3月11日が近づいてきて、震災のその後や今、あの時のこと、などの特集が増えてきました。
昨日のeveryさんの羽生結弦さんの特集は動画で見させていただきました。
いろいろ思うところがあってね
私はあの日 仕事中に地震にあって、収まってからまず近くの実家へ無事を確認し、そのあと部屋へ帰りました。
部屋の中は、思ってたより散らかってなく、なぜかトイレが水があちこちにこぼれてました…。
壁は無数のヒビが入ってて、壁紙は破けてます。今もそのままです。あれから御風呂はギシギシ音がします。
なので今でもシャワーでお湯を張ってます。
夜空は見なかったなぁ…。夕方までには部屋に戻ったし、次の日も仕事に行ったのでね。
部屋は住めたけど、水道の水はチョロチョロしか出ませんでした。出ない場所もたくさんあったらしくてね。
私は実家が無事だったので、そっちに泊まってましたね
原発が爆発するまではね。
一個めの爆発のときは、あらら…って感じだったけど、二個めが爆発した日は、[なるべく外に出ないでください]といった放送があり、急遽仕事を終えて帰りました。
実家へ帰ったら、家族は郡山市に避難すると荷物をまとめているところでした。
あの日の空は忘れません。
どんより雲って、ただの曇ではなく、気持ち悪い空でした。
原発から40kmだったかな。たぶん。
それから兄夫婦家族は、義姉の実家へ。
私と母親と姉は、私のアパートへ避難しました。
それから数日間、極力外には出ず、ガソリンも10Lしか入れられないうえに、ものすごい行列だったので、やはり動かずにいました。
食糧も並ばないと買えない。並んでも少ししか買えない状況で、都会より田舎のほうが余裕で買えた。
三人でテレビを見ながら原発の状況を見て、余震や原発に震えながら過ごしていました。
あの一週間は、シャワーを浴びても髪の毛がベタベタしてましたね。ものすごいストレスだったのかもしれません。
爆発から1週間、初めて放射線量を見たときの数値は忘れない。
言わないけどね。
爆発から1週間、仕事には行かなかった。テレビで一日中流れる公共広告機構のCM…
あれから一度も見てないのでいいですけど、2度と流さないでほしい。思い出したくないことを思い出してしまうから、絶対に流さないで。
母親と姉が帰ってからは、部屋にひとり…余震に震えながら暮らしました。
寝るときに電気は消せなかったし、テレビも付けたまま寝ていました。怖くて暗く出来なかった…、そうして1ヶ月ほど寝てましたね。
結局精神的に安定するまでには、1年以上かかりました。
最終的に、あの時…2012年の春に、羽生結弦選手の演技と、GReeeeNの[ミセナイナミダハ、きっといつか]に出会わなかったら、前を向いて生きれなかったかもしれない。
やっぱり、あの素晴らしい演技と、同じ地震を体験した仙台の子が、世界で頑張ってる…メダルを獲ったと言うのは元気をもらえましたね。
それから1年間、ずっと世界選手権ニースでのロミオとジュリエットの演技を、動画で見続けて元気をもらってました。
震災後、ひとりで暮らすなんて…地獄でした。
福島県から出れば良かったじゃない?って思われるかもしれないけど、福島県から出たら…逃げた…って思われただろうし、きっと2度と仲間にはなれないだろうと思いました。
一緒に頑張ってる…って言うのが無くなるわけだから。
そう感じてたから、結弦さんが、逃げた…とか思う…もしくは逃げたと言われた…と言うのも、すごく理解できます。
逃げたわけでは決して無くてもね。
長くなりました。長文失礼しました。
昨日のeveryさんの羽生結弦さんの特集は動画で見させていただきました。
いろいろ思うところがあってね
私はあの日 仕事中に地震にあって、収まってからまず近くの実家へ無事を確認し、そのあと部屋へ帰りました。
部屋の中は、思ってたより散らかってなく、なぜかトイレが水があちこちにこぼれてました…。
壁は無数のヒビが入ってて、壁紙は破けてます。今もそのままです。あれから御風呂はギシギシ音がします。
なので今でもシャワーでお湯を張ってます。
夜空は見なかったなぁ…。夕方までには部屋に戻ったし、次の日も仕事に行ったのでね。
部屋は住めたけど、水道の水はチョロチョロしか出ませんでした。出ない場所もたくさんあったらしくてね。
私は実家が無事だったので、そっちに泊まってましたね
原発が爆発するまではね。
一個めの爆発のときは、あらら…って感じだったけど、二個めが爆発した日は、[なるべく外に出ないでください]といった放送があり、急遽仕事を終えて帰りました。
実家へ帰ったら、家族は郡山市に避難すると荷物をまとめているところでした。
あの日の空は忘れません。
どんより雲って、ただの曇ではなく、気持ち悪い空でした。
原発から40kmだったかな。たぶん。
それから兄夫婦家族は、義姉の実家へ。
私と母親と姉は、私のアパートへ避難しました。
それから数日間、極力外には出ず、ガソリンも10Lしか入れられないうえに、ものすごい行列だったので、やはり動かずにいました。
食糧も並ばないと買えない。並んでも少ししか買えない状況で、都会より田舎のほうが余裕で買えた。
三人でテレビを見ながら原発の状況を見て、余震や原発に震えながら過ごしていました。
あの一週間は、シャワーを浴びても髪の毛がベタベタしてましたね。ものすごいストレスだったのかもしれません。
爆発から1週間、初めて放射線量を見たときの数値は忘れない。
言わないけどね。
爆発から1週間、仕事には行かなかった。テレビで一日中流れる公共広告機構のCM…
あれから一度も見てないのでいいですけど、2度と流さないでほしい。思い出したくないことを思い出してしまうから、絶対に流さないで。
母親と姉が帰ってからは、部屋にひとり…余震に震えながら暮らしました。
寝るときに電気は消せなかったし、テレビも付けたまま寝ていました。怖くて暗く出来なかった…、そうして1ヶ月ほど寝てましたね。
結局精神的に安定するまでには、1年以上かかりました。
最終的に、あの時…2012年の春に、羽生結弦選手の演技と、GReeeeNの[ミセナイナミダハ、きっといつか]に出会わなかったら、前を向いて生きれなかったかもしれない。
やっぱり、あの素晴らしい演技と、同じ地震を体験した仙台の子が、世界で頑張ってる…メダルを獲ったと言うのは元気をもらえましたね。
それから1年間、ずっと世界選手権ニースでのロミオとジュリエットの演技を、動画で見続けて元気をもらってました。
震災後、ひとりで暮らすなんて…地獄でした。
福島県から出れば良かったじゃない?って思われるかもしれないけど、福島県から出たら…逃げた…って思われただろうし、きっと2度と仲間にはなれないだろうと思いました。
一緒に頑張ってる…って言うのが無くなるわけだから。
そう感じてたから、結弦さんが、逃げた…とか思う…もしくは逃げたと言われた…と言うのも、すごく理解できます。
逃げたわけでは決して無くてもね。
長くなりました。長文失礼しました。