「判断」の問題なのではないでしょうか。