日刊スポーツの雑誌ありますよね?私はこれから買おうと思ってる雑誌ですけど、ゆづの二年前のコーチ変更からの話題を書いてる雑誌。

私なりに総合的に調べてみて思ったのは、あくまで個人的な見解ですけども、仙台に思う存分練習する環境があったら、仙台を離れたくなかった。
両親や関係者がゆづのスケート選手としての将来を案じた方々が、海外行きを勧めたと言うこと。ゆづはその流れを変えることができなかった。もちろん信頼もしていたからこそ、毎日泣き続けて考えに考えてカナダに行くことを決断した。

結局奈々美先生とゆづは引き離された形になったんだなと思いました。

カナダに行ったことは、間違いではなかったし良かったとは思う。でも、もう少し違う方法が無かったのかなと…、なにやらゆづのバックにどなたが居るようで…。もしかしたら身近な方々が何らかの形でその方にお願いした形になっているのかなと。

でも周りが奈々美先生をなんと言おうと、ゆづの中では奈々美先生は恩師でありスケート人生を変える出逢いだった。

最終的にカナダ行きを決めたのはゆづだろうけと、こうしていろいろ見聞きすると、オリンピック金メダルを獲得してからのゆづの発言の数々は、決して震災・被災地を背負っただけの発言ではなくて、もっともっといろんな出来事からの想いであり、ようやくゆづ本人の本当の気持ちを話し始めたのかなと。

文部科学省だったっけ?メダリストたちが訪れた際に、ゆづが東北のスケートリンクに関して訴えたところ。あのときにゆづは、東北に通年のスケートリンクはひとつしかない。そのひとつのリンクで、スピードスケート・アイスホッケー・フィギュアスケート・もうひとつのすべてを練習に使ってる、だから思うように練習ができない、だから僕はカナダに行ったんです!

この、[だから僕はカナダに行ったんです]がすべてを語ってるのかなと。

てか、スポーツ選手ってみんなこんな辛い経験をしながらやってるんてしょうか?私には分からないけど、正直 祝勝会すらちょっと違和感を感じたんですよね。ゆづを取り巻く関係者だけが集まった祝勝会…。
スケーティングスキルをあげたいとか、もっといろんな選手と切磋琢磨しながら練習したいって思ったのももしかしたら確かな事なのかもしれませんが、なんかこう…。

そういえば、ゆづのスケート靴を研磨してる吉田さんて、奈々美先生の旦那さんだったんですね♪(^^) なんか、繋がってるんだって嬉しかったな。