人が変わるとき | good&new[男の子育児中☻]

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料理のこと、仕事のこと、日々のうれしいこと。
変化と分岐点の多いこの時期に、
小さな幸せを保管しておくための日記。

不意に思い出して、しみじみした言葉があります。


新卒一年目のとき、5歳年下の友人と旅行へ行きました。

そのとき、なんやかんやで夜話し合いになり。

議題は『他人の力で、人は変われるか変われないか』


私はその当時の意見は、『他人の力では人は変わらない。人が変わるのは、変わりたいと本人が強烈に思った時。』

(今は違うのですが)


友人の意見は、『他人の力でも、人は変わる。』


今ならばお互い大人な対応で、『そういう考えもあるよね』

で、納得できてしまうような話なのですが、

当時は若いということもあり、

両者一歩も譲らない!(笑)


議論は深夜までおよび、そのうちに友人が半泣きになりながら、

絞り出すように言いました。


『変わることもあるんだよ。本当に。

ただ、それはサイコロの目のようなもので


そのときは、あまり意味が分からずにいたのですが、

最近なんだかわかってきた気がします。


サイコロの目のように、1変わるときもあれば、一気に6変わるときもある。

あるいは、本当に0の時もあるのかもしれません。


01のときは、変わっても、傍目にはそれは分かりづらいわけで。


おそらく他人目線からは、10くらい変わらないと、変わったと分からないのでしょう。


私は、ドラマのように、なにか事件があったら一気に10変わることを期待していたのかと思います。


当時から自分自身が大きく変わって思うのは、

人って、ドラマや小説とかと違って、変わるときは本当に少しずつ。


『あれ?随分以前から変わったな』と気がついて、

ふと後ろを振り返って初めて、

『わぁ!こんなに以前より素敵になってる!!』


って感じるものなんだなぁ、ということ。


当時の友人とは、随分連絡も取っていないのですが、

あの当時、まだ十代の友人が、初めて聞くような声で

絞り出して訴えてかけてくれたこと、

今になって、とても思い出されます。


きっと素敵な大人になっているんだろうなぁ。


サイコロの目ということは、

出る目に限らず、ふり続けなければ、結果は得られないということ。


1の出る可能性を恐れず、サイコロを振り続けた友人は本当にカッコいい。


友人よ、あのときは全否定して悪かった。

今は言ってること、信じられるよ。

理解するのに十年かかった。

それでも教えてくれて、あの時理解してほしいと思ってくれて、

本当にありがとう。